天文と気象(3)…講談社版・『天文と気象の図鑑』(後編)2010年03月21日 16時56分01秒

列島は昨日から大荒れ。木はごうごうと唸り、電線はヒュンヒュンと泣きました。
風速が20メートルを超えると風力階級は9、そして30メートルを超えると11、さらにマックス12に達します。講談社の図鑑の説明図でいうと↓のような状況。


30メートル以上の風が吹くと、都市は完全に破壊!されてしまうようです。まあ、この図は瞬間最大風速ではなくて、一定時間以上吹き荒れた場合を想定しているのかもしれませんが、いずれにしても風の力とはすさまじいものです。

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さて、天文篇の扉。右上には、


「空は、どこまでひろがっていて、どのようになっているの
だろうと、静かな夜など、はてしもなくひろがっている宇宙の
ことをかんがえていると、ふっとこわくなるようなことがあり
ますね。」 …と書かれています。

いったい学習図鑑の編集というのは、どういうふうに行われたものでしょうか。
著者として名を連ねていた研究者が、実際どこまで執筆に参加していたのか、単なる名義貸しだけの場合もあったんじゃないかなあ…と想像するのですが、上の一文は、なんとなく著者・古畑正秋氏(当時東京天文台測光部長)が自ら書いたような気がします。というのは、古畑氏は巻末の著者紹介のところで、こうも書いているからです。

「わたしは小さなとき、夜、床の中で「あした昼間がもどって
こなかったらどうしよう」とこわかったのをおぼえています。
このようなことを、ばからしいぎもんと思わず、といていくのが
正しい勉強のしかたです。」

古畑氏は感じやすい少年だったのでしょう。
宇宙を「こわい」と思う感覚、広大な世界への畏怖の念。子供のときにそうしたものを感じることは、とても大切だと思います。まあ、これは「感じろ」と強制すべき性質のものでもありませんが、でも夜中にスヤスヤ寝ている良い子も、ときには深夜の妖しい気配を感じながら、星空を見上げる経験をしてもいいんじゃないでしょうか。

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話がそれました。もうちょっと図鑑の中身を見てみます。
まずは、保育社の図鑑との微妙な時代相の変化を見るために、<火星>と<プラネタリム>の記述から。

火星には、「地球よりもずっとうすいが、大気や、水じょう気・酸素もあり、表面の温度も、赤道地方の昼は10℃ぐらいです。植物もはえ、動物も何かいるのではないかといわれています」。


とりあえず火星人と運河は消えました。しかし、依然植物の存在は信じられており、動物にも期待がかかっています。この頃はまだまだ火星ロマンが健在ですね。


プラネタリウムについては、「大阪の電気科学館と東京の東急文化会館とにあります」と書かれています。東急の五島プラネタリウムの開館は、この本の出る前年の1957年で、戦災で東日天文館が焼けてから、これで久しぶりに東西両横綱が揃ったことになります。(ちなみに、上のページの右下に見えるロンドン・プラネタリウム(2006年閉館)のオープンも、ほぼ同時期の1958年で、当時の宇宙ブームは、まさに全地球的な規模でした。)

で、当然のごとく米ソの人工衛星も大きく解説されています。


左下は「みなさんがよく知っているライカ犬ですね。ソ連の第2号衛星の赤い球のうしろに、犬を乗せるへやがあり、このへやに乗って生物としてはじめて宇宙旅行をしたのがライカ犬です。やく1週間宇宙を飛びながら生きていました」。

ライカ犬は、打ち上げ後まもなくして死んだという話もありますが、いずれにしてもスプートニク2号とともに大気圏に再突入し、宇宙で燃え尽きました。彼は生物として初めて宇宙で死に、流星となった存在でもあります。

最後にちょっと珍しい写真を貼っておきます。


昭和30年代前半の、三鷹の東京天文台の景観。
一面の林と畑。本当にトトロの世界ですねえ…。