人間ガリレオ、木星へ旅立つ? ― 2010年11月07日 10時50分48秒
(↑木星に近づくジュノーの想像図。ウィキメディアコモンズより)
メーリングリスト(ML)経由の情報です。
以前、ガリレオの遺骨が、博物館で展示されているというニュースについて書きましたが(http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/06/18/5170081)、それとは別に、今度ガリレオの遺骸の一部が、木星に行くかもしれない…という話題を耳にしました。
どういうことかというと、来年打ち上げ予定の木星探査機「ジュノー」に、ガリレオの遺骨を積み込む計画があるのだとか。
ソースはこちら。
■Nature 468, 6 (2010年11月4日付)
http://www.nature.com/nature/journal/v468/n7320/full/468006a.html
以下、いつにもまして適当訳(原文を確認してください)。
■ □ ■
「コロラド州デンバーの航空宇宙施設では、現在技術者たちが、NASAの後続木星探査機に科学機器を組み込む作業に追われている。この探査機は、1年以内に打ち上げが見込まれている。しかし、十億ドルの巨費を投じた探査機ジュノーに関わる作業チームのメンバーは、この宇宙船に、ちょっと毛色の変わった物が乗り込むことについては、声をひそめている。すなわち、ガリレオ・ガリレイの遺骨のひとかけらだ。
この有名な天文家の遺骸の一部を、巨大な惑星をめぐる軌道に送り込み、彼自身が発見した衛星の仲間に加えようというアイデアは、この探査計画に参加するアメリカ側の関係者を少なからず魅了した。それに比べて、2種類の科学機器を提供するイタリア航空宇宙局(Italian Space Agency)の職員は、さほど熱心ではないようだ。しかし、この計画はきっと前進するにちがいない。
〔…〕
ガリレオの安らかな眠りを乱す、〔ガリレオの遺骨を遺伝子解析にかけたり、その一部を私蔵したりといった、従来なされてきた〕振る舞いに比べれば、一片の骨などは、ごくささやかな捧げ物だとも思える。すなわちこの骨は、探査計画に感動のエネルギーを充てんし、科学が人類固有の努力であることを人々に思い出させる標(しるし)として捧げられる、供犠の品なのだ。
ガリレオ自身は、科学と社会とを結び付ける必要性を理解していたし、政治的に機敏な彼は、ショーマンシップの価値を十分に承知していた。〔…〕したがって、公衆の支持を得るという目的のためならば、ガリレオは自分の死後の探査計画に、多少なりとも寛容さを発揮したのではあるまいか。
だが、ガリレオだったら、この計画を認めるだろうと思える、もう1つ別の理由がある。彼は望遠鏡を通して明らかになった宇宙の姿にすっかり魅了されていた。「地球半径の60倍も離れている月の本体が、わずか2倍しか離れていないように近くにみえる。美しい、心をそそる事実ではないか」。彼は1610年に著した『星界の報告』の中で、月の表面について、こう書いた。探査機ジュノーは、ガリレオにとって月と同じぐらい魅力的な天体、すなわち木星の表面からわずか4,800キロのところをかすめることになる。彼は月よりもいっそう間近で見る光景に、きっと満足するにちがいない。」
■ □ ■
この事実、天文関係者にとっても寝耳に水だったみたいで、いぶかしむ声がMLに寄せられていました。「NASAは、こういうことはいつも大々的に宣伝するのに、なぜ今回は沈黙してるんだろう?誰か詳しい事情を知っている人はいないか?」 そして、ネイチャーの編集子が肯定的に書いているこの計画に対して、「何か意味があるのか?」「とんでもない愚行だ!」と憤る声も聞かれました。
日本語のジュノー関係の記事を読んでも、今のところ、この件は出てこないので、私ばかりではなく初耳の方が多いのではないでしょうか。
私には、この件について特に定見はありません。
「夢のある話じゃないですか。」
「夢がある、の一言で済ませていい問題じゃないでしょ。」
「いや、今の地上は、それほどまでに夢を必要としてるんですよ。」
「君のいう夢が、政権の人気取りのことを言うならばね。」
…いろいろ内なる声が聞こえてきますが、さて、どんなものでしょうか。
【付記】 記事中、「10億円」→「10億ドル」に修正。額が2ケタも違っていました;
メーリングリスト(ML)経由の情報です。
以前、ガリレオの遺骨が、博物館で展示されているというニュースについて書きましたが(http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/06/18/5170081)、それとは別に、今度ガリレオの遺骸の一部が、木星に行くかもしれない…という話題を耳にしました。
どういうことかというと、来年打ち上げ予定の木星探査機「ジュノー」に、ガリレオの遺骨を積み込む計画があるのだとか。
ソースはこちら。
■Nature 468, 6 (2010年11月4日付)
http://www.nature.com/nature/journal/v468/n7320/full/468006a.html
以下、いつにもまして適当訳(原文を確認してください)。
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「コロラド州デンバーの航空宇宙施設では、現在技術者たちが、NASAの後続木星探査機に科学機器を組み込む作業に追われている。この探査機は、1年以内に打ち上げが見込まれている。しかし、十億ドルの巨費を投じた探査機ジュノーに関わる作業チームのメンバーは、この宇宙船に、ちょっと毛色の変わった物が乗り込むことについては、声をひそめている。すなわち、ガリレオ・ガリレイの遺骨のひとかけらだ。
この有名な天文家の遺骸の一部を、巨大な惑星をめぐる軌道に送り込み、彼自身が発見した衛星の仲間に加えようというアイデアは、この探査計画に参加するアメリカ側の関係者を少なからず魅了した。それに比べて、2種類の科学機器を提供するイタリア航空宇宙局(Italian Space Agency)の職員は、さほど熱心ではないようだ。しかし、この計画はきっと前進するにちがいない。
〔…〕
ガリレオの安らかな眠りを乱す、〔ガリレオの遺骨を遺伝子解析にかけたり、その一部を私蔵したりといった、従来なされてきた〕振る舞いに比べれば、一片の骨などは、ごくささやかな捧げ物だとも思える。すなわちこの骨は、探査計画に感動のエネルギーを充てんし、科学が人類固有の努力であることを人々に思い出させる標(しるし)として捧げられる、供犠の品なのだ。
ガリレオ自身は、科学と社会とを結び付ける必要性を理解していたし、政治的に機敏な彼は、ショーマンシップの価値を十分に承知していた。〔…〕したがって、公衆の支持を得るという目的のためならば、ガリレオは自分の死後の探査計画に、多少なりとも寛容さを発揮したのではあるまいか。
だが、ガリレオだったら、この計画を認めるだろうと思える、もう1つ別の理由がある。彼は望遠鏡を通して明らかになった宇宙の姿にすっかり魅了されていた。「地球半径の60倍も離れている月の本体が、わずか2倍しか離れていないように近くにみえる。美しい、心をそそる事実ではないか」。彼は1610年に著した『星界の報告』の中で、月の表面について、こう書いた。探査機ジュノーは、ガリレオにとって月と同じぐらい魅力的な天体、すなわち木星の表面からわずか4,800キロのところをかすめることになる。彼は月よりもいっそう間近で見る光景に、きっと満足するにちがいない。」
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この事実、天文関係者にとっても寝耳に水だったみたいで、いぶかしむ声がMLに寄せられていました。「NASAは、こういうことはいつも大々的に宣伝するのに、なぜ今回は沈黙してるんだろう?誰か詳しい事情を知っている人はいないか?」 そして、ネイチャーの編集子が肯定的に書いているこの計画に対して、「何か意味があるのか?」「とんでもない愚行だ!」と憤る声も聞かれました。
日本語のジュノー関係の記事を読んでも、今のところ、この件は出てこないので、私ばかりではなく初耳の方が多いのではないでしょうか。
私には、この件について特に定見はありません。
「夢のある話じゃないですか。」
「夢がある、の一言で済ませていい問題じゃないでしょ。」
「いや、今の地上は、それほどまでに夢を必要としてるんですよ。」
「君のいう夢が、政権の人気取りのことを言うならばね。」
…いろいろ内なる声が聞こえてきますが、さて、どんなものでしょうか。
【付記】 記事中、「10億円」→「10億ドル」に修正。額が2ケタも違っていました;
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