遠く遥かな世界へ…小林健二氏の「国立科学博物館」を読む2010年10月11日 23時21分11秒

(昨日の続き)


この詩が詠っているのは、前述のとおり、1967年7月のある日の思い出です。
この日、2人の小学生が都電に乗って、上野を目指すところから詩は始まります。


家から歩いて一分。『泉岳寺前』の停留所から乗る都電は一号線。
約一時間で目の前には素敵なドリームランド…


当時の東京は、オリンピック前後の都市改造が続いていて、実際にはかなりガチャガチャした雰囲気だったと思いますが、しかし小林氏の記憶の中の東京は、あくまでも透明で、遠い寂寥感を漂わせています。


≪〔…〕でもさっ、この電車路ぞいの黒い塀の大きな家やレンガの家って、むかしの町の感じだよねー。何かをいろいろ思い出すようで、ぼくはこんな風景がとっても好きなんだ…。≫
その頃の二人はいつだって、過去の街を見ているような奇妙な郷愁感におそわれていた。繁華なところや寂れたガードをくぐったり、幾種類かの並木通りや映画の町、古本の町、それらを過ぎると二人の言う「博物館の町」だった。


都電は郷愁の風景の中をゆっくりと走り、それが子どもたちの「日常」をすっかり洗い去った後に、素敵なドリームランド、「博物館の町」は現われます。


その古めかしくて重厚な外観が見えてくると、うれしくて思わず小走りになってしまう。入口の巨大な鯨の骨をまずはじっくり眺めたあと、恐竜の部屋から探検ははじまる。二人も恐竜たちもいつもニコニコ笑っていた。別館の大きな展示室には旧式の大きなケース一面に、鉱石や貴石を整列させていた。その部屋だけでも一日居ても見飽きない位たくさんの物があったのだ。そして、早朝からの空腹のおなかには、地下の食堂でとる食事がなんと楽しかったことだろう。注文はいつも決まっている。Bランチとサイダーだ。これも食べたいからお小使いを貯めたのだ。


先日も書いたように、恐竜の全身骨格標本が日本で初めて科博に登場したのは、1964年のことです。67年当時も、その強烈なオーラは依然圧倒的な力を持っていたことでしょう。
石への鋭い感受性は、ちょっと小学生離れしていますが、これは鉱物をテーマにした作品も多い、氏ならではのものと感じます。
博物館の地下食堂で食べるランチ、これも懐かしい。まあ、ふつうは家族との思い出のシーンでしょうが、友人と二人でというのが、いささか変わっています。


〔…〕二階三階へと探検はつづいた。目も眩むような色々の蝶、奇妙な軟体動物の透きとおった模型に食い入る。足早に悲しい剥製の部屋は通り過ぎる。
≪ねぇ この人たちいつまでもみんな死んでいるよ…。≫


ランチでお腹を満たした二人の心に、ひたひたと押し寄せたのが「死」の観念です。博物館の匂いとは、畢竟「死の匂い」なのでした(しかし、これは今の博物館から払拭されつつあるかもしれません。この点はよくよく考える必要があると思います)。
そしてその先には、旅の終着点である永劫の宇宙が待っています。


仕上げは何と言っても最上階のプラネタリウム。ぼくはあっちこっちと動いて見るし、きみはいつもぼくの後にぴったりだから、きっと疲れるのだろう。投影機が秋の星座を映す頃には、いつも寝息をたてている。やがてきみを起こす頃、≪ねぇ、ねぇ、もうすぐ終わりだよ…。≫ 囁く耳もとで軽くわずかに唇が触れる。こんな暗がりでのかわいいキスは、時々何か胸騒ぎのような気持ちを運んできた。夕暮れの街をゆく路面電車は、これから待ち受けるたくさんの日々を思い、少しでもここにいつづけようと追い駆けて行く。
一九六七年七月のいつのまにか晴れ渡った宵の残光は、二人の街にぼくらを置き去りにして、遠くの銀河へと旅をつづける。
『ぼくもいっしょに連れていって…』、二人は、心の隅で叫んでいる知らない人をかき消すように、
≪バイバイ、おやすみ。マタ アシタ!≫。

  二人は別々の家に消えてゆく…
 
    暗転
    夜空
    一面の星


   ★

過去の町を通り抜けた向こうに、太古の恐竜が棲んでいる…。二人の少年の経験は、一面、時間をさかのぼる旅でもあります。電車に乗り、時空の旅を続ける二人の少年。旅路の果てには一面の星。そう、これは小林氏が体験した、もう一つの「銀河鉄道の夜」です。

そして、「銀河鉄道の夜」と同じく、小林氏の友人にして可憐な「恋人」も、程なく亡くなってしまいます。氏はこの哀切な体験を折に触れて語っておられますが、氏の創作の一端は、まさに「あの日」に還る試みでもあるのでしょう。

“そういえば、あの日、二人は過去をさかのぼる旅をしていた。だから、先回りしてどこか過去の扉の陰で待っていれば、二人がひょいと扉を開けて入ってくるのに出会えるかもしれない…”。小林氏は、そんな思いをお持ちなのかもしれません。

   ★

この「国立科学博物館」という詩は、なかなか複雑な構造を持っています。
これが「銀河鉄道の夜」とパラレルな作品だというのは、今日この文章を書きながら初めて気が付きました。もちろん、あまりそこに引き付けて過剰解釈してはいけないと思いますが、でも、そういうふうに考えると、この詩にこめられた小林氏の思いがよく分かるような気がするのです。

そしてこの場合、科博の建物が、汽車ならぬ飛行機の形をしているというのが、何だかただならぬ効果を発揮しているようにも思います。
国立科学博物館は、すべての<生と死><夢と魂>を乗せて飛ぶ、一機の巨大な飛行機なのだ…と考えてみるのも、悪くないように思います。