ジョバンニが見た世界…銀河の雑誌と大きな本(1)2009年11月27日 21時25分34秒

■これまでのあらすじ■

一昨年(2007年)の冒頭に、自分は“「銀河鉄道の夜」の作品世界を具象化する”という、大層な抱負を口にしました。そしてその年の10月20日、自分はその抱負について、下のようなことを書きつけています。

   ★

小説「銀河鉄道の夜」において、私がもっぱら心惹かれるのは、「北十字とプリオシン海岸」のような天空の情景ではなくて、冒頭の「午後の授業」の教室風景であったり、「ケンタウル祭の夜」における時計屋のショーウィンドウであったり、つまりは具体的な天文アイテムと結びついた、より現実的な光景なのです。

  先生が凛とした口調で語る銀河構造論。そこに登場する星図や
  ガラスの銀河模型といった天文教具。授業を受けながらジョバ
  ンニが思い浮かべた銀河のモノクロ写真や、友人の父親である
  博士の書斎の光景…。

  時計屋の店先を飾る、古風な星座絵、金色の望遠鏡、緑の葉を
  あしらった星座早見盤、数々の宝石とともにゆったりと廻る人
  馬像、店頭に満ちあふれる華やかな祝祭のムード…。

この二つのシーンには、ともに心憎い天文アイテムが数多く登場しますが、いっぽうはアカデミックで、静謐なモノクロの世界であり、他方は古典的な神話に彩られた、官能的でカラフルな世界というように、鮮やかな対照を見せています。そして、いずれもが賢治の心象風景であり、銀河鉄道の世界を構成する両輪です。

古風な天文趣味に心を寄せる人であれば、両者相まって陶然とするようなイメージを、ただちに脳裏に浮かべることでしょう。もちろん、人によってイメージの細部は異なるでしょうし、実際、絵本化された「銀河鉄道の夜」を見ると、それぞれの画き手がいろいろな描き方をしていることがわかります。

ただ、現実にこの世に存在するもので、その場面を再現しようと思えば、自ずと選択肢は限られてきますし、そうなるとあとは組み合わせの問題で、そう滅多やたらと自由な場面構成はできません。

で、年頭の抱負は果たしてどうなったか。
結論を言えば、それは十分な成果を収めつつあると申し上げましょう。アイテムのいくつかは既に手元にあり、いくつかは我が家に向けて旅の途上であり、いくつかは獲得の目算が立ちました。遠からず、まとめてご紹介することにします。

  ★

…と、大風呂敷を広げつつ、実際に作業にとりかかったのは翌2008年5月19日でした。
まず、作品の冒頭で先生が指した<銀河帯の白くけぶる、黒い星座の図>について、約3ヵ月間にわたって間欠的に記事を書き連ね、力尽きたところで以後沈黙。  …以上がこれまでのあらすじです。

■連載再開■

「銀河鉄道の夜」の作品世界では、銀河の正体を問われたジョバンニが、「あれはみんな星だ」と思いながらも、もじもじして答えられずに窮するシーンが続きます。それを見て友人カンパネルラも、ジョバンニを思いやってわざと答えるのを控えます。


先生は意外なようにしばらくじっとカムパネルラ
を見ていましたが、急いで「では。よし。」と云いな
がら、自分で星図を指しました。
「このぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で
見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。
ジョバンニさんそうでしょう。」

 ジョバンニはまっ赤になってうなずきました。け
れどもいつかジョバンニの眼のなかには涙がいっ
ぱいになりました。そうだ僕は知っていたのだ、
勿論カムパネルラも知っている、それはいつかカ
ムパネルラのお父さんの博士のうちでカムパネル
ラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。
それどこでなくカムパネルラは、その雑誌を読む
と、すぐお父さんの書斎から巨きな本をもってきて、
ぎんがというところをひろげ、まっ黒な頁いっぱい
に白い点々のある美しい写真を二人でいつまで
も見たのでした。


星座の掛図に続き、ジョバンニが回想した<銀河のことを書いた雑誌>と<銀河の美しい写真の載った大きな本>のことを、次に書いてみようと思います。


【付記】
最近、アクセスカウンタが壊れているようで回りません。お立ち寄りいただいた方は、この機会に、ぜひコメントなり残していただければ幸いです。