つくばで目にしたもの…銀河の三角標2010年10月31日 21時12分52秒

日本ハーシェル協会の年会と、それに続く「夜会」が行われたのは、つくば市でした。
私にとっては、初めてのつくば訪問です。「科学のまち」だけあって、いろいろ見所も多いわけですが、そんな中「おお!」と思ったのは下のものでした。
 

国土地理院「地図と測量の科学館」で目にした、昔の三角標(高覘標)の模型です。
(説明板の記述を、記事の末尾に転記しておきます。)

なぜ三角標にそれほど心打たれたかといえば、これを見た瞬間、『銀河鉄道の夜』の「六、銀河ステーション」にある次のシーンが直ちに浮んだからです。

   ■ □ 

そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、
ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、
虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、
野原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立って
いたのです。遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは
橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、
或いは三角形、或いは四辺形、あるいは電(いなずま)や鎖の形、
さまざまにならんで、野原いっぱい光っているのでした。

ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけに振りました。
するとほんとうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろ
かがやく三角標も、てんでに息をつくように、ちらちらゆれたり
顫(ふる)えたりしました。

(…中略…)

「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。」
カムパネルラが、窓の外を指さして云いました。線路のへりになった
みじかい芝草の中に、月長石ででも刻まれたような、すばらしい
紫のりんどうの花が咲いていました。

「ぼく、飛び下りて、あいつをとって、また飛び乗ってみせようか。」
ジョバンニは胸を躍らせて云いました。
「もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから。」
カムパネルラが、そう云ってしまうかしまわないうち、次のりんどうの
花が、いっぱいに光って過ぎて行きました。

と思ったら、もう次から次から、たくさんのきいろな底をもった
りんどうの花のコップが、湧くように、雨のように、眼の前を通り、
三角標の列は、けむるように燃えるように、いよいよ光って立ったのです。

   □ ■

かなしいまでに美しく、透明なイメージを綴った、「銀河鉄道の夜」の中でも指折りの名シーンです。その中に繰り返し出てくる「三角標」とは、こういう姿形のものだったわけですね。

さらにミュージアムの庭に目をやると、そこには降りしきる雨の中、実物大の三角標がすっくと立っていました。雨粒をまとった木々をバックにしたその姿が、私の心眼には、青く、ぼうと光って見えたのは言うまでもありません。


  ★

『銀鉄』気分を引きずりつつ、おまけの画像を載せておきます。

18世紀にカッシーニが製作した天球儀のレプリカ(同館)。

以下は、「地図と測量の科学館」の後で訪れた、産業技術総合研究所「地質標本館」で見た、「星の石」トリオ。

まずは銀星石。

そして天青石と…

天河石。
天河石については、以前イチャモンをつけましたが(2008年3月20日22日)ここでは素直に「銀河の石」ということにしておきましょう。


【付記:高覘標の解説】

高覘標(懸柱式高測標)(こうてんぴょう/けんちゅうしきこうそくひょう)
 1881年(明治14年)から始まった一等三角測量は、約40km離れた三角点間を
測る必要から『高覘標』というやぐらをたてました。
 高覘標は懸柱測器架(けんちゅうそっきか)と懸柱方錐形覘標(けんちゅう
ほうすいけいてんぴょう)の2つのやぐらからできています。
 懸柱測器架は、経緯儀(角度を測る測量器械)をのせるためのやぐらで、
懸柱方錐形覘標は、観測者が乗るためのやぐらです。
 この2つのやぐらは、観測者がその上を移動しても経緯儀が倒れないよう、
互に接触しない構造になっています。
 やぐらの上部にある心柱は、相手方の一等三角点から角度を測るときの
目標になります。また、覆板と呼ばれる板には、相手方から見えやすいように
白や黒のペンキを塗ります。白い覆板は晴れた日に目立ち、黒い覆板は曇り
の日に見えやすいからです。
 なお、今の測量においては、このようなやぐらを立てることはありません。」