求ム、『天体嗜好症』…タルホからの便り2010年10月27日 06時39分57秒

(一昨日のつづき)

足穂がなぜ『天体嗜好症』を捧げられて喜ぶかと言えば、彼自身、それを必要とした時期があるからです。

   ★

手元に1枚の葉書があります。
 

「先日はおたよりありがたう。忘年会といへば、佐々木氏もこられるのでせうか、まことに勝手なおねがひですが、佐々木氏には小生の作品集「天体嗜好症」といふのを持ってをられるとききましたが、この本についてちょっと調べたいことがあり、数週間お借りしたいのです。佐々木氏もいらっしゃるやうでしたら、どうかおついでに、同氏あてに小生の意向をおつたへ下さいませんか。(後略)」

昭和29年12月1日付で、足穂が友人の小高根二郎(1911-1990)に宛てたものです。
佐々木氏というのが誰のことなのか、今ちょっと分かりませんが、小高根は詩人/評伝作家で、足穂の『東京遁走曲』の記述によれば、化繊メーカーに勤める企業人でもありました。戦後、東京を遁れて京都で新生活を送ることになった足穂の面倒を何くれとなく見た、情誼に厚い人でもあります。
 

この『東京遁走曲』という回想記は、昭和30年に発表されているのですが、そこには『天体嗜好症』のエピソードが出てきます。

「ずっと前、春陽堂から『天体嗜好症』を出版した時、私は口絵写真として手ずから切紙細工で四箇の小さな舞台面を作って、これらを別々に版にしてならべてくれるように頼んだ。ところが面倒だったのか、みんないっしょに一枚の写真版にして、おまけに不明瞭だというのでそれぞれに修正が加えられた。これで立体感を出そうとの意図が根底からくずされてしまったのである。」(『東京遁走曲』)

他愛ないといえば他愛ない記述ですが、前後の文章を読むと、『天体嗜好症』出版当時のことをふり返り、その後の自著の出版事情にいろいろ思いをはせているようでもあります。で、タイミングからすると、上の葉書はまさに『東京遁走曲』執筆の材料として、『天体嗜好症』を借覧したいという意図ではなかったかと思います。当時の彼には、そうする内的必然性があったのでしょう。

   ★

というわけで、先日のお供えは、昭和29年(1954)当時の足穂にぜひ届けたいものなのでした。届ける手段は…ウーン…強力な思念の力?
 
(足穂が憤懣をもらした『天体嗜好症』口絵。ガス灯スタンプの元はこれですね。)


コメント

_ geomet ― 2010年10月28日 05時30分24秒

いつもありがとうございます。一言御礼が言いたくなりました。
かつて足穂にガツンとやられ、あらゆるものが菫色に見えていた時期がありました。熱狂の日々も今は遠く、昼間は混乱と喧噪に満ちた現世にひたすら翻弄される毎日ですが、それでも夜、空を見上げればそこにはいつも変わらぬ星々が超然と自分たちの世界を誇示し、ふと地平を見れば間の抜けた半月が場違いな登場の仕方をしている。家に帰るとテーブルの上に薄荷水が一びんのってはいないが、ビールをグラスに満たして本棚から久々に大全を取り出してページをくくると、まるで奇跡のように凝縮された豪奢な作品の数々にあらためて驚かされます。その感興を静かに熟成させ、サプライズな調味料を加えて味わい深い一品に仕立てて供して下さる席主に祝福あれ。

_ とこ ― 2010年10月28日 09時05分48秒

なるほどそれで、前日のお供えものだったのですね。
素敵なお話です。

そろそろ私も観念して(?)足穂作品を読んでみようと思うので、最初に読むのにお薦めの作品などありましたら、今度お会いしたときにでもご教授ください。

そうそう、メール、届いております。ドキドキワクワクしています。今晩お返事を書く予定です。どうぞ宜しくお願いします。

_ 玉青 ― 2010年10月28日 22時20分01秒

○geometさま

生粋のTaruphologistから素敵なコメントを頂戴し、こちらの方こそお礼を申し上げねばなりません。
“昼間の混乱と喧噪によっても決して侵されることのない不磨の王国”。これは足穂に限らず、文学全般に当てはまる形容かもしれませんが、足穂の場合は、月や土星を衛兵として、周囲の堀には薄荷水を湛えた魔城ですから、昼間との落差は殊のほか大きいと言わねばなりません。そんな不可思議の国に出入りする手形を得られた僥倖を、お互い大いに慶ぼうではありませんか。

ただ、急いで白状すると、私の手形はまだ「仮免」です。初版本を買ったり、肉筆物に手を出したり…というと、何だかいっぱしのマニアのようにも見えますが、『大全』を買った後も、実はそれほど足穂の作品を読んだわけではありません。ですから、geometさんのような真性マニアの方からコメントを頂戴すると、ちょっと足がすくむ思いです。でも、仮免だろうと、無免許だろうと、ひとたびぐいとグラスを呷れば、途端に免許皆伝となるのが足穂道の不可思議なところで…(笑)。

○とこさま

上のような次第ですので、どこまでお役に立てるか心もとないですが、心強い先達が同席されますので、どんな話が展開するのか、私も大いに楽しみです。
(こちらで恐縮ですが、「部活動日誌」拝読しました。うーん、ちょっとコメントしにくい持ち上げられ方ですねぇ。とりあえず(一寸微妙…笑)、謹んで御礼申し上げます。)

_ とこ ― 2010年10月29日 02時48分44秒

こちらでの日誌の記事ですが、断りもなく掲載してしまってすみませぬ; もし、ちょっとどうなの?ってところがありましたらお知らせください。師匠ですので「こんなものを書くのはけしからん!(ちゃぶ台返し)」といった感じで。

ここからURANOIAの紹介につなげていこうと思っているのですが、イベント準備のほうに忙殺されていてなかなか続きを書く時間がとれません。

_ 玉青 ― 2010年10月29日 19時16分26秒

どうぞ、どうぞ、その辺はまったくご懸念には及びませんので、ご随意になされてください。ただ、時にちょっと面映ゆいといいますか、その辺の微妙な老人の心理を汲んでいただければ…(笑)。

_ S.U ― 2010年10月29日 20時19分20秒

「海の彼方」について、どうもありがとうございます。
こうやって作品の改変をしていったのですね。いちど発表したものを延々といじるのは、議論もあることでしょうが、足穂にとっては機械の改良や方程式の変形のようなものだったのだろうと私は肯定的に捕らえています。
 いずれにしても、現役の青少年(中高生)の人たちに薦めたい作品です。子どもの時の微妙な感傷が、大人になると霞の向こうになって、それでもちゃんと見えている。心強いです。
 明日は台風が来るかもしれませんが、お気をつけて。

_ 玉青 ― 2010年10月31日 23時06分55秒

>子どもの時の微妙な感傷が、大人になると霞の向こうになって、それでもちゃんと見えている。

世界が広大で、混沌としていたときの意識…なのかもしれませんね。
神話の再体験といいますか、人はおりに触れ、節目節目でそういう世界に立ち返る必要があるような気がします。

台風は大したことはなくて、「嵐を呼ぶ男」になり損ねました。ちょっぴり残念です(笑)。

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