足穂忌によせて…『天体嗜好症』2010年10月25日 20時23分53秒



今日、10月25日は足穂忌。
彼が1977年に没してから33年、3分の1世紀が過ぎました。
今宵は仏前に『天体嗜好症』の初版(1928)を供えることにします。

   ★

足穂の初期作品集といえば、まず『一千一秒物語』(1923)。それから『鼻眼鏡』(1925)、『星を売る店』(1926)、『第三半球物語』(1927)と続き、トリがこの『天体嗜好症』になります。いずれも彼が20代のときの作品群。(足穂は1900年生れですから、出版年の下2桁がそのまま年齢になります。)

とびきり清新で、ハイカラで、放埓で、まさに怖いものなしの時代で、人によって評価は異なるかもしれませんが、この時代の足穂作品が、世間で言うところの「タルホ的なるもの」のイメージの根幹を形作っているのは否めないでしょう。

『一千一秒物語』には、その後の足穂の全てが含まれていると言われますが、この『天体嗜好症』も、タルホ世界を存分に展開して見せてくれる、まさに「イナガキタルホのABC」。

タイトルページ。2色刷りのプレーンな表情がかっちりした印象。


表題からも分かるように、本書には足穂の天文趣味が色濃く出ていますが、それは個々の作品名にも反映されています。


掌編「天文台」の一節。


奥付より。このころの足穂は、著者検印にガス燈スタンプを使用してたんですね。なんだかカッコいい。

   ★

さて、足穂が自著を捧げられて喜ぶだろうか?
…という疑問もあるでしょうが、実は喜ぶのです。その話はまた次回。

(この項つづく)

コメント

_ S.U ― 2010年10月26日 06時37分44秒

 昨夜の足穂忌には、私も初期の作品を、ということで「ヰタ マキニカリス」から「星を造る人」を読みました。このころの「星もの」は神戸のハッタリ事件の取材形式のものが多いようで、これが独自の文章表現を完成させるのに役に立ったのだ、と分析しました。

_ 玉青 ― 2010年10月26日 22時48分24秒

「星を造る人」、いいですね。
ええ、ハッタリとは本来美しくあるべきものです。
美しいハッタリを称して、これ‘夢’と謂う。
(…というのもハッタリですが・笑)

_ S.U ― 2010年10月26日 23時34分09秒

確かに、このハッタリは夢ですね。ファンタシウムで出来ていますから...

 ところで、この『天体嗜好症』には「海の彼方」が収録されていますでしょうか。この作品は足穂の若いときには似合わないリアリズムで、彼の繊細であたたかい人柄が偲ばれる私の好きな作品の一つです。

_ 玉青 ― 2010年10月27日 06時39分11秒

はい、「白鳩の記」に続けて載っています。
この霞がかかったような遠い寂寥感も、彼の特徴のひとつですね。

_ S.U ― 2010年10月27日 19時53分40秒

お調べくださりいつもありがとうございます。
「海の彼方」は足穂の初期の作品にしては特異だと思ったので(「白鳩の記」もそうですがこれはよくよくの事情ですから)、初期の版と私の見た最終版(「ヰタ マキニカリス」 (1975))で変わっていないのかな、とふと思ったのですが、そうでもないですか。
 
 霞がかかったような遠い現実と鮮やかな眼前にあるような夢は足穂においてずっと同居していたのですね。

_ 玉青 ― 2010年10月28日 22時12分03秒

おお、こまやかなご質問ですね。
さっそく初版と『大全』版の新旧2つのバージョンを見比べてみました。
と、確かにかなり手が入っています。
ご参考までに、作品の末尾を画像の形でアップしました。
○旧 http://www.ne.jp/asahi/mononoke/ttnd/temp_image/old
○新 http://www.ne.jp/asahi/mononoke/ttnd/temp_image/new

全体に新版はパキパキと言葉の歯切れがよくなっています。旧版はちょっとシンネリした感じですね。下の箇所などは、文章だけではなく、主人公の心持ち(西村に寄せる心)にも微妙な変化を感じます。

○旧「西村は今外国の港で立派な青年として活動してゐるにちがひないと〔ママ〕のだと信じなければならぬといふことを思はせ…」
○新「いまは外国の港で立派な青年として活動している西村を確信させるのでした」

>霞がかかったような遠い現実と鮮やかな眼前にあるような夢

至言!

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック