続・デロールの鉱物掛図 ― 2010年08月04日 20時20分45秒
鉱物掛図の話の続き。
実は、このあいだの掛図には相棒がいます(2枚セットで売っていました)。こちらは更に保存状態が悪く、べこべこになっています。
実は、このあいだの掛図には相棒がいます(2枚セットで売っていました)。こちらは更に保存状態が悪く、べこべこになっています。
デロールのカタログを見たら、相棒の方も、「No.234 鉱物 ― 50種、色刷り」として、名前が挙がっていました。「デロールの学校博物館」シリーズ全261種の中で、鉱物を描いた掛図は、これらを含めて全3種(ただし、化石は除く)ですから、やっぱり鉱物掛図はマイナーな存在です。
で、ふと思うのですが、これはフランスに限らず、日本でも、どこでもそうだったんじゃないでしょうか。
そう思う根拠は単純で、学校で習うような鉱物はレアな品よりも、ごく一般的なものがメインなので、それなら絵で見せるよりも、実物を見せたほうが手っ取り早かったのではないか、つまり、鉱物標本は流通・保管が容易なため、学校備品としての普及も早く、あまり掛図に頼る必要がなかったのではないか…というのが、私の推測です。(何せ、学校備品どころか、学童1人1人が所有する鉱物標本セットまで普及していたぐらいですから。→こちらを参照)
で、話の焦点は、鉱物趣味の普及過程と、そうした愛らしい鉱物標本セットがどのように生れたか?ということに向うのですが、それについて、最近ちょっと興味深い資料を目にしたので、そのことを近いうちに書いてみようと思います。
(後日につづく)
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