『天体議会』と神戸・補遺 ― 2010年03月02日 10時32分46秒
「やあ、久しぶり。神戸に行ってたんだってね。」
「うん、一昨日、脳内新幹線で帰ってきたところさ。」
「キミのブログ、読ませてもらったよ。面白い記述もあったけど、だいぶ粘着してたね。」
「うん、僕はめったに出歩かないからね。見るもの聞くものがすべて珍しくて…。」
「ははは、キミらしいね。ところで、1つ教えてほしいんだが。『天体議会』云々の話があったろう。舞台のモデルは神戸に違いないという。あれ、キミはどこまで本気で信じてるんだい。」
「あれ?君、あまり真剣にブログを読まなかったな。本気も何も、100%正しいと確信しているよ。」
「こりゃ失礼。でも、キミにしては…というと褒めすぎだけど、少し論が飛躍しているように思えたから。」
「なるほど。確かにそうかもね。実は、あの推理のソースはもう1つあってね。」
「ほう。」
★
神戸を発ったばかりで、すぐにまた舞い戻るのは気がとがめたので、会話体でごまかそうと思いましたが、まどろっこしいので、普通に書きます。
この件についてもう1つ補足しておきます。
作者である長野氏には、神戸を冠した本が管見の限り1冊あります。
『都づくし旅物語―京都・大阪・神戸の旅』という本で、1994年に河出書房新社から出ています。私は、最初これは随筆のようなもので、ここに天体議会のモデル地のヒントが書かれていると思ったのですが、実は純然たるフィクション作品で、内容は完全に「長野節」。ですから、『天体議会』の誕生秘話が、直接ここで語られているわけではありません。
ただし、いくつかのヒントはあります。
この掌編集は、1990~93年にJR西日本が出した情報誌『三都物語』と、同社が同じ時期(91~93年)に、雑誌『Hanako』で行ったキャンペーン「三都物語」のシリーズ広告に掲載された文章が元になっています。つまり、これは『天体議会』(91年発表)の執筆と同時並行的に行われた仕事で、作者は当時かなり関西づいていたことがうかがえます。
長野氏のリアルな関西体験がどんなものかは分かりません(氏は東京西郊出身です)。
しかし、この一連の関西モノにおいて、神戸の街は「近代的な硝子とジェラルミンの高層建築に混って、ローマ風の柱や拱門〔アーチ〕のある古めかしい建物が見える」町として描かれ、埠頭では、理科の野外授業を受けている少年たちが、シトロン・プレッセを飲みかわしています。あるいは、大阪の梅田では、地下鉄のプラットフォームが学校帰りの少年たちの社交場と化し、時計草や、蛍石や、新しい切手について盛んに情報交換が行われています。さらに万博記念公園では、少年たちが固形燃料でソオダ壜のロケットを打ち上げたり、ビルの電光掲示板に流れる天気情報を見ながら、「南の島へ行きたくなった」とつぶやく人物が登場したり…。
『天体議会』を読まれた方は、「ははーん」と思われるでしょう。
『都づくし旅物語』には、『天体議会』に登場するエピソードやキーワードが頻繁に顔を出しており、前者は後者のスケッチ的な意味合いがあったんじゃないでしょうか。(単純に時系列でいうと、『天体議会』のほうが先行しているパートも多いので、習作というには当たらないかもしれませんが。)
上のことを考え合わせると、『天体議会』の世界は、神戸をベースにして(これは地形の描写から動かないでしょう)、そこに京阪神の風物を混ぜ込んで生れたのではないか…というのが、現時点における私の推測です。
ですから、神戸の実景とちょっとずれて感じられるイメージ、たとえば古風な「天象儀館」の発想源は、神戸のプラネタリウムではなくて、大阪中之島にある日本最古のプラネタリウム(大阪市立電気科学館、1937年オープン)ではないか…とか、「鉱石倶楽部」は、ひょっとしたら京都の益富地学会館がモデルかもしれないぞ…といった想像も浮かびます。
★
というわけで、最後に屋上屋を架す考証を加えてみました。
「うん、一昨日、脳内新幹線で帰ってきたところさ。」
「キミのブログ、読ませてもらったよ。面白い記述もあったけど、だいぶ粘着してたね。」
「うん、僕はめったに出歩かないからね。見るもの聞くものがすべて珍しくて…。」
「ははは、キミらしいね。ところで、1つ教えてほしいんだが。『天体議会』云々の話があったろう。舞台のモデルは神戸に違いないという。あれ、キミはどこまで本気で信じてるんだい。」
「あれ?君、あまり真剣にブログを読まなかったな。本気も何も、100%正しいと確信しているよ。」
「こりゃ失礼。でも、キミにしては…というと褒めすぎだけど、少し論が飛躍しているように思えたから。」
「なるほど。確かにそうかもね。実は、あの推理のソースはもう1つあってね。」
「ほう。」
★
神戸を発ったばかりで、すぐにまた舞い戻るのは気がとがめたので、会話体でごまかそうと思いましたが、まどろっこしいので、普通に書きます。
この件についてもう1つ補足しておきます。
作者である長野氏には、神戸を冠した本が管見の限り1冊あります。
『都づくし旅物語―京都・大阪・神戸の旅』という本で、1994年に河出書房新社から出ています。私は、最初これは随筆のようなもので、ここに天体議会のモデル地のヒントが書かれていると思ったのですが、実は純然たるフィクション作品で、内容は完全に「長野節」。ですから、『天体議会』の誕生秘話が、直接ここで語られているわけではありません。
ただし、いくつかのヒントはあります。
この掌編集は、1990~93年にJR西日本が出した情報誌『三都物語』と、同社が同じ時期(91~93年)に、雑誌『Hanako』で行ったキャンペーン「三都物語」のシリーズ広告に掲載された文章が元になっています。つまり、これは『天体議会』(91年発表)の執筆と同時並行的に行われた仕事で、作者は当時かなり関西づいていたことがうかがえます。
長野氏のリアルな関西体験がどんなものかは分かりません(氏は東京西郊出身です)。
しかし、この一連の関西モノにおいて、神戸の街は「近代的な硝子とジェラルミンの高層建築に混って、ローマ風の柱や拱門〔アーチ〕のある古めかしい建物が見える」町として描かれ、埠頭では、理科の野外授業を受けている少年たちが、シトロン・プレッセを飲みかわしています。あるいは、大阪の梅田では、地下鉄のプラットフォームが学校帰りの少年たちの社交場と化し、時計草や、蛍石や、新しい切手について盛んに情報交換が行われています。さらに万博記念公園では、少年たちが固形燃料でソオダ壜のロケットを打ち上げたり、ビルの電光掲示板に流れる天気情報を見ながら、「南の島へ行きたくなった」とつぶやく人物が登場したり…。
『天体議会』を読まれた方は、「ははーん」と思われるでしょう。
『都づくし旅物語』には、『天体議会』に登場するエピソードやキーワードが頻繁に顔を出しており、前者は後者のスケッチ的な意味合いがあったんじゃないでしょうか。(単純に時系列でいうと、『天体議会』のほうが先行しているパートも多いので、習作というには当たらないかもしれませんが。)
上のことを考え合わせると、『天体議会』の世界は、神戸をベースにして(これは地形の描写から動かないでしょう)、そこに京阪神の風物を混ぜ込んで生れたのではないか…というのが、現時点における私の推測です。
ですから、神戸の実景とちょっとずれて感じられるイメージ、たとえば古風な「天象儀館」の発想源は、神戸のプラネタリウムではなくて、大阪中之島にある日本最古のプラネタリウム(大阪市立電気科学館、1937年オープン)ではないか…とか、「鉱石倶楽部」は、ひょっとしたら京都の益富地学会館がモデルかもしれないぞ…といった想像も浮かびます。
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というわけで、最後に屋上屋を架す考証を加えてみました。
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