ブール・プラネタリウム…アメリカの夢、理科少年の夢。(後編)2009年10月30日 22時14分56秒

(偉大なる科学の力!を見せつける、テスラコイル。ウィキペディアより)

ブール・プラネタリウムのメイン機材は、今も変わらずツァイスⅡ型投影機。
“現役の投影機としては世界最古!”と、昨日の「ブール略史」は誇らしげに書いています。が、創設時は「世界最新」だったものが、今では「世界最古」になってしまっている…ここにブールの苦悩、そして科学博物館一般のジレンマがあるのだと思います。

「略史」を読んでいると、驚きと同時に、デジャヴュのような不思議な懐かしさも感じます。

温かい部屋まで光を導いて、誰でも安楽に観測できる10インチ・シデロスタット望遠鏡。
巨大なフーコー振り子。
100万ボルトのテスラコイル。
来館者と3目並べのゲームをする、機械リレー方式の“コンピュータ”。
内臓と骨格が透けて見える、女性の等身大模型。(これは性教育プログラム用の装置で、保護者の許可を得た生徒だけが、そこに参加できたのだとか。)
顕微鏡の映像をスクリーンに投影する「ミクロ動物園」。
ヒヨコの孵化ショー。

日本も後追いした、古い科学館の空気…。
大規模な展示は人目を引きますが、すみやかに陳腐化することも、また避け難いですね。ノスタルジックな雰囲気から、オールド・ファンには愛されたとしても、飽きっぽい子供たちの心をつなぎとめることは難しい。最新の科学知識を絶えず(分かりやすく!)伝えるのは本当に大変だと思います。

ブールの入館者は、米ソが宇宙開発競争をしていた5~60年代がピークで、「ポスト・アポロ」の時代に入って、徐々に減少しました。それでも、ブールは新しい出し物をいろいろ工夫して客を集め続け、80年代半ばには年間25万人の入場者があったそうです(注)。

そして、その頃に館を拡張する話が出て、結果的にそのためにブール・プラネタリウムは「最期」を迎えることになります。つまり1987年、(これまた大富豪の金で創設された)カーネギー博物館に吸収合併され、1マイル離れた場所に「カーネギー科学センター」の看板を掲げて新規オープンし、ブールの名はそのプラネタリウム部門の名前(Henry Buhl, Jr. Planetarium and Observatory)としてのみ残ることになったのです。

ブールのオリジナルの建物は、一時、科学教室のスペースに使われた後、1994年に完全閉鎖。2004年にようやく新しい店子が決まり、以前から道路をはさんで向い側に建っていた「ピッツバーグ子ども博物館」の新館として今は使われているようです。

「だが残念なことに、子ども博物館の経営陣は、地元の保存運動の声に耳を傾けず、歴史的価値を持った多くの装置や記念品の保持を拒んでいる」…と、件の記事は嘆いています。この辺は、いずこも同じですね。

科学館の展示物は、かなりの部分が「科学史の展示」ですが、科学館という「ハコ」そのものの歴史性は、どこまで重視すべきなのか? 私などは単純に「古ければ古いほど良い」と思いますが、それはまあ極論であって、実際はなかなか難しい問題ですね。

いずれにしても、保存問題で揉めるのは、それだけ地元で愛されてきた証拠ですから、建物としては幸せなことでしょう。


(注)下の資料(総合科学技術会議・第11回基本政策推進専門調査会資料)の88ページを見ると、上野の国立科学博物館でも、リニューアル前の2002年の入館者は約80万人にとどまっていたので、25万というのは立派な数字と思います。
http://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/suisin/haihu11/siryo4-3.pdf

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