『天体議会』のモデルの地をたどる…鉱石倶楽部はありやなしや2010年02月28日 16時44分55秒

雨の匂いに言いようもなく春を感じます。今日で2月も終わりですね。

   ★

海洋気象台や、理化学校舎と並んで、いや、それ以上に重要な作品の舞台となっているのが<鉱石倶楽部>です。ここは、鉱石をはじめ博物標本全般を商っている店で、いわば「ヴンダーショップ」の1つ。(作中の鉱石倶楽部とは、たぶん関係ありませんが、長野まゆみさんは、同名の鉱物フォトエッセイも出しているので、この名称に思い入れがあるのでしょう。)

「彼らの行くところといえば、ただひとつにきまっていた。
放課後、必ずといってよいほど足を向ける鉱石倶楽部のことだ。
名前のとおり、鉱石や岩石の標本、結晶、化石、貝類や昆虫の
標本、貝殻、理化硝子などを売る店で品揃えは驚くほど雑多で
豊富だった。この倶楽部で一日じゅう暇をつぶす蒐集家のため、
麺麭〔パン〕や飲みものを注文できる店台〔カウンター〕もあった。」

最後の1文がうらやましいですね。
少年たちは、ここでココア入りの珈琲やら、巴旦杏〔アーモンド〕ののった焼菓子やら、角パンやら、檸檬水〔シトロンプレッセ〕やら、やたらと飲み食いしながら、鉱石標本の品定めをしたり、こまっしゃくれた会話を延々と楽しんでいます。実に旨そうであり、愉しそうでもあります。

店の規模は相当大きいです。店の内外の描写は、以前も載せた記憶がありますが、再度載せておきます(くだくだしいので、特殊な読み方以外はルビ表示を省略しました)。

「少年たちは外壁の黒ずんだ、かなり古い建物〔ビル〕の前で
立ち停まった。砂岩の太い柱が天〔そら〕に高く伸び、頂点で
はほとんど尖塔のようになっているのをひとしきり見上げていた。
鉱石倶楽部はこの建物の内部〔なか〕にある。」

「水蓮は軽く銅貨の肩を叩き、扉の把手を回した。まもなく彼らは
天竺の黄ばんだ窓掛け越しの光で、うっすらと明るい鉱石倶楽部の
床に立った。人気はなく、しんと鎮まっている。天井は伽藍の
ように高く、よく磨かれた太い柱で支えられている。柱は濃い
朱色をしており、見たところでは、石材か木製か判別しにくいが、
手を触れてみれば芯まで冷たく、石でできていることがわかる。」

神戸の旧居留地を歩けば、砂岩づくりの古いビルには事欠きません。こうした断片的イメージから、鉱石倶楽部が入居しているビルのたたずまいを想像することは容易です。





小説では、店舗の内部も、その外観に劣らず重厚です。

「回廊をめぐらした二階があり、欄干は浮彫の唐花〔とうか〕
模様を施した重々しい構造〔つくり〕で、花崗岩〔みかげ〕の
床や天窓のある建物に、妙に合っていた。中央に、これも欄干に
合わせた木製の階段が迫〔せ〕りあがるように急な勾配で二階
までのび、昇りきったところに、幾何学模様の重厚な布が吊るして
ある。或る種、博物館のような黴くさい雰囲気と、ガラン、とした
広さが同時にあった。硝子戸棚や陳列台は互いに重なり合うように
並んでいる。」

「標本やレプリカ、さまざまな模型やホルマリン漬けの甲殻類
などが、硝子戸棚に詰めこまれている。扉を開けた途端、荷崩れ
しそうな具合で、机の脚の下や階段の下には未整理のまま、荷箱に
入れてあるだけの鉱石や貝殻が、数えきれないほど放置してあった。」

しかし残念ながら、鉱石倶楽部の雰囲気を味わえるのは、その外貌までです。
いかに神戸といえども、この夢のような店舗だけは見つかりません。

でも、長野まゆみ氏の幻視能力を信ずるならば、いつかどこかのビルに「鉱石倶楽部」の看板がひっそりと掛かっている…そんなことがあっても良さそうです。
パリのデロールや、世界の名だたるヴンダーショップをも凌駕する、理科趣味の香気ほとばしるこんな店が、いつか身近にできたらいいですね。

(デロールの店内。Flickrより

   ★

神戸の旅のしめくくりとして、元町一番街にあるOLD BOOKS & GALLERY SHIRASA (シラサ)に立ち寄りました。

ここは、先のランスハップブックと共に、yurihaさんの記事で知ったお店です。


ショーウィンドウの中に飾られた「花」は、よく見ると「青い蝶」。
ここもまた「星を売る店」系の、不思議な空気が漂っています。

牧野富太郎の評伝を1冊買ったら、すみれ色の紐のついた栞をくれました。

   ★

現実の旅の後に、1ヵ月間続いた脳内神戸の旅もこれで終わりです。
何となく寂しい気もしますが、他日のリアル再訪を期して、今回はこれで語りおさめとします。

(帰り際、JRのホームから見た阪急三宮駅)


コメント

_ S.U ― 2010年03月01日 21時09分57秒

『天体議会』は図書館に返却してしまったので手元にはないのですが、確か「鉱石倶楽部」は二階にあったのですね。ビルの外からはその存在があまり目立たない一方、街を徘徊する中高生にはかなり広く知れ渡っていたことでしょう。そして、店の雰囲気は、パリ風というより'70年代の不況期の日本の疑似西洋風という感じがしました。

人によって受け止め方は違うのでしょうが、これらの設定はぴったしと合ったイメージを思い起こさせ、長野氏の力量はやはり相当のものだと思います。私と長野氏が年代的に近いせいもあるとすれば多少掛け値があるかもしれませんけど。

私が図書館で『天体議会』を借りて読んで返却して、それから神戸に一泊する旅行を計画してホテルを予約して行って戻ってくるほども続いた長い長い「神戸脳内旅行」どうもお疲れ様でした。

_ 玉青 ― 2010年03月02日 10時26分33秒

ああ…なんだか本当に短くて長い旅をしたような気がします。
ウラシマ効果、とはちょっと違うかもしれませんが、でも、このところ2つの時間の流れを同時に体験していたのは事実で、何とも不思議な気分です。

_ aki ― 2012年03月02日 18時34分48秒

はじめまして。ものすごく個人的に天体議会の冒頭部分だけを漫画にしようと思って作品を少しずつ描いているのですが、こちらの写真を参考にさせて頂きたいと思うのですが・・。よろしいでしょうか?

_ 玉青 ― 2012年03月03日 10時46分43秒

はじめまして。
天体議会の冒頭というと、ちょうど鉱石倶楽部が登場する章ですね。
拙い写真ですが、作画のご参考になるのであれば、どうぞご自由にお使いください。
どうか素敵な作品ができますように!

_ aki ― 2012年03月03日 22時00分12秒

ありがとうございます^^
「天体議会」P22の「少年たちは外壁の黒ずんだ、かなり古い建物(ビル)の前で立ち停まった。砂岩の太い柱が天(そら)に高く伸び、頂点ではほとんど尖塔のようになっているのをひとしきり見上げていた。」
って書かれている描写がどうにも理解できず、『頂点で尖塔のようになっている・・・ってことは円柱のビルだな!!』って危うく寸前で円柱の建物を描くところでした。
ヤフーの画像検索で伽藍、唐花などの検索をしていたら玉青さんの写真を見つけ飛んで来ました。
もう、すっごくドンピシャで(すべてが)、すごい出会いをしてしまった!とかなり感動しました。私は天体議会の舞台が神戸であるなんて思いもしなかったし、実際の土地を参考にできていたとも知りませんでした。だから、ここへ来て自分の知りたかった謎がどっと解けたようです。そしてすごく参考になります。
またこんな風景はどういうものなんだろうとか迷った時にご意見を伺いに来てもいいでしょうか?
玉青さんの考察が好きなんです^^

_ 玉青 ― 2012年03月04日 17時53分35秒

いやあ、あの街のモデルは神戸か?という点も含めて、私の書いたことも1つの解釈に過ぎないので、その辺はどうぞ参考程度にとどめて、akiさんはakiさんの自由な発想で作品世界をヴィジュアライズしていただければと思います。

まあ、私の意見はともかくとして、『天体議会』のことで話が盛り上がるのは大歓迎ですので、どうぞいつでもお立ち寄りください。

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