太陽のカップル2010年05月10日 19時45分37秒

(一昨日の記事のつづき)

グリニッジ上空の満天の星と銀河。深い青色の表紙に金の文字。
このため息の出るほど美しい装丁の本、「The Heavens and Their Story(天界の物語)」を著したのは、イギリスの天文学者、アニーとウォルターのマウンダー夫妻です。

世の中に真に幸福な結婚というのがあるとすれば―世間では、あからさまに不幸でなければ幸福と見なすという美風もあるようですが―マウンダー夫妻の場合がそれでしょう。

夫のウォルター(1858-1928)は、太陽黒点の研究で知られます。そして、妻のアニー(1868-1947)も一流の天文家として活躍しました。マウンダーの名は、「マウンダー・ミニマム(マウンダー極小期)」として知られる天文事象によって、たぶん最も有名。これは17世紀後半から18世紀初めにかけて、約70年間にわたって、太陽黒点が限りなくゼロに近かったという天文学上の事実を指します。

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二人の仲を取り持ったのも太陽でした。

ウォルターは1873年以来、グリニッジで写真撮影・分光部門を担当し、太陽と黒点の定期観測に力を入れていました(ほかに火星の観測も行い、火星の「運河」は目の錯覚だという説を立てました)。そして最初の妻と死別した後、1890年にアニーと出会ったのです。アニーはケンブリッジのガートン・カレッジで数学を修めた才媛で、この年、グリニッジに計算係として採用されました(コンピュータがない当時は、複雑な天文計算の専従スタッフが必要だったわけです)。そしてウォルターの助手をつとめ、太陽観測にも取り組むようになりました。

上の図は、『天界の物語』からとった、有名なマウンダーの蝶形図(少し歪んでいるのは、スキャン画像ではなく、デジカメ撮影のため)。左下にウォルターのサインが見えます。蝶形図は、太陽面での黒点出現位置をプロットすると、年単位で緯度が徐々に変化することを示したものですが、右側の「蝶」は1890年にはじまり1901年に終っています。これは二人の出会いから新婚時代までにあたるので、何だか蝶というよりもハートのマークのように見えます。(とはいえ、1901年で二人の愛が終わったわけではなく、そこからまた新たなハートが始まっているのが、ちらっと見えます。)

ふたりの結婚は1895年ですが、その前の年はちょうど太陽活動の極大期にあたります。続々と現れる黒点群は二人の距離をぐっと近づけ、そこにはいろいろなロマンスがあったんじゃないでしょうか。まさに「熱い」カップルですね。

当時は「寿退社」が慣例だったので、アニーも結婚を機にグリニッジを退職しましたが、彼女はその後も天文学の研究を続けました。天の川の写真研究や、ウォルターとともに海外への日食遠征(当時は大変なことでした)など。第1次大戦中にはボランティア・スタッフとしてグリニッジに復帰し、英国天文学連盟(BAA)発行の学術誌の編集委員を長くつとめ、さらには王立天文学会初の女性会員にも選ばれました。

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さて、『天界の物語』の中身を見ようと思ったのですが、前置きが長くなったので(というか、今読んでいます)、それはまた次回。

(この項つづく)