アニー・マウンダー、『天界の物語』2010年05月15日 21時06分38秒

(5月10日の記事のつづき)

『The Heavens and Their Story(天界の物語)』は、このおしどり研究者の共著になっていますが、実際にはアニーの単著です(序文でウォルターがきっぱりそう述べています)。

この本は、同じ出版社から出ている『The Flowers and Their Story』や『The Birds and Their Story』といった「物語」シリーズ中の1冊。したがって、出版社側からあらかじめタイトルを指定されて、執筆依頼を受けたのでしょう。

しかし、アニーはこのタイトルが最大限生きる本の構成を考えました。
たとえば月の物語。著者は、バビロニア神話に出てくる月神の娘イシュタルの話をものがたります。

「イシュタルは冥界に下る決心をすると、何人たりとも
戻ることのできぬ“永遠の館”、すなわち真の闇と飢え
が支配する館へと向かった。イシュタルが途中7つの
門を通るたびに、その輝きは徐々に失われ、最後の門
をくぐった時、彼女は全ての光を失った。

そこで神々が集まって相談し、涙にかきくれる彼女の
父神と、太陽神とが、冥界の王に懇願した。イシュタル
を帰してやってほしいと。彼女が帰途に就き、7つの門
を通るたびに、門番たちは彼女に光を与えた。そして
全ての光を取り戻したとき、彼女は再び栄光の玉座に
ついた。」


『天界の物語』は、こうしたロマンチックな話からなる玉手箱…と思ったら大間違い。アニーは、上の神話に続けてこう書いています。

「この物語はたしかに美しい。しかしこれは単なる
お伽話にすぎません。知識を伝える話ではないのです。
これは月が私たちに読ませようと思って書いている
物語ではありません。」

要するに、アニーが言う「物語」とは、空想の産物ではなく、注意ぶかい観察によって明らかになる事実のことです。「空は1冊の本であり、天体はそのページに様々な物語を綴っている。物語の中には、簡単に読み解けるものもあるし、そうではないものもある。しかし、注意ぶかく観察すれば、その物語は必ず読み解けるはずだ」というのが、天文学の研究者であるアニー・マウンダーの拠って立つ足場なのです。

こう言ったからといって、この本が無味乾燥な本だと思ったら、これまた誤りです。この本は児童・生徒向きの本ですが、第一線の研究者としての彼女の学識がおしみなく投入された、これはこれで熱い本ですね。というより、神話よりも「本当の」天文学が教えてくれる事実の方が、彼女にとっては遥かにロマンチックだったのだと思います。

ウォルターとアニーの間には子供ができませんでしたが、ウォルターには先妻との間に生まれた子供が6人もいたので、アニーはいきなり肝っ玉母さん的な生活に投げ込まれたわけですが、それでうまくいったのは、彼女が母性的で円満な人柄だったからでしょう。そうした人柄も、この本にはよく反映されているように感じます。

(何だかしまりがありませんが、この項さらに続く)

コメント

_ S.U ― 2010年05月16日 08時01分31秒

私は、「マウンダーの蝶型図」が「シュペーラーの法則」に基づいているにも関わらず、なぜマウンダーの名を冠しているのか疑問に思っていました。シュペーラーの法則は学界で埋もれていて、それをマウンダーが図示してから有名になったということかもしれませんが、それ以外の理由がありそうにも思います。

 それは、「マウンダー極小期」の発見者もシュペーラーだからです。Wikipedia英語版によると、「マウンダー・ミニマム」は比較的最近の1976年にジョン・エディが名付けたもので、マウンダーの黒点出現緯度変化の研究(つまり、蝶型の研究)にちなんだものだそうです。しかし、これについてマウンダーはシュペーラーの論文を引用しているということですし、また、観測事実としてのマウンダー極小期は、エディが命名する以前から広く知られていた(※)ので、シュペーラーの指摘があることもそこそこ有名だったのではないかと思います(※※)。なぜ、エディがわざわざ17世紀の極小現象にマウンダーの名を冠したのか疑問が残ります。

アニー・マウンダーの「物語」はどうかわかりませんが、蝶型の図のように、マウンダーさんには何か人を惹きつけるものがあったのかもしれないと思いました。

※ 私の記憶では、エディの研究以前には、17世紀の太陽観測は必ずしも信頼できないとされてマウンダー極小期の実在そのものが疑問視されていたと思います。これに決着をつけたのがエディの業績で、彼がこの現象に命名する値打ちは十分にあったと思います。

※※ 同じくエディによって別に「シューぺーラー極小期」というの15~16世紀に設定されていますので、エディがシュペーラーを無視したわけではないのですが、命名由来としてはややこしい話になりました。

_ 玉青 ― 2010年05月16日 20時40分23秒

ご紹介いただいた英語版ウィキから、エディの原論文がリンクされていますね(http://bill.srnr.arizona.edu/classes/182h/Climate/Solar/Maunder%20Minimum.pdf)。

それを走り読みすると、エディも何故シュペーラーではなくマウンダーなのか、その理由をはっきりとは書いていませんが、

①マウンダーとシュペーラーの研究は、ほとんど同時期に行われていたこと、
②シュペーラーは自分の発見した現象を十分深める前に没したが、約30歳年下のマウンダーには、この研究に多くのエネルギーを注ぐ時間があり、実際そうしたこと、
③マウンダーには、"A Prolonged Sunspot Minimum"という論文(1890)があり、「ミニマム」を冠するには、より適切に思えたこと

等が理由となって―あるいはさらに英語圏びいきの思惑が働いたかもしれません―、「マウンダー・ミニマム」の命名に至ったのではないでしょうか。特に、1190ページの中段を読むと、どうもそんな感じがします。

まあ究極の答はエディに聞くしかないかもしれませんが…。

_ 玉青 ― 2010年05月16日 21時03分10秒

S.Uさんが問題にしているのは、蝶形図の話でしたね。「極小期」の方にコメントしてしまい、ちょっとピントがずれました。

ズレついでに言うと、「極小期」の方は、たぶん、「シュペーラー=マウンダー極小期」とすれば、より適切だったでしょう。で、蝶形図の方は「マウンダー=シュペーラーの蝶形図」と呼んで、バランスを取るとか…ちょっと紛らわしいですかね(笑)。

_ S.U ― 2010年05月16日 22時53分50秒

おぉ、原論文までご調査いただきましてありがとうございます。
シュペーラーの見つけたものになぜマウンダーの名がついたのかが私の疑問ですから、それは、蝶形図も極小期も両方であります。
 私は、Wikipediaの何行かを読んで、蝶形図をつくった業績がエディがマウンダー・ミニマムの名を付けた理由だと思って早とちりをおりました。論文によりますと、マウンダーもまたシュペーラーにならって極小期のデータ調査をしたようですね。ご推測の通りかもしれません。

 「シュペーラーの法則」のほうは、図示のやりかたが違ったのかもしれません。こちらはもっと古い論文を見る必要がありますね。

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