神戸、タルホ、「天体議会」2010年01月31日 21時28分06秒

神戸に行って来ました。
今回の目的は、神戸に稲垣足穂的な世界を追うというのが1つ。
そしてもう1つは、これも足穂と無関係ではありませんが、
長野まゆみ作『天体議会』の舞台を神戸に探るというものでした。
(長野氏は足穂の影響を強く受けていると思います。)

前者は言うまでもありません。
宮澤賢治とはまた別の作風で、不思議な「鉱物系」作品を紡いだ稲垣足穂(1900-1977)。彼が思春期から青年期を過ごし、モダニストとして存分に気を吐いたのが、当時のハイパー・シティ神戸であり、その作品と神戸とは切っても切れぬ関係にあります。

後者はちょっと注釈が必要かもしれません。
長野まゆみ氏(1959-)の代表作『天体議会』(1991)。これは、「天体議会」と呼ばれる一種の天文クラブに集う少年たちの生態を、初秋から冬へと移ろいゆく繊細な自然描写とともに描いた、「理科趣味文学」の佳品です。

作品の時代設定はたぶん近未来で、舞台となっている都市も架空の街ですが、そのモデルとなったのはたぶん神戸…だろうと思います。今回、その跡を現実の神戸の街にたどってみました。


  ★

その内容に入る前のつぶやきですが、長野まゆみという作家について、皆さんはどんな印象を持たれるでしょうか。私は氏の作品を広く読んだわけではないので(というよりも、『天体議会』と『夏帽子』以外の作品をほとんど読んだことがないので)、何もものを言う資格はないのですが、ただ私が長野氏の作品を好きだというと、微妙な感じを持たれる方もいると思うので、一言書き添えます。

私は、長野氏はストーリーテラーではないと思います。
つまり氏はプロットで読ませる人ではなく、純粋に美しい詞藻、あるいはイメージの断片が持ち味の人だと思います。『天体議会』もそうですね。そこに筋らしい筋はなく、単に美しい言葉の連なりだけで読ませる作品です。「だから駄作だ」とは思いません。それは1つの特質であって、それ以上でもそれ以下でもないはずです。

氏の作品を「同人的」と評する人もいますが、それはある意味当たっているかもしれません。氏の作品は、趣味的制作だからこそ、作品の質が担保された側面があるのではないでしょうか。そして、そういう人は本来多作家ではありえないはずですが、氏の場合、好むと好まざるとに関わらず多作家であることを求められた、あるいは自らそうあろうとした点に、若干無理があったのではないでしょうか。

いずれにしても、その作品のいくつかが放つ輝きと香気は独特のものであって、現時点での評価はさておき、氏は後世くりかえし再評価され、長く読み継がれるタイプの作家だろうという気がします。