名和昆虫博物館訪問(3) ― 2010年07月20日 21時40分17秒
猛暑が各地を襲っているようです。
改めて暑中お見舞い申し上げます。
改めて暑中お見舞い申し上げます。
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名和昆虫博物館の内部につづき、古い絵葉書↓に写っていた「昆虫碑」の現況を見に行きました。
台座を含めると人の背丈よりも大きな、見上げるような感じで昆虫記念館の横に立っています。
絵葉書でも大木の脇に写っていましたが、今ではその大木がさらに「巨木」になっていて、そこだけがちょっとした鎮守の森のようになっています。
碑の裏側に回ると、そこには以下のような文字が刻まれています。
「揮毫 真宗本願寺派管長事務取扱 六雄澤慶
意匠 正五位勲四等工学博士 武田五一
大正六年十月八日 還暦記念 名和靖 建之」
真宗本願寺派というのは、いわゆる「西本願寺」のことです。
名和靖は、科学的な昆虫知識に基づく害虫駆除観念の農村普及に熱心で、これを「昆虫思想」と呼んでいました。そして、その普及過程で名和は仏教教団と提携し、「無益な殺生はいけないが、国家に益する駆虫は善である」という、かなり強引なプロパガンダを展開していました。西本願寺との結びつきはその頃から強固だったようで、岐阜の西本願寺別院の境内には、彼が明治45年に建立した「駆虫之碑」が今も残っているそうです(瀬戸口明久『害虫の誕生―虫からみた日本史』、ちくま新書、2009)。
ここでは「駆虫之碑」から「昆虫碑」へと、よりニュートラルな名称になっていますが、この碑には、単なる害虫慰霊のみならず、昆虫一般を等しく供養する意図が込められているのでしょう。さらに、還暦を迎えた名和の、昆虫と共に歩んだ人生を回顧する思いがこもっているようでもあります。
ところで、昆虫碑の建立をウィキペディア(名和昆虫博物館の項)では、1919年(大正8年)としていますが、これは写真のように、1917年(大正6年)が正しいのではないでしょうか。ちなみに名和が還暦(数え年で60歳)を迎えたのは、前年の1916年のことです。
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さて、今回のおみやげは、ギフチョウの表紙のオリジナル・ポストカードセット。
ちゃっかり名和館長のサインもいただきました。
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最後に、名和昆虫博物館の感想を一言。
現在の同館は意図的に子供向けの施設となっているので、いわばデパートの昆虫展と同じノリの空間です。これは博物館を存続させるために、進んでそういう選択をされたのだと思いますが、ただ少子化が一層進みつつある現在、今一度「おとな回帰」をされてはどうかなあ…と思いました。
その歴史的外観に合わせて、内装も展示方法も、もっとビターな重厚感を醸し出してほしいというのが、「天文古玩」的願望です。なんといっても大正時代から昆虫一筋で存続している稀有な存在なのですから、昭和ファミリー感覚を超えて、一気に大正チックな味わいを売りにしてほしいですね。
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