にわか博物学者の気分で ― 2010年05月23日 17時19分09秒
銅版手彩色の重厚な博物図譜。
荒俣宏さんの本を読むと、そういうものは「ひたすら高い」というイメージを持つのですが、古書の世界に親しむにつれて、「高いものもあれば、安いものもある」という、考えて見れば当たり前のことが分かってきました。
荒俣宏さんの本を読むと、そういうものは「ひたすら高い」というイメージを持つのですが、古書の世界に親しむにつれて、「高いものもあれば、安いものもある」という、考えて見れば当たり前のことが分かってきました。
安いものというのは、要するに量産されたものです。
当の荒俣氏も『図鑑の博物誌』(リブロポート)の中で、次のように指摘しています。
「多くの国で動植物図鑑が1850年を境に圧倒的魅力を失って
いくのは、なにも制作技術やセンスだけの問題ではない。
最も重要な点は、現物を直接目撃した原図の制作者がその
とき味わった感動や衝撃が、模倣図では完全に抜け落ちて
しまうことである。
博物学図版を収集していて、いちばん失望させられることは、
新しく入手した図譜がすべて他の図鑑からの模写で埋まって
いるのに出合うときである。模写は決してオリジナルを越える
ことができない。その意味で、偉大なオリジナル・デザインの
図鑑時代は1850年代でほぼ終わっていると考えて誤りはない
だろう。出版文化が大衆のものとなり、博物学が民衆的興味を
克ち得るにしたがって、皮肉にも博物学図鑑の黄金時代は
遠くへ隔たってしまうのだ。」
(「コピー文化としての図鑑」、上掲書pp.191‐193)
ジョン・リチャードソンらが制作した、この『自然誌博物館』(1860年ごろ)は、まさに既存の本のコピーで埋まっている例ではなかろうかと思います。
とはいえ、ごくリーズナブルな価格で、手彩色のオリジナルの博物図鑑が手に入るのですから、これは嬉しい事実にはちがいありません。(この2巻本は、『世界大博物図鑑』の任意の2冊よりも安価です。単純に手間賃だけ考えても、今これと同じ本をその値段ではとても作れないでしょう。しかも、そこに歴史的価値が加わるのですから、これはやっぱり安いと思います。)
この本は学問的著作というよりは、たぶん一般家庭の書棚をデコレートする目的で作られたのでしょうが、こうして机の上に開けば、何となく博物学者になったような気分です。(考えてみれば、これこそ当初の制作目的に叶う正しい享受の仕方かも。)
■DATA■
Sir John Richardson, et al.
The Museum of Natural History (2 Vols).
Mackenzie, Glasgow, No Date (c. 1860).
高さ27cm, 本文446 pp. + 406 pp, 手彩色図版83葉入り
(「銅版」と書きましたが、木口木版のようです)
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