モノ思いにふける春2010年04月16日 21時05分55秒

今日は湯船につかりながら、外の雨の音を長いこと聴いていました。

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このサイトは、「理科趣味の雅致をモノにこだわって嘆賞する」ことをうたっているのですが、モノにこだわることの有効性ということが、最近ふと頭をよぎります。

たとえば私の部屋を見回すと、当然いろいろなモノが目に飛び込んできます。
そこに置かれた様々なモノたちを眺めていると、何だか頼もしいようでもあり、痛ましいようでもあります。彼らは、あたかも結界を守る護符のごとく、また仏国土を護持する四天王のごとく、この空間に<平板な日常>が侵入するのと必死に戦っているように見えます。彼らの聖性(もしそう言ってよければ)が失われたとき、この部屋は、そして私の心は、まことに荒涼寂寞としたありさまになることでしょう。

古書にしろ、古物にしろ、彼らの力は一体いつまで、そしてどこまで有効なのでしょうか?
そもそも、私の「ヴンダーカンマーごっこ」の果てに、はたして真のヴンダーはあるのでしょうか?

濁った頭で考えているので、なんだか問いもクリアではありません。

あるいは、事態はまったく逆で、今の私は単なるモノの虜囚であり、モノの力が失われる時、私はようやくリアルな世界に還れるのでしょうか?

こういうドヨーンとした話題を書くのは、年度替りで疲れているせいかもしれません。
ゴールデン・ウィークにゆっくり休めば、たぶん回復するはず。

(↑Photo by TOKOさま。昨春の撮影。許可を得て画像を一部加工。)