古いビン…棚の奥から(6)2010年08月13日 09時35分17秒

そういえば、つい忘れていましたが、まだ棚の奥への旅は続いていたのでした。
今日の道程は標本を入れた古いビンです。


これは明治に創設された女学校からの放出品ですが、中に入っているものはバラバラです。元は何か一貫した収集方針があったのかもしれませんが、一種の無作為抽出によって私の手元に届いたので、これだけ見ても、本来の収集意図がさっぱり分かりません。

三椏(みつまた)と雁皮(がんぴ)は、和紙の原料(ともにジンチョウゲ科)。
黄連(おうれん)は、薬草(キンポウゲ科)。
そして台湾産の愛玉子(あいぎょくし、オーギョーチ)は、果物(クワ科)。

うーん…ひょっとしたら、これらは「有用植物」という、非常に大雑把なくくりで棚に並んでいたのかもしれません。


それにしても、戦前の愛玉子を身辺に置いている人は少ないでしょう。
(自慢にならない自慢)

   ★

ときに、ビンという字には、「瓶」と「壜」の2つがあります。

手元の字書によれば、「瓶」とは「かめ。口の小さいつぼ型の容器」または「とっくり型の容器のこと」とあります。いっぽう、「壜」の方は、本来の音は“タン”または“ドン”で、“ビン”と読むのは「瓶」と誤って混用したためだとあります。意味は、「かめ。胴が太くて、容量の大きい酒がめ」、あるいは「とっくり型の、ガラスや陶器の大きいびん」だそうで、要するに小さいものが「瓶」、大きいものが「壜」だという説明です。

でも、私は大小を問わず、何となく「壜」のほうが好きです。
字面から、ガラスの肌に水滴が付き、うっすらと曇っている様子を連想するせいかもしれません。

コメント

_ タクミ ― 2010年08月14日 13時38分23秒

末尾のくだりをお読みして密かに同感しました。
ブラッドベリの「十月はたそがれの国」に「壜」という短編がありましたが、あの怪しさは確かに「壜」でなければなりませんね。
とはいうものの、"食卓の上のジャムのビン"などという際はやはり、「瓶」に軍配があがるような気もいたします。
中身の陽気・陰気によるのでしょうか…不思議なものです。

_ 玉青 ― 2010年08月14日 20時03分04秒

ジャムのビンは「瓶」でじゅうぶん間に合いますね。
しかし、壜は何といっても、“容量の大きい酒がめ”だそうですから、これは瓶ごとき(笑)の敵う相手ではなく、勝負は最初からあったとみるべきでしょう。壜は、陰陽二気を併せ呑む、偉大な存在といえるかもしれませんね。(今しがた、壜の効験を実地に確かめたところですので、ちょっと発言に穏当さを欠きますが、どうぞご容赦ください。。。)

_ nona ― 2010年08月17日 23時02分03秒

あ、わたしも“壜”派かも。(^^)
ビンの大きさには関係なく、
たいてい“壜”の字を使ってしまう気がします。
この字の雰囲気が好き、なのかしら?(無意識に?)

愛玉子…思い出したらまた食べに行きたくなりました。
上野・桜木のその名も“愛玉子”のお店では
レモンシロップをたっぷりかけてくれます。
(あんまりレモンって香りは感じなかったですけれど (^^))

_ 玉青 ― 2010年08月18日 07時10分02秒

ビンの魅力は、ガラスという素材の魅力による部分も大きいのでしょうけれど、私の場合、「瓶」の字を見ると、脳がまず「かめ」と変換してしまうので、そうすると陶器のあの「かめ」が浮かんで、ちょっとガラスの質感と遠くなる…というのも、「壜」を愛好する理由かな?と、ふと思いました。

上野の愛玉子は、よく雑誌とかで紹介されているのを見ますけれど、まだ行ったことがありません。何となく未来永劫続くとは思えないタタズマイなので(笑)、早めに行きたいですね。

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