江戸のダビンチたち ― 2010年04月20日 21時52分54秒

(↑中井履軒が手作りした「天図」、いわば素朴な和製オーラリーです。履軒を顕彰するサイト、“WEB懐徳堂”では、この天図の動きを画面上で見ることができます。以下のリンク先の右側にあるメニューから、「天図シミュレーション」を選択してください。http://kaitokudo.jp/navi/index.html)
★
昨日の記事の最後に挙げたリンク先(http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Archaeology/02/20400.html)には、冒頭、西野嘉章氏(東大総合研究博物館)の文章が掲載されています(「医学解剖と美術教育:「脇分」から「藝用解剖学」へ」)。
その巻末の注釈を見ていて、次の記載が目にとまりました。1771(明和8)年、杉田玄白と前野良沢が女性の腑分けを参観したことに始まる、近代解剖学の歴史を記述した章に付けられた注です。
“[25]儒学者の中井履軒までもが、『解体新書』の刊行
と同じ年、友人の麻田剛立の人体・動物解剖実験の結果
を纏めた『越俎弄筆』を出している。こちらの底本は
パルヘイン著簡易医学書『巴爾靴員解体書』のようである。”
麻田剛立(あさだごうりゅう、1734-1799)は、このブログにも何度か登場しました。出身地・大分では「Goryu」という焼酎まで作られているとか、そんな類の記事でしたが、もちろん彼はお酒に名前を残しているだけの人ではなくて、独力でケプラーの第3法則を(再)発見したともささやかれる、江戸時代の天才天文学者。弟子たちにも俊才・逸材が多く、剛立はいわば1つのスクール(学統)を率いて、日本の天文学・暦学を大いに振興した立役者です。
その名に、ひょんなところで出くわし、オッと思いました。
まあ、剛立は生業が医者なので、解剖を手掛けても特に異とするに足りませんが、それにしても…という感じです。さらにまた、その友人・中井履軒(なかいりけん、1732-1817)という人は、天文学や博物学全般に強い興味を示した異能の儒学者。
剛立といい、履軒といい、「万能人」を輩出する時間と空間が、どうもこの世にはあるような気がします。
中井履軒と『越俎弄筆』のことを検索していたら、下のような大変分かりやすいまとめがありました。
■眠い人の戯れ言垂れ流しブログ: 商いは学問に通ず(by 「眠い人」様)
http://nemuihito.at.webry.info/201003/article_17.html
麻田剛立や中井履軒をはじめ、木村蒹葭堂、服部永錫、山片蟠桃、高橋至時、間重富、橋本宗吉といった、きら星のような人間模様を見るにつけ、18世紀後期の大阪の奥深さ、すごさを感じます。
(そういえば夕べ、橋本府知事がテレビで、恐い顔をして「大阪都構想」を語っていましたが、まあ、そんなに口角泡を飛ばして語らずとも、もっと鷹揚に、大人(たいじん)の風格を示してはどうかと、当時の大阪のことを考えながら思いました。)
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昨日の記事の最後に挙げたリンク先(http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Archaeology/02/20400.html)には、冒頭、西野嘉章氏(東大総合研究博物館)の文章が掲載されています(「医学解剖と美術教育:「脇分」から「藝用解剖学」へ」)。
その巻末の注釈を見ていて、次の記載が目にとまりました。1771(明和8)年、杉田玄白と前野良沢が女性の腑分けを参観したことに始まる、近代解剖学の歴史を記述した章に付けられた注です。
“[25]儒学者の中井履軒までもが、『解体新書』の刊行
と同じ年、友人の麻田剛立の人体・動物解剖実験の結果
を纏めた『越俎弄筆』を出している。こちらの底本は
パルヘイン著簡易医学書『巴爾靴員解体書』のようである。”
麻田剛立(あさだごうりゅう、1734-1799)は、このブログにも何度か登場しました。出身地・大分では「Goryu」という焼酎まで作られているとか、そんな類の記事でしたが、もちろん彼はお酒に名前を残しているだけの人ではなくて、独力でケプラーの第3法則を(再)発見したともささやかれる、江戸時代の天才天文学者。弟子たちにも俊才・逸材が多く、剛立はいわば1つのスクール(学統)を率いて、日本の天文学・暦学を大いに振興した立役者です。
その名に、ひょんなところで出くわし、オッと思いました。
まあ、剛立は生業が医者なので、解剖を手掛けても特に異とするに足りませんが、それにしても…という感じです。さらにまた、その友人・中井履軒(なかいりけん、1732-1817)という人は、天文学や博物学全般に強い興味を示した異能の儒学者。
剛立といい、履軒といい、「万能人」を輩出する時間と空間が、どうもこの世にはあるような気がします。
中井履軒と『越俎弄筆』のことを検索していたら、下のような大変分かりやすいまとめがありました。
■眠い人の戯れ言垂れ流しブログ: 商いは学問に通ず(by 「眠い人」様)
http://nemuihito.at.webry.info/201003/article_17.html
麻田剛立や中井履軒をはじめ、木村蒹葭堂、服部永錫、山片蟠桃、高橋至時、間重富、橋本宗吉といった、きら星のような人間模様を見るにつけ、18世紀後期の大阪の奥深さ、すごさを感じます。
(そういえば夕べ、橋本府知事がテレビで、恐い顔をして「大阪都構想」を語っていましたが、まあ、そんなに口角泡を飛ばして語らずとも、もっと鷹揚に、大人(たいじん)の風格を示してはどうかと、当時の大阪のことを考えながら思いました。)
コメント
_ S.U ― 2010年04月21日 07時50分10秒
_ S.U ― 2010年04月21日 08時00分17秒
附記: ご紹介いただいた中井履軒の「天図」ですが、これは地球が固定された中心でありながら、恒星天が太陽の中心になっていることが確認できてありがたかったです。三浦梅園が悩んだ恒星天の回転軸の所在の問題との関係で興味深いです。梅園と中井兄弟は学問の友なので、これについては何らかの相互の影響があったかもしれません。
_ S.U ― 2010年04月21日 08時03分02秒
すみません。訂正です。ぜんぜん、違う意味になってました。
恒星天が太陽の中心になっている → 恒星天の中心が太陽になっている
恒星天が太陽の中心になっている → 恒星天の中心が太陽になっている
_ 玉青 ― 2010年04月21日 20時59分26秒
履軒は、己の領分を越えた内容だと謙譲して、自著を『越俎弄筆』と称したらしいですが、私が剛立や履軒のことを書いたりすること自体、まさに越俎弄筆の甚だしいものであり、自ら憫笑を禁じ得ません。それでもまれまれS.Uさんのお役に立てることがあるとするならば、まことに望外の幸せと申すべく。。。
_ S.U ― 2010年04月21日 21時40分51秒
いやあ私の書いているものこそ越俎弄筆ですよ。
でも、越俎弄筆も害悪相半ばくらいなら、議論になるだけ無いよりまし、ということで大目に見ていただければと思っております。
ところで、この懐徳堂webの天図シミュレーションの自動再生ですが、これは惑星の公転を示すものでしょうから恒星天の星宿の並びに対して回転方向が逆だと思います。日周運動ならこの向きで正しいですが、その時は恒星天も回さないといけないと思います。
でも、越俎弄筆も害悪相半ばくらいなら、議論になるだけ無いよりまし、ということで大目に見ていただければと思っております。
ところで、この懐徳堂webの天図シミュレーションの自動再生ですが、これは惑星の公転を示すものでしょうから恒星天の星宿の並びに対して回転方向が逆だと思います。日周運動ならこの向きで正しいですが、その時は恒星天も回さないといけないと思います。
_ 玉青 ― 2010年04月22日 06時40分10秒
>回転方向が逆
あ、本当ですね。これはいけません。
同サイトは阪大の中国哲学研究室が中心になって運営されているらしく、どうもその辺で監修が甘くなったのかもしれません。
(いや、それとも何か高遠な理由により、世界が始原のときへと遡って行く様を表現しているのでしょうか…)
あ、本当ですね。これはいけません。
同サイトは阪大の中国哲学研究室が中心になって運営されているらしく、どうもその辺で監修が甘くなったのかもしれません。
(いや、それとも何か高遠な理由により、世界が始原のときへと遡って行く様を表現しているのでしょうか…)
_ S.U ― 2010年04月22日 08時15分47秒
中井履軒や三浦梅園については、文系・理系の枠組に収まらない人達なので、監修が甘くなったり越俎弄筆になる危険があるのは本質的にやむをえないと思います。もちろん、歴史や科学の研究は事実については正確でないといけないですけど。
山片蟠桃についても少し調べていますが、これはできればハーシェル協会のほうに報告させていただきたいと思っています。(山片蟠桃とハーシェルには直接の関係はありません)
山片蟠桃についても少し調べていますが、これはできればハーシェル協会のほうに報告させていただきたいと思っています。(山片蟠桃とハーシェルには直接の関係はありません)
_ 玉青 ― 2010年04月23日 21時10分57秒
山片蟠桃のレポート、どうぞよろしくお願いします。
今、少しずつ協会HPのコンテンツの更新を進めているところです。先にお送りいただいた玉稿も、遅ればせながら、この前ようやく掲載させていただきました。他にも載せたい記事がたまっているのですが、最近は無理がきかなくなっているので、ぼちぼちやっていこうと思います。
今、少しずつ協会HPのコンテンツの更新を進めているところです。先にお送りいただいた玉稿も、遅ればせながら、この前ようやく掲載させていただきました。他にも載せたい記事がたまっているのですが、最近は無理がきかなくなっているので、ぼちぼちやっていこうと思います。
_ S.U ― 2010年04月24日 06時29分06秒
拙稿の掲載ありがとうございます。拙稿はともかくとして、A.S様のコメントがwebにあるのは貴重ですね。細切れの時間でもできることがあれば、また声をおかけください。
>最近は無理がきかなくなって
そうそう。2日間コンをつめると3日タオれるようになってきます。
>最近は無理がきかなくなって
そうそう。2日間コンをつめると3日タオれるようになってきます。
_ 玉青 ― 2010年04月24日 08時56分31秒
ありがとうございます。まさに勇気百倍です。
いずれ是非力をお貸しください。<(_ _)>
いずれ是非力をお貸しください。<(_ _)>
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幕府の体制から一歩ひいたところから余裕を持って批判的に見る、ということがこれにつながったのだと思います。「奥深い、すごい」といわれるような学問は時局に乗ってしまったのでは決してできません。また、大阪のおっさん・おばはんには、「ようわからへんけど、こらおもろいわ」という心の広さがあり、推進力になったと想像します。
大阪の沈降が言われて久しいように感じますが、実はここ30年ほどのことで、それ以前の大阪は少なくとも東京と二極で対抗するだけの文化的・経済的地位を保っていたように思います。しかし、現在では地方の一つになってしまった感じです。橋下知事もそれを感じてあせっているのかもしれませんが、大阪の「復興」にはまず心の余裕が必要でしょう。