「天気晴朗なれども波高し」…海洋気象観測のこと2010年03月09日 20時37分12秒



↑海洋気象台刊、『海洋気象観測法』(大正10年)。
緒言によれば、この本は「海員諸君」に向けて書かれた本です。

今はどうか分かりませんが、当時の船乗りたちは、船上で毎日定時に気象観測を行い、それを「海上気象報告」として海洋気象台に送っていたようです。

「本台にては之によりて報文を刊行し、弘く学者実業家の
参考に供するを得、これ偏に海員諸君の賜にして誠に感謝に
堪へざる次第なり。」(緒言より)

気象台がまだ自前の観測網を持たなかった頃だったとすれば、これはすこぶる効率的な方法ですね。

(巻末付録、「海上気象報告」見本)

通勤電車の中でこういう本を読むと、実に気宇壮大になります。
もちろん、仕事にはあまり役立ちませんが。

本書では、天候を要領よく記号化する方法、いわば「天気の見方の勘所」のようなものが説かれており、そこに強い興味をおぼえます。こういうのは、学校で系統立てて習った記憶がないんですが、でも生きる上で、これは大切な知識じゃないでしょうか。

たとえば雲量。
雲量というのは空の何割が雲で覆われているを示す数字で、雲がまったくない青空は0、空一面が雲ならば10になります。で、雲がまばらにあるときの雲量をどう測るか。

「雲量を目測するには、全天を見得る所に直立し、天空を仰ぎ、
心の中にて、各所に浮べる雲が蔽ふ天空の部分を一所に合計し、
之が全空の幾割に当るかを胸算し、七割に当ると考ふれば、
雲量を七とす」

要するに目分量なんですが、心の中で雲を空の一か所に集めて、その心の中の空で雲の占める割合を出すという作業に、言い知れぬ雅味を感じました。

天気を表現するのも、晴(青空)、雨、曇、雪だけではなくて、「空気透明」があり、「陰鬱」があり、「天候険悪」があり、あるいは雨とは別に「細雨」があるという具合で、見方が細かいです。


そして、説明が何となく文芸調というか、青空(Blue sky;記号b.)は、「天気清澄にして雲なきを云ふ」、湿潤(Wet without rain;記号e.)は、「降雨こそなけれ空気が如何にも湿り勝ちなるを云ふ」 という調子で書かれています。

海面状態については、10段階評価で次のように表現されるのだそうです(ひょっとしたら、現行の方式とは違うかも知れませんが)。皆さん、ご存知でしたか?
「穏」とは海面が「鏡の様」な状態をいい、「怒涛」となると「怒涛山の如し」だそうです。

階級
 0  穏
 1  極滑らか
 2  滑らか
 3  少々浪あり
 4  浪可なりあり
 5  浪稍々荒し
 6  浪荒し
 7  浪高し
 8  浪甚高し
 9  怒涛

さらに、この本がいかにも文学的だと感じられる理由は、ずばり「美」という表現をあちこちで使っている点にも求められます。この本の著者は、努めて客観的な観測者たらんとしながら、どうもそれに徹することのできない部分があって、それがこの本を無味乾燥な解説書となるのを防いでいるようです。

(この項つづく)