天文せる乙女の横顔2010年10月23日 18時01分57秒

芸術の秋。
まあ、創作行為に季節は関係ないと思いますが、「芸術の秋」と言った場合には、たぶん芸術を享受する側の心持ちを表現しているのでしょう。「食欲の秋」、「読書の秋」と並んで、冬を控えた今の季節、人間の肉体と精神は、頻りに滋養のあるものを欲するのかもしれません。

   ★

今日は秋にちなんでアートな品です。
いにしえの天文学者ないし占星術師をイメージした手描きタイル(額の内寸は約14cm×14cm)。19世紀のイギリス製ということですから、これはウィリアム・モリス以降の、アーツ・アンド・クラフツ運動の流れの中で作られたものだと思います。小さな画面から、当時の人々のささやかな中世憧憬が感じられるようです。

   ★

天文古玩趣味には、必ずしも理科趣味の枠に収まらない部分がありますが、この品はその典型かもしれません。

コメント

_ S.U ― 2010年10月23日 19時18分31秒

多少「下世話」な格言に「衣食足りて礼節を知る」というのがありますが、残念ながらこれは真理であると思う場合がしばしばあります。夏の暑いさなかや冬に凍えているときに芸術鑑賞どころではないでしょう。

従って、中世を偲ぶなどというのも、やはりある程度衣食が足りないとできない所業のように思いますが、当時のイギリスはけっこうな時代だったのでしょうか。

_ 玉青 ― 2010年10月24日 08時55分10秒

芸術に関しては、記事にも書いたように、創作と鑑賞との間に非対称性があるような気がします。
つまり、創作の方は、それ自体が自己に対する報酬として機能し得るので、極貧の中でも創作行為・表現行為にのめり込む人は大勢いますね。他方、鑑賞の方はどうもそうは行かないようで、その辺が「衣食足りて…」たる所以なのでしょう。(まあ、中には鑑賞行為が一種の表現行為に転化している人もいて、そういう人は貧しい中でも大コレクションを築いたりします。)

中世は遠きにありて思ふもの…。
私にもいくぶん中世憧憬の気味はありますが、中世に生まれ変わりたいかと問われれば、大いに躊躇せざるを得ません。人々が生きるには厳しい世界だったでしょうねえ。。。

_ S.U ― 2010年10月24日 19時31分44秒

>そういう人は貧しい中でも大コレクション
 こういう人は、離れて他人として見るかぎり頼もしい存在ですが、身近な人がこうであった場合は、もうどうにもこうにも手のつけられないタチの悪い道楽として受け取られるでしょうね。

>中世憧憬
人間は、衣食が足り過ぎて初めて、衣食や経済性よりも高い精神性が尊ばれた時代の価値を見いだすのでしょうか。足らざるをもって足ることの価値を知り、また、足るをもって足らざることの価値を知るということでしょう。

_ 玉青 ― 2010年10月24日 20時58分21秒

>手のつけられないタチの悪い道楽
かすかに耳が痛いです(笑)。

>足らざるをもって足ることの価値を知り、また、足るをもって足らざることの価値を知る
うーん…ないものねだり(笑)。人間とはやっかいなものですね。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック