ある学校天文台のものがたり ― 2010年08月10日 23時31分41秒
そこは小高い丘の上。
息を切らして丘を上ると、藪の中に埋もれるようにして、丸いドームがひっそりと立っています。もはや鉄板葺きのドームはすっかり朽ち果て、ところどころに大穴が口を開けています。
穴から中を覗くと、おや、何か鬼気迫るものがすっくと立っているではありませんか。
よく見れば、巨大な望遠鏡と、その架台です。誰にも看取られることなく、ドームとともに果てた望遠鏡が、シルエットだけは昔のままに立っているのです。鏡筒にはツタが巻き付き、朽ち錆びた湿った金属の匂いが鼻をうちます。
ここにあるのは、一種の廃墟美です。
しかし、かつては― 今から60年前には、ここにも活気と笑顔と嘆声があふれていました。
この天文台は、高校生が自ら図面を引き、資材を運び上げ、みんなで力を合わせて作った天文台なのです。望遠鏡の鏡筒には、戦争で使われた、巨大な砲弾の薬莢が再利用された…というのも、時代を象徴しています。戦後民主教育の旗が、高らかに翻っていたあの頃。世の中は貧しくとも、漆黒の空にはざらざらと星が輝き、少年少女たちの遠い夢と憧れを誘いました。
当時のにぎわいを記憶にとどめるのは、今では少数の老人と、朽ち果てた天文台のみです。
★
…というふうに感情移入しながら、昨日届いた雑誌『天界』の記事を読みました。
興譲館高校(岡山)の学校天文台の今昔を綴った、大野智久氏の「還暦迎える興譲館天文台」という文章です。主鏡を提供した鏡面研磨の第一人者・木辺成麿氏や、建設を指揮した同校教諭の三須佳木氏、当時の在校生の池田襄氏などのエピソードを交えつつ、往時の天文界の一断面を記した、たいへん興味深い内容でした。
■大野智久「還暦迎える興譲館天文台」
『天界』(東亜天文学会機関誌)、91巻、第1023号、pp.254-257.
【8月11日付記】 言うまでもないことですが、★印より上は、私の私的解釈がまじった記述で、大野氏の文章の直接の引用ではありません。
息を切らして丘を上ると、藪の中に埋もれるようにして、丸いドームがひっそりと立っています。もはや鉄板葺きのドームはすっかり朽ち果て、ところどころに大穴が口を開けています。
穴から中を覗くと、おや、何か鬼気迫るものがすっくと立っているではありませんか。
よく見れば、巨大な望遠鏡と、その架台です。誰にも看取られることなく、ドームとともに果てた望遠鏡が、シルエットだけは昔のままに立っているのです。鏡筒にはツタが巻き付き、朽ち錆びた湿った金属の匂いが鼻をうちます。
ここにあるのは、一種の廃墟美です。
しかし、かつては― 今から60年前には、ここにも活気と笑顔と嘆声があふれていました。
この天文台は、高校生が自ら図面を引き、資材を運び上げ、みんなで力を合わせて作った天文台なのです。望遠鏡の鏡筒には、戦争で使われた、巨大な砲弾の薬莢が再利用された…というのも、時代を象徴しています。戦後民主教育の旗が、高らかに翻っていたあの頃。世の中は貧しくとも、漆黒の空にはざらざらと星が輝き、少年少女たちの遠い夢と憧れを誘いました。
当時のにぎわいを記憶にとどめるのは、今では少数の老人と、朽ち果てた天文台のみです。
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…というふうに感情移入しながら、昨日届いた雑誌『天界』の記事を読みました。
興譲館高校(岡山)の学校天文台の今昔を綴った、大野智久氏の「還暦迎える興譲館天文台」という文章です。主鏡を提供した鏡面研磨の第一人者・木辺成麿氏や、建設を指揮した同校教諭の三須佳木氏、当時の在校生の池田襄氏などのエピソードを交えつつ、往時の天文界の一断面を記した、たいへん興味深い内容でした。
■大野智久「還暦迎える興譲館天文台」
『天界』(東亜天文学会機関誌)、91巻、第1023号、pp.254-257.
【8月11日付記】 言うまでもないことですが、★印より上は、私の私的解釈がまじった記述で、大野氏の文章の直接の引用ではありません。
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