空の青、本の青(2) ― 2010年09月03日 20時33分09秒
この前載せた、青い表紙のしゃれた本、『大空と宇宙で半時を』。
この本は「The Half-Hour Library(半時シリーズ)」の1冊で、他にも『極東で半時を』、『北の果てで半時を』、『野生の森で半時を』、『地面の下で半時を』 etc., いろいろなタイトルが出ています。 副題に “for young readers” とある通り、主に学校の生徒向けに、世界の地理や自然、科学の知識を平易に語った叢書です。
この本は「The Half-Hour Library(半時シリーズ)」の1冊で、他にも『極東で半時を』、『北の果てで半時を』、『野生の森で半時を』、『地面の下で半時を』 etc., いろいろなタイトルが出ています。 副題に “for young readers” とある通り、主に学校の生徒向けに、世界の地理や自然、科学の知識を平易に語った叢書です。
この『大空と宇宙で半時を』は、気象と天文の知識を説いた巻。ボリューム的には天文の方が手厚く、気象2に対して天文3ぐらいの割合でページを割いています。
↑口絵より。「ELECTRICAL STORMS」
章立てを列挙すると、「風と嵐」、「雲の間で」、「雨」、「霜と雪」、「電気」、「宇宙の旅」、「太陽」、「月」、「惑星と彗星」、「光」、「流星雨ほか」という内容。
この本は、以前も書いたように、著者不明です。
タイトルページに名前がないのはもちろん、序文も後書きもない本なので、著者については全く手がかりがありません。
そんな正体不明の著者ですが、文中ではやけに饒舌で、「私が昨年西インド諸島にいたとき…」とか、「少なくとも私が気球から観察した限りでは…」とか、いきなり一人称で語りかけてきます。そして読者にむかって、「さあ、以上の説明で、君たちにも十分わかってもらえただろう」と親しげに(時に押しつけがましく)説いてくるのです。
「私」が語っているのは、「私」の存在同様、あるいはすべて架空の体験なのかもしれません。何となく「講釈師 見て来たような嘘を言い」という感じもしますが、でも、その「見て来たような」描写が、当時の年若い読者にはアピールしたのでしょう。
上は表紙のデザインにもなった挿絵、 「ABOVE THE CLOUDS, NIGHT」。
層雲の上に浮かび出た気球からの眺め。これは名画ですね。
この絵も、著者である「私」が乗った気球として描かれています。
(この項つづく)
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