その後のジョバンニ2010年06月20日 08時52分40秒

人間の心にも、またその反映であるブログ記事にも、慣性の法則は働くもので、昨日からいろいろな想念が流れ続けています。何となくそのことを書かねば気が済まないので、これは全然天文とは関係ない、むしろ人事の話ですけれど、書きます。

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『銀河鉄道の夜』はあの後どうなったんでしょうか?
考えれば考えるほど、あの物語は「美しいお話」では終わらないような気がします。賢治はそのことをどこまで念頭に置いてたんでしょうか。

カンパネルラはもういません。でも他の登場人物は、否応なくあの世界を生き続けねばならないわけで、そこにはさらにいろいろなエピソードが続くことでしょう。

北の国で消息を絶ったジョバンニのお父さんは、本当に帰ってくるのでしょうか?
先生は、銀河の話を次の理科の時間も続けると予告していました。ジョバンニはどんな気持ちでそれを聞くのでしょう。先生の説明に抗議して、車窓から見た銀河の光景を激しい言葉で語るんでしょうか?
カンパネルラのお父さんは、亡き愛息の部屋に佇んで、繰り返し慟哭することでしょうね。彼の後半生は、あの事件ですっかり思い描いていたコースを外れてしまいました。その思いや如何に?

いちばん気になるのは、ジョバンニとザネリの関係です。
自らを犠牲にして、他者を救うことの尊さを、ジョバンニは銀河の旅で学んだはずです。
しかし、現実の世界に立ち返り、再びザネリと毎日顔を合わせねばならないとなれば、ジョバンニの心中は複雑だったはずです。

相手は親友が身を挺して救った少年。親友の気持ちを考えれば、ジョバンニもザネリが救われたことを喜び、祝福しなければならないのでしょう。「でも、何でお前が生き残り、カンパネルラが死ななければならなかったんだ?お前が死ねばよかったんだ!」ジョバンニの心には、抑えても抑えきれないドス黒い怨念が繰り返し噴き出し、そのことが彼を非常に苦しめたんではないでしょうか。

さらに、ジョバンニはザネリを責める心の一方で、カンパネルラに対しても複雑な思いを抱いたかもしれません。一見、カンパネルラは勇気も思いやりもある、光輝に満ちた立派な少年のように見えます。でも考えてみれば、彼は生前ジョバンニよりもザネリたちを択んだのであって、やっぱり大勢から疎んじられるのは怖いと感じる、ふつうの少年に過ぎません。

「カンパネルラ、君は命がけでザネリを助けたくせに、なぜ僕を見捨てたんだい?なぜ僕ではなく、あんな奴らの仲間になったんだ?君は僕が川に落ちても、助けてくれたんだろうか?君がいなくなって、僕は本当にひとりぼっちになってしまったよ。君は自分が命を捨てたことを、お母さんが許してくれるかどうか気にしていたね。でも、僕が許すかどうかまでは考えなかったのかい?」

ザネリも辛かったでしょうね。ジョバンニからも、ほかの子供や大人たちからも、無言の圧力を感じて、「本当に、何で僕が生き残ってしまったんだろう!」と、後悔することもあったでしょう。ザネリの両親も、カンパネルラの両親と顔を合わせるのは辛かったはずです。あるいは、ザネリ一家はその後ひっそりと引越してしまったとか?

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ジョバンニ(やザネリ)は、こんなふうに心に傷を抱えて、大人になっていくのでしょう。
どんな大人に?
父の後を継いで船乗りに?
苦学の末に教師となり、いつか教壇で銀河の話をするのでしょうか?

素顔ノ甲虫女王、現ハル!2010年06月20日 10時28分01秒

ジョバンニの記事を書きあげて朝食の席につき、おもむろに朝刊を開いたら、ワールドカップ報道のかたわらに、「えっ」と驚く記事が。
これは捨ててはおけないので、今日は2連投です。

自ブログをキャプチャーするのもどうかと思いますが、こんな記事が1年前あったのを覚えておいででしょうか。


内容は、ジェシカ・オーレックという人が制作した、日本の昆虫趣味に取材した奇怪なアメリカ映画、“Beetle Queen Conquers Tokyo”の紹介でした。記事を書いたときは、これは本気なのか、パロディなのか、制作意図をはかりかねていました。

そのジェシカさんが、今日の朝日新聞の「ひと」欄に登場し、映画制作の背景を語っています。(ジェシカさんて、こんな妙齢のご婦人だったんですね。)


+++++++++++++++++++++(引用ここから)+++++++++++++++++++++++

 屈折した昆虫少女だった。緑豊かなルイジアナ州やコロラド州で育
ち、幼稚園に入る前から大の虫好き。なのに、お気に入りの昆虫やヘビ
の皮を見せると、友だちも先生も露骨に不快な顔をした。
 「虫好きは米国ではすごく肩身が狭い。だれも家で虫なんか飼わない
し、デパートに売り場はない。変わり者扱いされるのが嫌で、中学以降
は昆虫趣味を隠しました」
 日本の昆虫熱を知ったのは2006年暮れ。博物館の講座で「大昔か
らトンボやチョウをめでた国。今でも昆虫をペットとして飼う」と知り、
脳天がしびれた。そんな夢のような国が地球上にあったんだ!
 にわか仕込みの日本知識と大学で習った撮影技法を携えて、07年夏、
初めて日本を訪ねた。2カ月の間に日光、東京、静岡、大阪、京都、兵
庫・たつのをめぐった。
 ごく普通の人々がスズムシとキリギリスの羽音の違いを識別できるこ
とに驚嘆し、ホタルを悲恋の象徴と感じる文学性にクラクラした。高級
車フェラーリに乗る昆虫業者に頼み込んで採集にも同行した。
 なぜ日本ではこれほど虫が愛されるのか。古事記や源氏物語まで調べ
てたどりついた結論は「もののあはれ」だ。「日本の人々は虫たちのは
かない生命に美を感じることができる。米市民にはその文化がない」
 初監督作品「カブト東京」が米国で公開中だが、客足はさえない。日
本で上映する方策を探っている。(文・山中季広 写真・坂本真理氏)
                                                        【朝日新聞 2010年6月20日】
+++++++++++++++++++++(引用ここまで)+++++++++++++++++++++++

本当に、本気で、まじめに作った映画だったとは!
アメリカには昆虫文化がほぼ完全に欠落しているようですね。
なるほど、それならば日本が驚異の国に見えても不思議ではありません。
我あめりか文化ヲ誤解セリ。

まあ、それにしても過剰解釈の入った変な映画であることには変わりがなく、日本で上映しても客足が伸びるかどうかは定かではありません。