本朝人体模型縁起2010年04月19日 21時56分03秒

エディさんからの連想で、人体模型の話をさらに続けます。

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人体模型の歴史に依然として関心を抱いているのですが、それを強く刺激される記事を目にしました。例の奇想系ブログ、Curious Expeditions が今度もソースです。

■Curious Expeditions:From the Voyage Vaults, Object No. 28
 http://curiousexpeditions.org/?p=861

これぞ、あっと驚く日本式人体模型。
アメリカの国立保健医学博物館(National Museum of Health and Medicine;NMHM)の展示品だそうです。記事中の説明によれば、

   ◆ ◇

「17世紀から18世紀にかけて、日本古来の医師たち(彼らは当時、
身体の働きをアジアの伝統医学や医術に従い、その外観から
推論しようと試みていた)は、患者に薬の効果を説明するのに、
人形を用いた。

この模型は、様々な器官を正確に表現したものというよりは、一連の
フローチャートを示したものである。ここには「虚」(陽)の器官として、
胆嚢、胃、大腸、小腸、膀胱、そして身体を巡るエネルギーの流れ
を調節する「3重の燃焼・加熱システム」があり、さらに「実」(陰)の
器官として心臓、肺、肝臓、脾臓、腎臓があった。」

   ◇ ◆

“triple burning or heating system”、「3重の燃焼・加熱システム」とは、漢方で云うところの「三焦」のこと。三焦は、五臓六腑のうちの「腑」の1つで、ウィキペディアにも記述(↓)がありますが、実体のない謎の器官。

■Wikipedia「三焦」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%84%A6

上の説明にもある通り、五臓六腑のうち主要器官である「臓」は<陰>、補助器官である「腑」は<陽>と見るのが、中国古来の考え方だそうです。

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さて、私は上の説明を読んで、一寸不思議に思いました。
説明文の記述では17~18世紀云々とあるのですが、この2体の人形は、それほど古いものとは到底思えないからです。

下の横たわっている人形は、その面貌や肌の色からして、明らかに幕末~明治期の「生き人形」系の作品でしょう。上のどっかと腰を下ろした人形は、色合いこそ伝統的な白色胡粉仕上げですが、そのぱっちりした目の表現からすると、これまた幕末期をさかのぼるものではないように思います(それ以前の人形の目は、概ね切れ長の「引き目」)。

たしかに古い時代にも、人体模型と呼びうるものはあって、たとえば東大の医学部には、江戸時代初期に遡る紙塑製の「胴人形」と呼ばれる、経絡を表現した人形が保管されており、また胴人形自体はさらに古くからあったとも言われます(※)。

ただ、江戸時代前期に、すでに<解剖型>の人体模型があったのかどうか。あったとすれば、我が国の人体模型史において見逃せない事実ですが、私は未だその作例を知りません。

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で、私なりにこの2体の人体模型の素性を推測してみます。

まず、下の横たわっている方の模型(生き人形風のもの)。これは、妊産婦を表現していますが、傍らに置かれた内臓(腸など)の表現がリアルなので、これは漢方医系の作品ではなしに、西洋医学系の人体模型を、日本で真似て作ったものだと思います。島津製作所標本部(現・京都科学)などが、明治中期に精巧な解剖模型の製作を始める以前の、きわめて珍しい作例だと言えます。

いっぽう、坐像の方は確かに漢方系の解剖模型ですが、こうした模型表現は実は意外に新しいのではないか…というのが私の想像です。まあ、特に物証はないんですが、デザインや発想が、いかにも西洋の解剖模型と類似しているので。

連想するのは、当時西洋の惑星運行模型(オーラリー)に対抗して、須弥山を中心とした仏教宇宙模型を仏僧がからくり師に命じて作らせたことです。それと同じように、この人体模型も、蘭方(あるいは更に新しい西洋医学)の隆盛に対抗して、幕末の漢方医が人形師に作らせたものではないだろうかと、そんなことを考えました。だとすれば、それはそれでまた興味深い事実です。

日本独自の人体模型の展開―。
興味と謎はなかなか尽きそうにありません。

(※)以下のリンク先をずっと下までスクロールすると、その実物写真が載っています。
   東京大学創立百二十周年記念東京大学展
   学問の過去・現在・未来 第一部「学問のアルケオロジー」第2章
   http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Archaeology/02/20400.html