囲繞する、何か(13)…混沌たる理科室幻景2009年11月12日 23時13分52秒


闇雲に理科室の空気を求めるうちに
徐々混沌としてきた小空間。

混沌といえば、本来創世譚と結び付き
何かを生み出すべきものなのでしょうが
これはまさに死せる混沌。

そういえば、古い理科室には
そこはかとなく
生と性と死の香りが漂ってはいなかったでしょうか。

秋の夜の幻燈会(1)2009年11月14日 16時16分33秒

朝方は雨。昼からは快晴。
強い風に乗って、ちぎれ雲がぐんぐん青い空を進んでいくのが見えました。
冬近し。

  ★

以前も登場した、日本の理科少年の誕生を告げる名著、石井研堂の「理科十二ヶ月」。(http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/02/11/4113169

11月のお題は「幻燈会」です。
この11月の巻も、他の巻と同じく多くの独立した章から成るのですが、幻燈会についての話は、第2章から第7章にまたがり、かなり長いです。

まずは第2章、「長夜の良友 幻燈器」。

晩秋の一日、全編の主人公である明治の理科少年・春川さんは、ふと思い立ちます。「追々に夜が永くなッて来たから、夜の遊びをしなければならぬ、夜の遊びの内で、幻燈会が一番おもしろい、一つ幻燈器械を作ッて、お友達と楽しまう」。

「夜の遊び」というのがいいですね。
今聞くと一寸変な意味に聞こえますが、昔は季節の遊びがはっきりしていて、さらに昼の遊び・夜の遊びの区別もあったわけです。

さて、そこで春川さんは菓子折りの箱板、古帳面の表紙、虫眼鏡を使って、苦心して手製の幻燈器をこしらえます。(←最初はブリキで作ろうとしたのですが、うまく出来なかったために方針を変更して、板と紙を使うことにしたのです。これはきっと作者・研堂自身の体験が元になっているのでしょう。)

次に幻燈の種絵、つまりスライドの作成にかかります。ガラス切りなど身近にありませんから、火打石の角を使えという指示が文中にあります。切ったガラスに好きな絵を描き、色を塗るのですが、鉱物性の絵の具だと光を通さないから、植物性のものを使えという、この辺の指示も細かいですね。あとはボール紙にガラスを挟んで糊づけすれば、完成です。

「幾日も幾日も丹精して、やうやく出来ましたから、春川さんは、お友達に見せる前に、一人でためしをして見ました。」

光源には普通の石油ランプを用い、障子に映してみると、「自分ながら驚く程、絵が判然と映りますので、手を拍ッて喜び、いよいよお友達を集めて幻燈会を開く日を待ッてをりました。」

以下、この幻燈器を使った、少年たちの愉快な理科談義が続くのですが、それはまた次回。

ところで、この幻燈器のスペックですが、「障子から凡そ二尺離れて、円を一尺五寸ほどに映したのが、すばらしく、はっきりと映」ったとありますから、今の感覚で言うと相当ささやかな映像です。それでも明治の少年たちにとっては、心躍る体験であったのでしょう。

世界のヴンダーショップ(6)2009年11月15日 08時00分41秒

(↑下記ショップサイトより)

「幻燈会」の記事を差し置くべき事態が発生しました。

   ★

今朝yurihaさんのブログを拝見したら、思わず目をむくような記事が。

■***ephemera: 神戸滞在中 http://yuriha.exblog.jp/12958816/

…何と、我が日の本にもヴンダーなお店があった!
これまで、「こういうお店が近くにあったらいいけど、まあ、ないね…」というネガティブな前提でいたのですが、その前提は民衆の歓呼の声とともに(←妄想)崩壊しました。

■Landschapboek(ランスハップブック)
 http://landschapb.exblog.jp/
 神戸市中央区下山手通3-4-5 新興ビル1F(13:00~19:00、定休火水)

店側の自己規定によれば「antique books and art goods」を商う店で、純然たる博物ショップの枠には収まりませんが、しかし店内を見れば、まさにヴンダー。博物系の書籍や紙物、それに標本類が上品にディスプレイされ、素敵な空間が作られています。(他に宗教的なモチーフの品も多いようです。)

神戸といえば、昨年(日付を見たらちょうど1年前!)、これまた極上の空間である「Antico Naturale 六甲昆虫館」を偶然訪れ、記事にも書きましたが(http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/11/16/3939029)、本当にうれしい驚きを内蔵した街ですね。

店名の Landschapboek はオランダ語で、英語でいう Landscape book の意味らしいですが、店の佇まいからして既に一幅の絵。置かれている商品も気になりますが、それ以上に、私はこういう<空間>に身を置きたいという願望が強く、何とか年内に訪問できないものか、今その算段をしているところです。


(注)過去の記事で「世界のヴンダーショップ(5)」という記事が欠番になっていますが、それに相当する記事はこちら。(http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/10/21/4644529

秋の夜の幻燈会(2)2009年11月16日 21時32分48秒

(↑春川さんによる試写の光景)

幻燈会が催されたのは天長節、すなわち今の文化の日です。
夕刻5時半から、大勢の友達を集めて、待ちに待った幻燈会のはじまり、はじまり。
映し手は春川さん、説明はその相棒・秋山さん。

「これから、幻燈会を始めます。絵も器械も手細工でありますから、不十分なのはお許しを願います」。

まず最初は「野菊の小花と、その解剖図」。
菊科植物の構造についての講釈が滔々と弁ぜられます。

お次は「土を深く掘りさげた処を、二人の少年が見てる絵〔…〕、これは、地質学を学びたいと思ふ、春川さんと僕が、田端の停車場(すていしょん)に往って、土を取ッた、跡を見てゐる様であります」。秋山さんは、「地久百万年」と称して、地層の蘊蓄を存分に語ります。「山に遊んだ時など、地質のことが幾らか分ッて居ると、一層面白みが深いでせう」と話を結ぶと、「皆、手を拍ッてパチパチパチ」。

その後、光学談義が一くさりあり、さらに皆で影絵遊びをしたり、音声について議論したりで、「幻燈会万歳」!と叫んで散会したのが、ようやく夜の十一時ころ。楽しい理科の夕べも、ついにお開きとなりました。

随分と夜更かしな小学生たちですが、こういう公許された夜遊びがあるのは、ちょっと羨ましいですね。(…そう言えば、私自身、幼児の頃に「今日は夜まで遊んでいい日だよ」と言われて、近所の子供と戸外で夜遊びをした記憶がかすかにあります。そういう風習が昔はあったんでしょうか?)

戦後の幻燈文化2009年11月17日 22時11分27秒

11月14日の記事のコメント欄で、こんなやりとりがありました。

○S.U氏 「私の幼稚園の頃は、『幻燈会』が『全盛』で、私も大好きでした。紙芝居よりも相当ハイテクだと思っていました。たしか当時の媒体はロールフィルムで、幼稚園に何十本かストックされていたように思います。」

○私 「今、1955年に刊行された教育用品の総合目録を見たら、視聴覚教材の項に、驚くほど大量の「幻灯画」が掲載されていました。ページ数にして65ページ、ざっと5000タイトル。一方、紙芝居は僅かに3ページ、映画でも12ページの扱いですから、当時いかに幻燈が多用されたか分かります。」

明治30年代にブームを巻き起こした幻燈は、さらに学校教育の場へと進出し、戦後になってからも、大いに子供たちの心を引きつけていたようです。残念なことに、私自身はギリギリのタイミングで、その末葉に連なることができず、幻燈会の記憶はほとんどありません。(もちろん、時代が平成になってからでも、「何でもパワーポイント」になる前は、スライドが大活躍していたわけですが、それはひとまずおきます。ここでは視聴覚教材や娯楽メディアとしての幻燈について述べます。)

上の画像は、件の目録の一部、小学校の理科に関するページですが、こんな調子で延々65ページを埋め尽くしているのですから、その隆盛ぶりがお分かりいただけるでしょう。これを眺めていると、自分では見たことがないはずなのに、何だか私も暗い教室で、みんなと一緒に固唾をのんで画面を覗きこんでいたような気がしてきます。

全般に懐かしさを感じさせるタイトルの中で、保健衛生分野のものには、いかにも時代を感じさせる題名が目につきます。

曰く、「元吉の武者修行―赤痢退治の巻」とか、「夫婦虱」(「めおとじらみ」と読むんでしょうか?)、「悪魔は夜来る」(何ですかね?これも衛生害虫の話?)、「我輩は結核菌」(笑)、そして「蛔虫じいさんの夢」(笑笑)、等々。

わずか半世紀とはいえ、ことこの分野については、現実も、人々の意識も、すっかり変わったなあ…としみじみ思います。(…ちょっと、話題がずれました。)

  ★

光と闇の魔術、“magic lantern”。
影絵芝居もそうですが、単なる懐古趣味にとどまらず、幻燈は表現手段として豊かな可能性を秘めているように思います。
幻燈芸術が再度開花し、遠からず夜を愛する全ての人の元に、「幻燈会のお知らせ」が届く日が来る…やもしれません。

五十路プラネタリウムの快気炎2009年11月18日 19時51分35秒

写真は、昨日の夕刊。
ヨレヨレになった紙面に、黒々としたプラネタリウムが写っています。

朝日新聞の夕刊には、毎週火曜日に「読者が決める日本一の○○」という連載があって、昨日のテーマはプラネタリウムでした。

同紙の読者アンケートの結果、見事1位となったのが、兵庫県の明石市立天文科学館。以下、ランキングを資料として転記しておきます。(ただ転記するのも芸がないので、下段に<プラネタリウムの開設年、現行機種>を補足しておきます。ただし、ネットのチラ見情報なので、もしミスがあったらごめんなさい。)

1位 明石市立天文科学館(兵庫) 1811人
   (1960年、カール・ツァイス・イエナ23/3型)
2位 大阪市立科学館(大阪) 1266人
   (1937年(旧・大阪市立電気科学館)、ミノルタINFINIUMα)
3位 秋田ふるさと村星空探検館スペーシア(秋田) 1019人
   (1994年、ミノルタINFINIUMα)
4位 サイエンスドーム八王子(東京) 974人
   (1989年、ミノルタ ジェミニスターⅢ)
5位 仙台市天文台(宮城) 893人
   (1968年、五藤GM II-SPACE)
6位 名古屋市科学館(愛知) 738人
   (1962年、ツァイスⅣ→2010年、コニカミノルタの新鋭機に置換予定)
7位 府中市郷土の森博物館(東京) 734人
   (1987年、五藤GL-AT)
8位 さいたま市宇宙劇場(埼玉) 609人
   (1987年(旧・大宮市宇宙劇場)、ミノルタINFINIUM)
9位 はまぎんこども宇宙科学館(神奈川) 512人
   (1984年、五藤S-Helios)
10位 鹿児島市立科学館 (鹿児島) 489人
   (1990年、五藤CHIRON(ケイロン))

こうして見ると、国内の主流は今や完全に国産機ですね。ここまで来るには、各メーカーの不断の努力と精進があったことでしょう。

そんな中、戦前からの名門ツァイスの名を負う明石の投影機は、「国内の現役機では最古参、大型機としては世界で5番目の長寿機」として、紙面では紹介されています。「プラネタリウムはやっぱりこうでなくちゃ」と思わせる、硬派なシルエットにしびれます。

カール・ツァイス社は、戦後、東西ドイツ分裂のあおりを受けて、東独のイエナ・西独のオーベルコッヘンに分離して、それぞれがプラネタリウムの製造を続けました。明石のイエナ23/3型機は、東のツァイス社が作った戦後第1世代の機種で、片や名古屋市科学館に納入されたⅣ型機は、西のツァイス社が作った戦後2番目の機種。この2台が、いわば日本のツァイスの東西両横綱ですが、西の横綱は近々引退するらしいので、今後は東の独走態勢に入りそうです。ぜひ頑張って、オールド・プラネタリウムの余香を永く伝えてほしいものです。

■参考: 伊東昌市(著) 『地上に星空を―プラネタリウムの歴史と技術』 (裳華房、1998)

星の影絵芝居(1)2009年11月20日 21時17分22秒

最近の買い物から。

長さ約20センチ、棹物の菓子の箱ほどの筐体に、小窓がうがたれています。箱の中には単1電池が入っていて、小窓の星座絵を豆電球で照らす仕掛け。上部に見える2つのノブをくるくる回すと、さまざまな星座絵が次々に現われます。

全体の作りから、1950~60年代の物かな?と思いますが、メーカー名や製造年の表示がどこにもない謎の品。アメリカの業者から購入しました。

たぶん、当時の宇宙ブームに乗って売り出された、有象無象の品の1つ。他愛ないといえば他愛ない品ですが、そこにまた愛らしさもあるようです。

そして、夜ともなれば…

星の影絵芝居(2)2009年11月20日 21時21分13秒

…暗闇にぼんやりと灯がともり、無言の影絵芝居がひっそりと始まります。

金満蒐書家を気取る(1)2009年11月22日 19時21分37秒

自分のお気に入りの物に囲まれて暮らすというのは、ライフスタイルとしては理想の形(の1つ)なのでしょうが、なかなか実現は難しいものです。

そこで、「囲まれている姿を夢想する」くらいで我慢しよう…というわけで、カタログをジッと覗きこんで、虚ろな表情を浮かべていることが多いです。そういう姿を他人が見たら、きっと憐みを催すか、恐怖を感じるか、いずれにしても余り気持ちのいいものではないでしょう。申し訳ないことです。

  ★

…と、言い訳めいたことを先に書いたところで、本の紹介です。

下のリンクをたどって、去年の6月14日と18日の記事を見ていただきたいのですが(ウム、見直すと他にも懐かしい記事がいろいろありますね)、このときニューヨークで行われたクリスティーズのオークションで、天文学をはじめとする科学の稀購本の大規模な売り立てがあり、そのことを記事にしました。

>>去年の6月にタイムトリップ
http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/06/

コペルニクスの本が2億円余りで落札されたという話題で、記事の方もちょっと興奮気味に書かれているのですが、最近そのときのオークション・カタログを見つけたので、話のタネに(そして夢想の材料に)、1冊購入しました。

■ Important Scientific Books: The Richard Green Library.
  (Tuesday 17 June 2008)
  Christie’s, 2008, 400p.

高額商品が動くオークションでも、カタログはペーパーバックという場合が多いのですが、これは布装・金文字・カラー図版貼り込みという、表紙からして、かなり金満の匂いが漂ってくる1冊。中身も上質紙にフルカラーで、間違いなく、ものすごく金満です。

で、気分だけ金満家のように取り澄まして、ページをおもむろにパラパラめくってみました。

(この項つづく)

金満蒐書家を気取る(2)2009年11月23日 19時31分27秒

急いで付け加えると、昨日のカタログに載っている情報は、ほぼ全てクリスティーズのサイト(※)にも掲載されています。ですから、あえてお金を払って、用済みのカタログを買う必要はないのですが、やはりペラリペラリと頁をめくるところに金満的な風が吹くので、今回はあえて金満的に行動してみました。

(※)http://www.christies.com/LotFinder/searchresults.aspx?intSaleID=21644#intSaleID=21644

   ★

さて、今回売り立てがあった「リチャード・グリーン蔵書」。
リチャード・グリーン氏とはいったい何者か?カタログの「Preface」には、以下のような簡単な紹介があります(適当訳)。

「外科医にしてアマチュア天文家である、グリーン博士が蒐集を始めたのは1970年代初頭。最初の頃にガリレオの『天文対話(Dialogo)』(ロット番号137)を購入したことで、彼の蔵書づくりには本格的な火がついた。ガリレオの著書として最初に公刊された『幾何学的軍事コンパスの効用(Le operazioni del compass geometric, et militare)』(ロット番号130)を含む、彼の他の8つの主要著作が、その後につづいた。

1975年に、グリーン博士は個人所有のものとしては恐らく最善の1冊と思われる、コペルニクスの『天球の回転について(De revolutionibus)』(ロット番号60)を購入したが、これこそどんな天文学ライブラリーにおいても決定的に重要な著作である。グリーン蔵の、このコペルニクスの最高傑作は、余白をまったく切り詰められておらず、当時の装丁のままであり、漂白もプレスもかけられていない。〔…〕

グリーン博士の科学書に対する関心の幅は、コレクションを続けるにつれて広がっていった。思想史上の重要な著作の蒐集が加わったことで、数学、心理学、哲学に加え、さまざまな科学分野における重要な著作の探求が行われた。〔…〕グリーン博士の蔵書が明らかにしているもの、それは外界の観察から内界の探求にまで及ぶ、科学的・数学的・哲学的思考の革新的なこの6世紀間の歩みである。」

これを読んでも、グリーン氏の経歴はあまりよく分かりませんが(生没年―そもそも存命なのかどうかも不明)、とにかく医業のかたわら、とてつもない個人蔵書を築き上げた人のようです。ちなみに、上で名前の挙がったガリレオの本は、それぞれ10万ドルと50万ドルで落札されました。で、コペルニクスは220万ドル余り。合掌。

   ★

画像はロット番号177、ヨハネス・ヘヴェリウス(1611-1687)が著し、その没後に未亡人が出版した『星座図絵(Firmamentum Sobiescianum, sive Uranographia)』(1690)。

現代の我々がふつうにイメージする星座絵の原点とも云える、華麗な作品ですが、その出版の事情も絡んで、この本はごく少部数しか作られなかったそうです。
評価額5~7万ドルのところ、実際には8万ドルで落札されました。

うーむ。。。
「だから、どうした?」と言われれば、それまでです。
何かここで一つ教訓めいたことを書きたいのですが、何も言葉が出てきません。