タルホの匣…第1夜、ヒコーキ ― 2010年04月01日 22時44分50秒
雨にぬれる満開の桜。
夜の闇に浮かぶその姿にはっと息をのみました。
人の心の闇に、かかる花の咲くことも定めてあることでしょう。
夜の闇に浮かぶその姿にはっと息をのみました。
人の心の闇に、かかる花の咲くことも定めてあることでしょう。
★
さて、<タルホの匣>。
バネ式の留め具を外し、ゆっくり蓋を開けると、
中はこんな風になっています。

この中身を順番に見ていこうと思います。
今宵、第1夜は、1928年にラトビアで発行された三角切手。
画題は「ブレリオXI号機」。
1909年、初の英仏海峡横断を成し遂げた単葉機です、
タルホといえばヒコーキ。
彼は少年時代、飛行機のスケールモデル作りに励みましたが、最初に挑戦したのが、このブレリオ11号機で、彼にとっても思い出深い機種です。
「…そんな好みの表れとして、私はブレリオ式単葉機を
挙げます。なぜなら、あの頃飛行機と云えば、あの
格子組の胴体と大きなカーヴを持った翼が頭に浮びましたが、
それは又、いかにも「空中飛行器」というロマンチックな
機械を代表していたからです。」 (『飛行機の哲理』)
この切手、三角形の空をはばたくトンボめいた姿がまたタルホっぽいと思いました。
タルホの匣…第2夜、三日月 ― 2010年04月02日 20時35分41秒
稲垣足穂の母校、関西学院のシンボルは三日月。
これは足穂が在学中にデザインし、それが同窓生の間に自然と広まり、後に正式採用されたものです。
…というのを昨日(4月1日)書くとよかったんですが、ちょっとタイミングが合いませんでした。もちろん上のことはウソです。でも、そうとしか思えないほど、タルホっぽいデザインですね。
<タルホの匣>に収めたのは、関学の生協が作った襟章とタイピン。
★
「MOON SHINE」
Aが竹竿の先へ針金の円い輪をつけた
何うするの? って問ねると 三日月を取るんだって
僕は笑ってゐたが 君 驚くじゃないか その竿の先へ
とうとう三日月がひっかゝって来たものだ
(『一千一秒物語』)
★
関学の出版物(http://sci-tech.ksc.kwansei.ac.jp/ja/pdf/scitechbrochure2006.pdf)に、その公式の由来が書かれていました(「学院の沿革」というページを参照)。
■進歩と成長を示す三日月の校章■
1894年に制定された校章。新月がしだいにふくらんで
満月へと変化していくように、本学に学ぶすべての学生は
日々進歩と成長をめざしてほしい、という思いが込められ
ています。さらに月は、自ら光を放つのではなく、太陽の
光によって輝く存在。神の恵みを受けて人や社会に貢献
するという、本学のキリスト教主義の建学精神を表現して
います。
なるほど、理由というのは、いろいろ付けられるものです。
でも、そんな由来が霞むほどのカッコよさ。
おおっぴらに身につけられる関学生がちょっぴりうらやましい。
ともあれ、このマークは彼が入学する前から使われていたので、足穂少年は思春期を三日月とともに日々過ごしていたことになります。
これは足穂が在学中にデザインし、それが同窓生の間に自然と広まり、後に正式採用されたものです。
…というのを昨日(4月1日)書くとよかったんですが、ちょっとタイミングが合いませんでした。もちろん上のことはウソです。でも、そうとしか思えないほど、タルホっぽいデザインですね。
<タルホの匣>に収めたのは、関学の生協が作った襟章とタイピン。
★
「MOON SHINE」
Aが竹竿の先へ針金の円い輪をつけた
何うするの? って問ねると 三日月を取るんだって
僕は笑ってゐたが 君 驚くじゃないか その竿の先へ
とうとう三日月がひっかゝって来たものだ
(『一千一秒物語』)
★
関学の出版物(http://sci-tech.ksc.kwansei.ac.jp/ja/pdf/scitechbrochure2006.pdf)に、その公式の由来が書かれていました(「学院の沿革」というページを参照)。
■進歩と成長を示す三日月の校章■
1894年に制定された校章。新月がしだいにふくらんで
満月へと変化していくように、本学に学ぶすべての学生は
日々進歩と成長をめざしてほしい、という思いが込められ
ています。さらに月は、自ら光を放つのではなく、太陽の
光によって輝く存在。神の恵みを受けて人や社会に貢献
するという、本学のキリスト教主義の建学精神を表現して
います。
なるほど、理由というのは、いろいろ付けられるものです。
でも、そんな由来が霞むほどのカッコよさ。
おおっぴらに身につけられる関学生がちょっぴりうらやましい。
ともあれ、このマークは彼が入学する前から使われていたので、足穂少年は思春期を三日月とともに日々過ごしていたことになります。
てふてふがいっぱい ― 2010年04月03日 09時34分48秒
昨日、古書検索サイトのAbebooksから来たメルマガを見て、「ウッ」と思いました。
リンク先のページは、まさに満開の桜のごとく、じきに散り果ててしまうでしょうから、足穂の話の途中ですが、先に記事にしておきます。
リンク先のページは、まさに満開の桜のごとく、じきに散り果ててしまうでしょうから、足穂の話の途中ですが、先に記事にしておきます。
同サイトでは、販売促進のため、これまでもいろいろな企画を立ててきましたが、今回は蝶に関する古書の特集です。以下、リンク先のページから(適当訳)。
◆◇
「今回は、素晴らしい蝶の世界に光を当てることにします。
さらに、そこにガや蚕の仲間も加えて、鱗翅類全体を広く
取り上げてみました。
多くの昆虫は評判が悪く、人の心に恐怖や嫌悪をもたらし
ますが、蝶は多くの人々から愛されています。それは蝶が
姿かたちを変えるせいかもしれません。パッとしない青虫が
繭になり、そこから翼をそなえた見事な姿で現われるという
蝶の誕生過程は、人間のあらゆる苦闘のメタファーとして
使われてきました。
あるいは、蝶が好かれるのは、単純に蝶が美しいという理由
によるのかもしれません。あるものは微妙で地味な、また
あるものは華麗でカラフルな、はっきりとした模様を持って
います。いずれにしても、蝶たちはすべて繊細・優美であり、
蝶のおかげで、表紙にその姿が描かれた、並みはずれて
美しい、そして蒐集の価値のある、うっとりするような書物の
一群が生みだされたのです。」
◇◆
25冊の中には純然たる文芸作品や、生き物としての蝶とは無関係の本も含まれているようですが、やはりまっさきに目が行くのは、図鑑や博物誌の類。
ここに挙げられた書物は、いずれも「学問的労作」とか「偉大な書物」と云うには当らないかもしれませんが、まさに<可憐>という言葉が似つかわしい本たち。ビクトリア風、あるいはその余波と思える装丁に身をつつんだ、繊細な表情がいいですね。
題材が蝶だけに、その甘さがいっそう際立ちます。
ここに挙げられた書物は、いずれも「学問的労作」とか「偉大な書物」と云うには当らないかもしれませんが、まさに<可憐>という言葉が似つかわしい本たち。ビクトリア風、あるいはその余波と思える装丁に身をつつんだ、繊細な表情がいいですね。
題材が蝶だけに、その甘さがいっそう際立ちます。
★
花が咲き、蝶が舞う季節。
書斎でくすぶっている人も、せめて蝶の本を手に、心を野に馳せることをお勧めしたい…というのは、完全に自分自身への忠告ですが。
タルホの匣…第3夜、鉱物 ― 2010年04月04日 19時54分30秒
紫の蛍石。
菫色はタルホの色。
“欠けているのは、スペクトルの「赤色」とは対極関係にある
「菫色」への憧れである。” (by 足穂)
― そして「蛍」と10回唱えれば、彼はいつでも現われる。
…とは書いてみたものの、あんまり面白くないですね。
足穂はたぶん駄洒落は嫌いだと思います。
【4月6日付記】
上のタルホ氏の科白。
警句・箴言めいて、いかにも意味深げですが、全体どういう意味なのでしょう。
これまた孫引きなので;前後の文脈が分からず、真意は不明。
引用する者が煙に巻かれているようではしょうがないんですが、どうも効果的な引用と云うのは難しいものです。
あるいは、上の科白に替えて、かつて<スミレ色の少年主義という礼節>をタルホ氏から贈られた、あがた森魚さんが『菫礼礼少年主義宣言(スミレレショウネンシュギセンゲン)』という快著をものし、同書の中で「菫色的郷愁を覗く望遠鏡」という一文をタルホ氏に捧げていることに触れた方がスマートだったかもしれません。
菫色はタルホの色。
“欠けているのは、スペクトルの「赤色」とは対極関係にある
「菫色」への憧れである。” (by 足穂)
― そして「蛍」と10回唱えれば、彼はいつでも現われる。
…とは書いてみたものの、あんまり面白くないですね。
足穂はたぶん駄洒落は嫌いだと思います。
【4月6日付記】
上のタルホ氏の科白。
警句・箴言めいて、いかにも意味深げですが、全体どういう意味なのでしょう。
これまた孫引きなので;前後の文脈が分からず、真意は不明。
引用する者が煙に巻かれているようではしょうがないんですが、どうも効果的な引用と云うのは難しいものです。
あるいは、上の科白に替えて、かつて<スミレ色の少年主義という礼節>をタルホ氏から贈られた、あがた森魚さんが『菫礼礼少年主義宣言(スミレレショウネンシュギセンゲン)』という快著をものし、同書の中で「菫色的郷愁を覗く望遠鏡」という一文をタルホ氏に捧げていることに触れた方がスマートだったかもしれません。
タルホの匣…第4夜、結晶 ― 2010年04月06日 19時52分35秒
◆『結晶系とブラベー格子』(Crystal system & Bravais lattice)
Junk Club 発行
我楽多倶楽部を主宰する、とこさんが作られた理科豆本です。
開いた様子はこんな感じ。左は親指、右は小指ですから、その大きさ(小ささ)がお分かりいただけると思います。
ちなみに、蛍石は向って左ページに描かれた「面心立方晶系」に当るらしいです。
★
以下、足穂の『水晶物語』から主人公の少年の言葉。
◆◇◆
「何にしても人間よりは樹木の方が偉い。樹木よりも鉱物、
それも水晶のようなものがいっそう偉いのだ。人間も早く
鉱物のようになってしまったらよかろう。いや、いっそのこと
遠い星になって、いついつまでもひとりぼっちで輝いていたら
素敵だなあ……。」
「人間は云わば魚臭い一夜茸(ひとよだけ)でないか!」
「私は、植物に対するのと同様に、鉱物についても、研究
手引書を用意していました。その本の口絵には宝石族の
三色版が付いていて、ページには八面体、菱面体、樹枝状、
柱状、塊状などの図解が出ていました。また、焔色反応、
劈開、条痕板、モース氏硬度計等々についても述べられて
いました。私は秩父宮の名を新聞で見ると、きっとこの昔の
鉱物案内書を思い出します。というのも、本の終りに付いて
いた標本採集心得の中に、「東京近郊には先ず秩父がある」
という文句があったからです。この一事に限らず、樹木に
被われていない山々、その他辺鄙にある鉱石産地は、特に、
私に懐かしさをそそり立てました。そもそも私の家は、
外べは家族という星座を形作っていたものの、内部では
各員がめいめいに他者から離れようとしていました。ですから、
よその子供らでは犬や草花や昆虫や魚類に心を惹かれる
のが、私の場合は―そんな小うるさいことを抜きにした―
非情の水晶だの、黄銅鉱だの無煙炭だのに置き換えられて
いたわけです。」
◆◇◆
この主人公、最初読んだときは、こまっしゃくれた少年にしか思えませんでしたが、引用箇所の最後を読むと、意外に人間的な感懐を漏らしていますね。
人間は、人間であるゆえに、鉱物を愛する心の底には、やはり一抹の寂しさがあるのかもしれません。(以前の私は、そういう感情を鉱物趣味における一種の挟雑物だと考えていましたが、そうとばかり思わなくなったのは年齢のせいかも。―― それに、そもそも愛は人間の側にあり、鉱物に愛はないのですから。)
タルホの匣…第5夜、マッチ ― 2010年04月07日 21時36分49秒
さて以下、理科趣味の世界から、純然たる「タルホ趣味」の世界がしばらく続きます。
シガレットのお供はマッチ。
そこで、明治・大正のマッチラベルから、タルホっぽい絵柄を選んで、匣に入れることにしました。
◆流星をズドン!と撃ち落とした、無政府主義者のピストル。
◇ゴムの香と器械油の甘い匂い―20世紀の匂い―を振り撒く自転車。
もっとも、足穂の場合は、自転車そのものよりもサドル、さらに云えばサドルの孔や、サドルの上に乗っかるお尻の方が問題だったらしく、自転車はいわゆるA感覚を象徴する存在でもあります。となると、そこに配したピストルは……というのは深読みのしすぎで、この匣でそこまで「タルホ趣味」を追求したわけではありません。
★
閑話休題。
昔のマッチラベルは、デザイン的にも面白く、コレクターも多いようです。
検索すると関連サイトもたくさん見つかりますが、以下のサイトなど、見ていて本当に飽きません。日本のデザイン力は、昔も侮れませんね。
■バーチャルミュージアム「マッチの世界」
(日本燐寸工業会と日本マッチラテラルが運営するサイトです。)
http://www.match.or.jp/index.html
★
ところで、自転車マッチの下に、「良燧社」(りょうすいしゃ)という社名が見えます。良燧社は明治19年(1886)創業の会社。大正5年に社名は変わりましたが、その後身は現在もマッチメーカーとして存続しています。
で、社名の右側に “HIOGO 〔=兵庫〕 JAPAN”とありますが、神戸周辺がマッチの一大産地であり、戦前は神戸港からマッチをじゃんじゃん輸出していた…ということを、今回はじめて知りました。その意味でも、足穂とマッチは縁があると言えます。
聞いてみると、マッチの歴史もなかなか劇的です。
大正の末に、“マッチの世界制覇”をもくろむスウェーデン資本と、神戸のマッチメーカーとの間に劇烈な「マッチ戦争」が起こり、最終的にスウェーデン側の社長が破産・自殺に追い込まれて……そんなドラマ↓があったなんて、みなさんご存知でしたか?本当にびっくりです。
■近代神戸の足跡-神戸大学附属図書館所蔵資料から-
マッチ(燐寸)製造業
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/www/html/tenjikai/2005tenjikai/catalog/match.html
シガレットのお供はマッチ。
そこで、明治・大正のマッチラベルから、タルホっぽい絵柄を選んで、匣に入れることにしました。
◆流星をズドン!と撃ち落とした、無政府主義者のピストル。
◇ゴムの香と器械油の甘い匂い―20世紀の匂い―を振り撒く自転車。
もっとも、足穂の場合は、自転車そのものよりもサドル、さらに云えばサドルの孔や、サドルの上に乗っかるお尻の方が問題だったらしく、自転車はいわゆるA感覚を象徴する存在でもあります。となると、そこに配したピストルは……というのは深読みのしすぎで、この匣でそこまで「タルホ趣味」を追求したわけではありません。
★
閑話休題。
昔のマッチラベルは、デザイン的にも面白く、コレクターも多いようです。
検索すると関連サイトもたくさん見つかりますが、以下のサイトなど、見ていて本当に飽きません。日本のデザイン力は、昔も侮れませんね。
■バーチャルミュージアム「マッチの世界」
(日本燐寸工業会と日本マッチラテラルが運営するサイトです。)
http://www.match.or.jp/index.html
★
ところで、自転車マッチの下に、「良燧社」(りょうすいしゃ)という社名が見えます。良燧社は明治19年(1886)創業の会社。大正5年に社名は変わりましたが、その後身は現在もマッチメーカーとして存続しています。
で、社名の右側に “HIOGO 〔=兵庫〕 JAPAN”とありますが、神戸周辺がマッチの一大産地であり、戦前は神戸港からマッチをじゃんじゃん輸出していた…ということを、今回はじめて知りました。その意味でも、足穂とマッチは縁があると言えます。
聞いてみると、マッチの歴史もなかなか劇的です。
大正の末に、“マッチの世界制覇”をもくろむスウェーデン資本と、神戸のマッチメーカーとの間に劇烈な「マッチ戦争」が起こり、最終的にスウェーデン側の社長が破産・自殺に追い込まれて……そんなドラマ↓があったなんて、みなさんご存知でしたか?本当にびっくりです。
■近代神戸の足跡-神戸大学附属図書館所蔵資料から-
マッチ(燐寸)製造業
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/www/html/tenjikai/2005tenjikai/catalog/match.html
タルホの匣…第6夜、ゴールデンバット ― 2010年04月08日 20時13分17秒
「人間のこしらえたもののなかで、先ずタバコと
酒が一等良く出来ているのではないか。」
(稲垣足穂、「わたしの耽美主義」)
「マッチ、タバコ、発条、インキ壷、歯車、映画の
フィルム、ビール壜、鉄砲の玉、懐中時計、総て
こうしたものは、それを只じっと眺めているだけ
でも変な気がして、一種の夢と哲学が感じられる。
殊に紙巻煙草の小函には折々おどろくべき閃き
が認められるが、その手近なものにゴールデン
バットがある。わたし達はあの紙箱の意匠にある
金蝙蝠を別に賞めはしないけれど、決して俗な
ものではないと思っている。」 (同)
★
シガレットケースに、あにシガレットなかるべけんや。
マッチに続いて、今宵は「主役」の登場です。
ゴールデンバットは明治39年に発売され、現在も売られているという超ロングセラー。
上の写真に写っているのは定価7銭の表示があるので、大正14年~昭和11年に販売されたもののようです。
何度見てもカッコいいデザインですが、このデザインにも幾多の変遷があったらしく、それをまとめたサイトがありました。
■懐かしい日本のタバコ歴史博物館③
http://www.lsando.com/oldcigarette/oldcigarette3.htm
★
遺憾ながら、私自身はタバコを全くやらないので、紫煙の美学は皆目分かりません。
足穂氏からすれば、人間の風上にも置けない奴かもしれません。
酒が一等良く出来ているのではないか。」
(稲垣足穂、「わたしの耽美主義」)
「マッチ、タバコ、発条、インキ壷、歯車、映画の
フィルム、ビール壜、鉄砲の玉、懐中時計、総て
こうしたものは、それを只じっと眺めているだけ
でも変な気がして、一種の夢と哲学が感じられる。
殊に紙巻煙草の小函には折々おどろくべき閃き
が認められるが、その手近なものにゴールデン
バットがある。わたし達はあの紙箱の意匠にある
金蝙蝠を別に賞めはしないけれど、決して俗な
ものではないと思っている。」 (同)
★
シガレットケースに、あにシガレットなかるべけんや。
マッチに続いて、今宵は「主役」の登場です。
ゴールデンバットは明治39年に発売され、現在も売られているという超ロングセラー。
上の写真に写っているのは定価7銭の表示があるので、大正14年~昭和11年に販売されたもののようです。
何度見てもカッコいいデザインですが、このデザインにも幾多の変遷があったらしく、それをまとめたサイトがありました。
■懐かしい日本のタバコ歴史博物館③
http://www.lsando.com/oldcigarette/oldcigarette3.htm
★
遺憾ながら、私自身はタバコを全くやらないので、紫煙の美学は皆目分かりません。
足穂氏からすれば、人間の風上にも置けない奴かもしれません。
タルホの匣…第7夜、スターシガレット ― 2010年04月09日 21時10分54秒
足穂に「星と蝙蝠」という小品があります。
(大正14年に「日の出前」として発表した作品を、昭和5年に改稿)
(大正14年に「日の出前」として発表した作品を、昭和5年に改稿)
■
ある明け方、「私」が横丁を通りかかると、そこにひと騒動持ち上がっています。
タキシードを着たひょろ長い紳士の一群が、仲間の一人にさんざん乱暴をしているのです。
わけを聞くと「俺たちはな、星なのだ、今帰ろうとするところさ、ところがこいつ蝙蝠のくせをしやがって一しょにまぎれて天へ入り込もうとしたのだ、図々しいってありゃしない」。
「私」は家に帰って、星と蝙蝠の意味を考えながら、ポケットからスター(タバコの銘柄)の箱を取り出すと、中の1本がクシャクシャに折れています。「オヤと思って調べてみたところ、果してそれはスターのなかにまじってゐるゴールデンバットでございました。」
…という他愛ない内容のもの。
どうやら煙草界にも序列があって、星の方が金蝙蝠より偉いらしい。
■
「スター」はゴールデンバットと同じく、専売公社が手がけた日本の銘柄です。
で、この日本の「スター」には、また別のところで登場願うとして、ここではイギリス煙草の「スターシガレット」を取り上げます。ただし、単純にシガレット続きだとつまらないので、匣には「スターシガレット」ブランドのドミノ牌を入れることにしました。
黒地に緋色の浮き文字。裏返せば白い賽の目。
長さ約4.7センチと、ごく小さなものですが、ピリリと心憎い品。
(写真には写ってませんが、牌全体を収めた赤いブリキ缶も洒落ています。)
1930年代頃のものと言われます。
この品は、特に足穂作品に由来するものではありません。
でも、「タルホ的なるもの」のエッセンスというか、彼のダンディズムを一層鮮明に表現しているように感じました。
(いや、むしろクシー君的かもしれません。)
タルホの匣…第8夜、彗星と土星 ― 2010年04月10日 21時06分06秒
ちょっとタバコ関連の品が多すぎる気がしなくもないですが、自分がタバコをやらない申し訳に、もうひと品<シガレットカード>も入れました。
右は、イギリスのタバコ会社 John Player & Sons が、1916年に発行した土星のシガレットカード。左は、2001年に Les Astres (天体)シリーズの1つとして作られた、彗星のフェーヴです(※)。
後者のサイズは、わずか1.2センチ四方ですから、これまた小さな小さな宇宙の光景。
その小さな青い空を金色の彗星がシューと翔び、土星は思わせぶりに環を見せたり隠したりしています。
(※)フェーヴ(feve)は陶製の豆細工で、ガレット・デ・ロワという季節菓子に入れて楽しむ、フランスでは伝統的なものらしいです。(日本にも似たようなものがありますね。金沢の縁起菓子「福徳(ふっとく)」に入っている、小さな土人形とか。)
ただ、今はどうなんでしょう。お菓子とは切り離されたところで、コレクター向けの市場が形成され、日本の食玩と同じような性格に変質しているようにも見受けられます。
★
「土星ってハイカラだね」
「すてきだよ」
「ほうきぼしもいいな」
「ほうきぼしもいい」
「きみ見たかい?」
「見た―きみは?」
「だいぶ前だ。夜中すぎに、北寄りの東のそらの果てにぼーっと幽霊みたいに浮き出したかと思うと、また見ているうちに薄らいでしまったので少うし怖かったよ」
オットーは、彼が以前にいた外国の街で、夜明け近くの冷えた露台でパジャマ姿で天際をうかがったことを想わせる様子をして、附け足しました。
「ハリー彗星だろう―あんなものが宙をはしっているのはへんちきりんだ」
(稲垣足穂「天体嗜好症」…引用は新潮社版『稲垣足穂作品集』より)
★
天体嗜好症(Uranoia)― タルホの造語です。
その名を冠した上掲作は実に不思議な味わいの作品。
気の合う友人、「私」とオットーは、「奇妙な永遠癖」あるいは「宇宙的郷愁」を主症状とするこの病に罹患し、「ハーヴァード氏の月世界旅行」なる卓上キネオラマづくりに熱中したり、紙製の天体を作って部屋中にぶら下げたり、天文学者のお爺さんを描いたお菓子屋のポスターにうっとりしたりします。
ある晩、オットーの提案で、ふたりはE氏の私設天文台を訪ねることに決めます。森閑と人影のない街。少年たちは、“Starry Night”という不思議なハッカ煙草を吸いながら、青いガス燈がどこまでも続く道を歩き、古めかしい洋館の並ぶ区画をひっそりと過ぎ、これが現実なのか、映画の一場面なのか判然としなくなった頃―。
「そら!」とオットーが指差した先には、銀梨地の星空の下に「オットーの服の色と同じ緑色の灯影が洩れた円屋根の影とが透かされました」。
…話はここで突然終っています。
「空虚で音のない感じ」や「奇妙な切断感」がいつまでも心に残る作品です。
右は、イギリスのタバコ会社 John Player & Sons が、1916年に発行した土星のシガレットカード。左は、2001年に Les Astres (天体)シリーズの1つとして作られた、彗星のフェーヴです(※)。
後者のサイズは、わずか1.2センチ四方ですから、これまた小さな小さな宇宙の光景。
その小さな青い空を金色の彗星がシューと翔び、土星は思わせぶりに環を見せたり隠したりしています。
(※)フェーヴ(feve)は陶製の豆細工で、ガレット・デ・ロワという季節菓子に入れて楽しむ、フランスでは伝統的なものらしいです。(日本にも似たようなものがありますね。金沢の縁起菓子「福徳(ふっとく)」に入っている、小さな土人形とか。)
ただ、今はどうなんでしょう。お菓子とは切り離されたところで、コレクター向けの市場が形成され、日本の食玩と同じような性格に変質しているようにも見受けられます。
★
「土星ってハイカラだね」
「すてきだよ」
「ほうきぼしもいいな」
「ほうきぼしもいい」
「きみ見たかい?」
「見た―きみは?」
「だいぶ前だ。夜中すぎに、北寄りの東のそらの果てにぼーっと幽霊みたいに浮き出したかと思うと、また見ているうちに薄らいでしまったので少うし怖かったよ」
オットーは、彼が以前にいた外国の街で、夜明け近くの冷えた露台でパジャマ姿で天際をうかがったことを想わせる様子をして、附け足しました。
「ハリー彗星だろう―あんなものが宙をはしっているのはへんちきりんだ」
(稲垣足穂「天体嗜好症」…引用は新潮社版『稲垣足穂作品集』より)
★
天体嗜好症(Uranoia)― タルホの造語です。
その名を冠した上掲作は実に不思議な味わいの作品。
気の合う友人、「私」とオットーは、「奇妙な永遠癖」あるいは「宇宙的郷愁」を主症状とするこの病に罹患し、「ハーヴァード氏の月世界旅行」なる卓上キネオラマづくりに熱中したり、紙製の天体を作って部屋中にぶら下げたり、天文学者のお爺さんを描いたお菓子屋のポスターにうっとりしたりします。
ある晩、オットーの提案で、ふたりはE氏の私設天文台を訪ねることに決めます。森閑と人影のない街。少年たちは、“Starry Night”という不思議なハッカ煙草を吸いながら、青いガス燈がどこまでも続く道を歩き、古めかしい洋館の並ぶ区画をひっそりと過ぎ、これが現実なのか、映画の一場面なのか判然としなくなった頃―。
「そら!」とオットーが指差した先には、銀梨地の星空の下に「オットーの服の色と同じ緑色の灯影が洩れた円屋根の影とが透かされました」。
…話はここで突然終っています。
「空虚で音のない感じ」や「奇妙な切断感」がいつまでも心に残る作品です。
タルホの匣…第9夜、ラリー・シモン ― 2010年04月12日 20時40分18秒
今日は一日地雨。
桜の花はすっかり散り果てましたが、代りにつやつやとした若葉に雫がキラキラと輝き、あたりにいい香りが漂いました。
★
写真は、1920年代の広告ピンバッチ(径2cm)。
おどけた顔の周囲に、「いつも笑顔で」「ラリー・シモン笑劇場 “笑え、ラリーとともに”」と書かれています。
ラリー・シモン(Larry Semon 1889-1928)はアメリカの喜劇役者。
残念ながら日本語版ウィキには、今日現在まだ項目がないので、英語版(http://en.wikipedia.org/wiki/Larry_Semon)から冒頭を適当訳します。
「ラリー・シモンは、無声映画時代におけるアメリカの俳優、
監督、プロデューサー、映画脚本家。当時のシモンは「喜劇
王」と見なされていたが、現在では「ローレル&ハーディー」
の両名、スタン・ローレルとオリバー・ハーディーがコンビを
組む以前、彼らとともに仕事をしたことで主に知られている。
彼はまた1925年の無声映画「オズの魔法使い」〔日本公開
時の邦題は「笑国万歳」〕の監督(ならびに出演)によっても
知られている。ちなみに、この映画は1939年にMGM社が
制作した一層有名なトーキー版には、ごくわずかな影響しか
与えていない。2005年に1939年版のDVD3巻セットが出た
際、この1925年版も他の「オズ」映画と共に収録され再評価
された。」
★
稲垣足穂は、彼のことを高く買っており、文中で何度も取り上げています。
「この間神戸へ「オズの魔法使」(笑国萬歳)というのがきた
ので明石から見に出かけた。僕が役者の名で出かけたのは
これが最初であるが、やはり期待にそむかぬこのコメディアンは
まるでオートマチックだ。あのトリックとも現実ともつかぬ高い
ところへゼンマイ仕掛のようにのぼって行って、超時空的に
ヒューとジャズバンドの笛のうなりと一しょにまい落ちるとき、
僕のうれしさはかなしみにさえ近い。」 (「オートマチック・ラリー」)
…と、感極まっています。
他の文章においても「天才ラリイシモン」とか、「活動で見たいのはもうラリイの他にない」とまで言い切っているので、怪人タルホにしては例外的な殊遇です。
そして、ラリーが30代で早世したおりには、「ラリー・シーモンの回想-追悼文-」という悲しみの一文を捧げています。
「君が〔…〕示してくれたスピーディな童話世界は、僕が前々
から狙っている或る斬新な芸術様式という題目の上に
多大の参考をもたらしてくれる。そしてそんな君の上に、
僕はひとつ、シラノ・ド・ベルジュラックの月世界旅行をやって
みたら……と考えていた。ゆうべ月から落ちてきた人の
ような君の舞台が、ニューヨーク夜景から星々に飾られた
虚空界に展開して、ひだ襟のついた中世服装の君が、あの
手ぶり身ぶりよろしく土星の環の上を歩いたり、故障の
起きたロケットを彗星に牽かせたり、星を口にふくんで粉っぽい
煙を吐き出したり……
〔…〕いつか君といっしょにプロダクションを興したい、というのが
僕の夢想だった。何故なら、僕の天体物がいっそう人々に
知られるためには、それがニキタ・バリエフ氏の蝙蝠座の
舞台でなかった場合、やはりフィルムを通じてでなければ
ならないからだ。こちらの大先輩、谷崎潤一郎がかつて僕の
或る作品について云った。
「あれをラリーにやらせてみたいものだね」と。
〔…〕僕は、君が暗示し、教えている方向へ進むであろう。
そしてそこに他の君たちを見出し、かれらと相提携して、
「もうしもうしお月様」と呼びかけた詩人ジュール・ラフォルグと、
月人(ゼレナード)である君の思出のために、それこそ六月の
夜のスターマインのようなフィルムを製作しよう。そして今日より
もっと賢くなり、リファインされた紳士淑女に観せよう。では、
ローレンス・シーモン君、安らかに月の方へ昇って行きたまえ。
そして三日月の長椅子にかけて、小手をかざして見ていて
くれたまえ。さようなら!」
★
タルホをして、かくまで言わしめたラリー・シモン。
タルホにとってのラリーは、単なる喜劇王ではなしに、ともに宇宙的郷愁を語れる同志のような存在だったのでしょう。
ありがたいことに21世紀の我々は、Larry Semon と打ち込みさえすれば、YouTubeですぐにも彼の作品を見ることができます。それを見てタルホの慧眼に驚くかどうか?これは各自に残された宿題でしょう。
そして、その映像の向こうに、タルホが夢想してなし得なかった「天体物」のフィルム作品を思い浮かべるのも、春の宵にまことに相応しいのではありますまいか。
桜の花はすっかり散り果てましたが、代りにつやつやとした若葉に雫がキラキラと輝き、あたりにいい香りが漂いました。
★
写真は、1920年代の広告ピンバッチ(径2cm)。
おどけた顔の周囲に、「いつも笑顔で」「ラリー・シモン笑劇場 “笑え、ラリーとともに”」と書かれています。
ラリー・シモン(Larry Semon 1889-1928)はアメリカの喜劇役者。
残念ながら日本語版ウィキには、今日現在まだ項目がないので、英語版(http://en.wikipedia.org/wiki/Larry_Semon)から冒頭を適当訳します。
「ラリー・シモンは、無声映画時代におけるアメリカの俳優、
監督、プロデューサー、映画脚本家。当時のシモンは「喜劇
王」と見なされていたが、現在では「ローレル&ハーディー」
の両名、スタン・ローレルとオリバー・ハーディーがコンビを
組む以前、彼らとともに仕事をしたことで主に知られている。
彼はまた1925年の無声映画「オズの魔法使い」〔日本公開
時の邦題は「笑国万歳」〕の監督(ならびに出演)によっても
知られている。ちなみに、この映画は1939年にMGM社が
制作した一層有名なトーキー版には、ごくわずかな影響しか
与えていない。2005年に1939年版のDVD3巻セットが出た
際、この1925年版も他の「オズ」映画と共に収録され再評価
された。」
★
稲垣足穂は、彼のことを高く買っており、文中で何度も取り上げています。
「この間神戸へ「オズの魔法使」(笑国萬歳)というのがきた
ので明石から見に出かけた。僕が役者の名で出かけたのは
これが最初であるが、やはり期待にそむかぬこのコメディアンは
まるでオートマチックだ。あのトリックとも現実ともつかぬ高い
ところへゼンマイ仕掛のようにのぼって行って、超時空的に
ヒューとジャズバンドの笛のうなりと一しょにまい落ちるとき、
僕のうれしさはかなしみにさえ近い。」 (「オートマチック・ラリー」)
…と、感極まっています。
他の文章においても「天才ラリイシモン」とか、「活動で見たいのはもうラリイの他にない」とまで言い切っているので、怪人タルホにしては例外的な殊遇です。
そして、ラリーが30代で早世したおりには、「ラリー・シーモンの回想-追悼文-」という悲しみの一文を捧げています。
「君が〔…〕示してくれたスピーディな童話世界は、僕が前々
から狙っている或る斬新な芸術様式という題目の上に
多大の参考をもたらしてくれる。そしてそんな君の上に、
僕はひとつ、シラノ・ド・ベルジュラックの月世界旅行をやって
みたら……と考えていた。ゆうべ月から落ちてきた人の
ような君の舞台が、ニューヨーク夜景から星々に飾られた
虚空界に展開して、ひだ襟のついた中世服装の君が、あの
手ぶり身ぶりよろしく土星の環の上を歩いたり、故障の
起きたロケットを彗星に牽かせたり、星を口にふくんで粉っぽい
煙を吐き出したり……
〔…〕いつか君といっしょにプロダクションを興したい、というのが
僕の夢想だった。何故なら、僕の天体物がいっそう人々に
知られるためには、それがニキタ・バリエフ氏の蝙蝠座の
舞台でなかった場合、やはりフィルムを通じてでなければ
ならないからだ。こちらの大先輩、谷崎潤一郎がかつて僕の
或る作品について云った。
「あれをラリーにやらせてみたいものだね」と。
〔…〕僕は、君が暗示し、教えている方向へ進むであろう。
そしてそこに他の君たちを見出し、かれらと相提携して、
「もうしもうしお月様」と呼びかけた詩人ジュール・ラフォルグと、
月人(ゼレナード)である君の思出のために、それこそ六月の
夜のスターマインのようなフィルムを製作しよう。そして今日より
もっと賢くなり、リファインされた紳士淑女に観せよう。では、
ローレンス・シーモン君、安らかに月の方へ昇って行きたまえ。
そして三日月の長椅子にかけて、小手をかざして見ていて
くれたまえ。さようなら!」
★
タルホをして、かくまで言わしめたラリー・シモン。
タルホにとってのラリーは、単なる喜劇王ではなしに、ともに宇宙的郷愁を語れる同志のような存在だったのでしょう。
ありがたいことに21世紀の我々は、Larry Semon と打ち込みさえすれば、YouTubeですぐにも彼の作品を見ることができます。それを見てタルホの慧眼に驚くかどうか?これは各自に残された宿題でしょう。
そして、その映像の向こうに、タルホが夢想してなし得なかった「天体物」のフィルム作品を思い浮かべるのも、春の宵にまことに相応しいのではありますまいか。
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