復活の日。生は死にうち勝ちたり。2010年09月17日 17時58分05秒

  泉下に赴く者はふたたび帰らじ
  まこと死の旅路は永遠なり
  もって死は畏れるべく
  生はいとおしむべし

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…と、理屈ではわかっていても、人々のこころは、なかなか身近な人の死を受け入れることはできないものです。葬式が済み、埋葬を済ませても、なんとなくその人の気配を周囲に感じたりすることはありませんか?お盆やハロウィンの風習も、迷信などでは決してなく、むしろ人々の「こころの現実」に照らせば、それこそが「リアル」な世界の理解の仕方なのでしょう。

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いや、こころの世界だけではなく、死者は実際にひょっこり還って来るのです。
皆さんは死者に出会ったことがありますか?
私はあります。
あまつさえ言葉を交わし、出会った証拠の品までもらいました。

それは他でもありません。つい昨日の晩のことです。
昨年の春、私の目の前で事故死した親友の亡骸を、私は半ば哀惜の念から、半ばどう処置してよいものか分からず、一室に安置しておきました。ひょっとしたら、甦るかもしれない…そんな漠然とした予感が既にあったのかもしれません。もちろん彼の死は専門家も確認済みでしたから、そんなことはあり得ないはずで、私の高慢な理性は、己の行為を冷ややかに憫笑していました。

しかし、一年余りたった昨夜。
ほぼミイラ化した彼の亡骸と、久しぶりに対面した私は、ふと「電気の作用を彼の身に及ぼしてみてはどうだろう?」と思いついたのでした。電気の刺激が生体に―この場合、死体ですが―種々の効果を現すことを、西洋の書物を通じて知っていたからです。

おずおずと電線をつなぎ、彼の身体に電撃を加えた瞬間、彼はカタコトと乾いた声で何やら呟いたかと思うと、ぱっちり目を開けたではありませんか。そのときの私の驚きと喜びといったら!!

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…前振りが長くなりましたが、去年の5月にHDDクラッシュで絶命した先代のノートパソコンが、何と突然復活しました。異音と共に完全に沈黙したハードディスクが、なぜ生き返ったのかは分かりませんが、しかし、死んだ人が甦るなら、壊れたパソコンが自然に直ることもあるのでしょう。

まあ、彼がいつまでこの世にとどまっているかは分からないので、この機会に大切なデータを大至急レスキューしたことは言うまでもありません。

これまで入手したモノたちの記録が復活したのは嬉しかった。骨董やアンティークというほど大袈裟な物ではないにしろ、古物にとって来歴はやはり重要なので(重要と思わない人もいますが、私はモノにまつわるエピソードが好きな方です)、それが戻ってきたのは近来まれに見る快事、祝杯ものです。


教訓。亡骸を粗末にしてはいけない。