ガリレオの住む世界をノックする(後編)…ちいさな古星図のささやかな履歴2010年11月19日 19時51分13秒

以下、くだくだしい話ですが、たった1枚の紙モノからでも、いろいろ「考証ごっこ」は楽しめるという例。

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この『Hand-boeck, Cort begrip der caerten』、原題は、『Tabularum Geographicarum Contractarum(簡約地理学図集)』といいます。著者はフランドル出身で、後アムステルダムに居を定めた地理学者、Petrus Bertius(1565‐1629)。初版は1600年に出て、ベストセラーとなり、その後各国語版が作られたという経緯があります。

以下のページに、この地図帳とベルティウスのこと、さらに1602年のラテン語版・第2版からとった地図が何枚か載っています(蘭語版と同一の天球図を含む。手彩色なので、同じ絵柄でも色合いは違います)。

■Petrus Bertius : Antiqua Global Art
 http://www.antiqua-global-art.com/kartograph-2008-05_E.html

上のページによると、元版の図を担当したのは、ベルギーの地図製作者で、ベルティウスの義弟(妹婿)でもあったPetrus Kaerius(1570 – 1630)。さらに Warner の本(記事末尾参照)に当ると、この図は1592年に描かれたPetrus Plancius(1552-1622)の星図を簡略化してコピーしたもので…という風に、そのルーツはさらに遡っていきます。星図の歴史はコピーの歴史であることがよく分かります。

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天文学史においては、星図は恒星の座標こそが重要であり、星座絵は二の次だと思いますが、こと「天文趣味史」となれば、星座絵の重要度がぐっと高まるのは言うまでもありません。

星図における星座絵の進化と変遷は、なかなか興味深いテーマです。最初は簡朴な絵柄だったものが、17世紀以降、印刷技術の進歩と共に急速に華麗で精緻なものとなりましたが、19世紀後半になると徐々にアナクロ視されるようになり、20世紀の標準星図からはついに星座絵が駆逐される至ります。人類が天球の殻を突き破って、やっと奥行きのある恒星世界に住むようになった証左なのでしょうか。

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ところで、前の記事で、この星図のことを古拙で中世的だと表現しました。
その印象は、この地図帳の1616年版を見ると、いっそう強まります。というのも、1616年版になると天球図が差し替わって、より精緻で「近代的」な絵柄に変わっているからです。(以下は、アンティーク地図専門店のサイトで見かけた1616年版の画像から借用。出典:http://www.raremaps.com/gallery/enlarge/23418


この1616年版の星図を担当したのは、アムステルダムの地図製作者Jodocus Hondius, Jr.です(1594頃-1629;ホンディウスには同名の父がいて、親子で地図を作りましたが、ここでは息子の方)。ホンディウスは天球儀こそ多数手がけたものの、平面星図はこれが唯一の作品だというのも興味深い話。そして、このホンディウスの星座絵が、また後続の星図にコピーされて…となると話がエンドレスになるので、また折を見て続けることにします。

【参考】
Warner, Deborah J. THE SKY EXPLORED: Celestial Cartgraphy 1500-1800.
Alan R. Liss Inc.(New York) & Theatrum Orbis Terrarum Ltd(Amsterdam), 1979.

コメント

_ S.U ― 2010年11月19日 21時27分29秒

いやぁ、めっきり寒くなってきました。つくばにおいでいただいた時から3週間がたとうとしていますが、あのとき緑だった街路樹はすでに黄葉を過ぎて落葉になっております。

星図の古拙の味わいもなかなかのものですね。16世紀以前の星図になると、時代の差は南天星座の充実ぶりにも影響を与えていますね。開催中のデューラー展(上野・国立西洋美術館)を見に行ったのですが、そこの解説にデューラーの星図は南天星座の情報が古いというようなことが書いてありました。でも、その星座絵はシリアスで古拙どころではないです。

 ついでに話が脱線して恐縮ですが、そのデューラー展で「三日月の上の聖母」という版画があって、「三日月の上にいる美女」のモチーフが聖書(「ヨハネの黙示録」)にあることを知りました。足穂先生はご存じだったのだろうか、とつい思ってしまいました。

_ 玉青 ― 2010年11月20日 18時33分43秒

記事中、星図の歴史はコピーの歴史と書きましたが、凡百の星図が先人のパクリで埋め尽くされている中、星図史に屹立するエポックメーキングな作品がいくつかあって、具体的には、バイヤー、ヘヴェリウス、フラムスティード、ボーデの4人が出版した星図を、星図史においては「Big Four」と称するのだとか。そして、デューラーの星図も、ビッグフォーに先立つものの中では、最重要作品の1つという位置づけになるのでしょう(デューラーの星図は、職業画家による美しい絵画表現も魅力ですが、さらに星図中に初めて座標を書きこんだものとしても、画期的な作品だったようです)。

デューラーの「三日月の上の聖母」という作品は、今検索して初めて見ました。
で、本棚から『イメージシンボル事典』というのをを引っぱりだして来て、三日月の項を見ると、三日月は聖母マリアのみならず、聖母アシュタルテや処女神のシンボルであり、その取り合わせは、人類の精神史において、キリスト教よりもさらに古層に属するもののようです。さらに、足穂からの連想で、松岡正剛氏の『ルナティクス』を改めて読むと、月と女神との関係はなかなか容易ならぬものらしく、となると、足穂の描いた男性的な三日月は、いったいどんな性格を背後に秘めているのか…ぼんやり物思いにふけってはみたものの、散漫な頭では何もひらめきません。

寒気も日増しに募り、夜空も硬質な冬色になってきましたね。
ちょうど今、窓からは丸い月が皓皓と光っているのが見えます。
ひょっとして、夜中に月光を透かしてグラスを傾ければ、何かひらめくかも?

_ S.U ― 2010年11月20日 23時57分10秒

バイヤーを「近代星図の父」とするならば、それ以前の星図は違う時代に属するわけですから値打ち物なわけですね。また、現代は、バイヤー以来天文学の最前線にいた印刷された星図の地位が終焉を迎えた時代と言えると思います。

 三日月と女神に関するお調べありがとうございます。なかなか根の深いものですね。確かに、「三日月に腰掛ける美女」とか「三日月が顔になった男性」はバタくさいイメージですが、平らな三日月に立つ神様仏様となるとオリエント~東洋までやってきて、大陸を横断して一挙に江戸の二十六夜待まで届きそうです。しかし、デューラーの三日月は、時代や文化を超越した青銅か鋳鉄を鍛えたような質感で、いかにも足穂好みだと思います。...月を見てグラスを傾けましたが?凡庸な頭に浮かぶのはこの程度でした。

 そういや足穂の三日月顔はステドラーの色鉛筆のマークが元だった、と思い出して画像検索をすると、めずらしく今日は引っかかりました。多少は効用があったようです。

http://www.carters.com.au/index.cfm/item/37081-j-s-staedtler-moon-drawing-pencil-enamel-sign/

がそうでしょうか。なんか悩ましそうな顔ですね。

_ 玉青 ― 2010年11月21日 17時04分42秒

つらつら思うに…
三日月は女神である。そして三日月は男である。

これは要するに、どんな男の心の中にも1人の女神がすんでいることを表しているのではないでしょうか。それを現実の女性に投影し、しかもそれに無自覚なところに、様々なドラマが生まれるのではありますまいか。

ステドラーの三日月が悩ましげなのも、むべなるかな・笑。

_ S.U ― 2010年11月21日 23時16分58秒

私の心の中にも女神がいるとしたら、... とてもそんなガラではありませんが、...心強いことです。

 さて、足穂にとっての三日月は何だったのだろうか、ということで作品を見てみますと、彼が書いたものにはさまざまあるのでしょうが、以下は「おそろしき月」(1969)からです。

 日本にまだ今日のような良質の鉛筆が出来なかったころ、全国至る所の文房具屋の店先に、三日月の台紙にゴム紐でとめられた一連の細い赤鉛筆が見られたことを、年輩の人ならばおぼえていることであろう。
 その細じくの赤鉛筆にはキン色のキャップがかぶせてあって、他に紫エンピツもあった。そして軸にはMADE IN BAVARIAとある。これが有名なニュールンベルクのステッドレル月じるし鉛筆であった。(以下略。引用終わり)

 この続きに、月印の意匠、左向きと右向き(三日月と二十五日月)の月の見え方、男性名詞・女性名詞、女神・男神の配当、月ロケットの成果を論じ、月は両性具有であると結論しています。これは依頼された新聞記事のようで(東京新聞1969.7.11)、気楽な内容ですが、次のようなことばもあります。

(以下引用)
 各自が歴史家だというのは、何もこれこれのことがあったと憶えているからでない。人間の運命について予め眼識を有すること、人間の歴史を忠実に自身において生きねばならぬということである。
(引用終わり)

人類が初めて月に降りようとする時に人々の心に響いたのではないかと思います。

足穂の色鉛筆は正しくはこちらでした。(cyc​lin​gpe​nci​ls さんのブログ)
http://blogs.yahoo.co.jp/cyclingpencils/folder/941744.html?m=lc
の下の方にある<稲垣足穂と月印鉛筆の時代 大正期の舶来鉛筆ステッドラーなど> の写真をご覧ください

_ 玉青 ― 2010年11月22日 20時46分18秒

おお、これは。
三日月の台紙に留めた、本当に本物の足穂の赤鉛筆を見られて感動です。
けっこう顔がこわいですね。子ども時代に見たらトラウマになりそうです。
(私はコーリン鉛筆の三角形の顔がこわかったです。)

 +

月は男か女か。足穂氏もハテ?と首をひねった末に、「月は両性具有や」とあっさり片付けていますが、足穂氏にしてはいささかヒネリが少ないような…。もし月が両性具有ならば、相方の太陽も両性具有であり、太陽と月の聖婚も、ミミズやカタツムリの交尾なみの出来事になりますが、果たしてそれで良いのであるか!(ドン!!)…と、足穂氏に迫ってみても、「男と女がつるむんかて、あんた、それこそオケラもゲジゲジもしてますがな」と、言われて終りかもしれませんねえ。怪人の尻尾は容易につかめません。

_ S.U ― 2010年11月22日 23時05分33秒

コーリン鉛筆。小さい物しか見たことがなかったので何とも思いませんでしたが、拡大すると確かに怖いですね。

(kero556さん。なんちう画像や(笑))
http://livedoor.blogimg.jp/tttk5jp/imgs/e/0/e0e13cd7.JPG
http://colleenpencil-fun.cocolog-nifty.com/about.html

足穂の文章は確かにヒネリが足りないようですが、これは新聞掲載のアポロ着陸の時事ネタを頼まれたからでしょう。また、他の文献に気をつけておくことにしましょう。人間の足に踏まれることになってもお月様は特別な友人であり続けてほしい、と願ったのがこの時の足穂の気持ちだったかもしれません。

_ 玉青 ― 2010年11月23日 21時09分54秒

コーリン鉛筆コレクター!!
あの顔がトラウマになった人、やっぱりいましたねえ。
それにしても世界は広い(アングリ…)。

>人間の足に踏まれることになってもお月様は特別な友人であり続けてほしい、と願った

げにも。そしてその一方で、月は一千一秒以来の仇敵でもあるので、できることなら自分の足で踏みつけてやりたいぐらいのことは考えたかもしれませんね(笑)。
足穂とアポロ…これは面白そうです。純粋にイメージでいうと、例のメリエスの「月世界旅行」のシネマなんかと絡めて、何か一文を書いてそうな気もしますが、そんなのってありますかね?いずれまた、ごゆるりとご紹介いただければ幸いです。

_ S.U ― 2010年11月24日 19時33分51秒

そうですね。とにかく、月が舞台に下がる紙片であった時から人類が着陸する時代まで、同じようなことを一貫してしつこく書き続けてきた人は、それだけでも貴重です。

「足穂とアポロ」、これは非常に興味深い問題であるとともに難問です。そしてデリケートな問題です。挑戦してやるぞ、と意気込むよりは、できれば避けて通りたい、そういう種類の難問かもしれません。

 「おそろしき月」のように足穂がアポロ月着陸に絡めて書いたものはあるのですが、何となく腰が引けていますね。これは、彼が飛行機については晩年まで熱心に語り続けたことと対照的です。思うに、彼にとってもアポロの意味は整合が難しかったのでしょう。アポロが、飛行の歴史、月の歴史、科学の歴史、そして人類の精神史において統合的に説明しないといけないほどの大偉業であることは、彼も納得していたに違いありません。しかし、彼は、現実の宇宙旅行には、その整合の努力を傾注するほどの興味は無く、「消極的支持」にとどまったということだと思います。いずれにしても、少年期の飛行機のインパクトには到底及ぶものではなく気が進まなかったのでしょう。

 足穂の少年期~青年期の飛行機発展時代(1900~1920)は、私にとっての宇宙競争時代(1957~1974)に対応するので、彼の思いがわかるような気がします。人類にとって歴史は繰り返しても、個人単位では繰り返しません。

 思わぬ弁舌を振るってしまいましたが、ご指摘のように、月旅行の文学や映画との関係でなら他にも論じているものもあるかもしれません。また、見つけたらご報告します。

_ 玉青 ― 2010年11月25日 08時13分12秒

足穂論の1テーマに行き当たった感じですね。
ここはひとつ「足穂氏、アポロを前に手をこまねく」というようなタイトルで、記事を書かねばいかんところですが、それはS.Uさんにお任せすることにいたしましょう。ご報告をお待ちしております。

>足穂の少年期~青年期の飛行機発展時代(1900~1920)は、私にとっての宇宙競争時代(1957~1974)に対応

おお、これは得難いご指摘。タルホにとっての飛行機は、我々にとってのロケットであったわけですね。そしてタルホ・チルドレンは羽のない飛行機の夢を見ると。一読して、タルホのことも、私自身のことも、何か豁然と了解できるものがありました。

_ S.U ― 2010年11月25日 18時55分50秒

うーん。これは「足穂の天文普及活動」の続編に適したテーマになりそうですね。しかし、『彗星問答』、「筑摩書房・全集5」を見ても1970年代に月について書いているものはありますが、アポロについて言及しているものは見つかりません。アポロとメリエスの双方にかろうじて絡む作品は前出の「おそろしき月」だけです。1950年代に宇宙時代を論じた断片が少しありますが、外堀を埋めていくような方法ではこの怪人を追い詰めることは到底出来ないので、ここは玉青さんの現時点の直感で、「足穂氏...手をこまねく」でお考えのところを書いていただくのも一法と存じます。

 でも、「足穂の飛行機」=「我々の宇宙ロケット」については、いずれ何か書いてみたいです。おっしゃるとおり、これで多くのことが解けるのですよ。人類の科学史・文化史と個人の精神史が同程度の比率で混じっていて、つかみどころの難しいテーマです。

_ 玉青 ― 2010年11月26日 21時25分54秒

第1報、ありがとうございます。うーん、なかなか足穂氏の心底は見えませんねえ。
またまた俄か仕立ての思い付きですが、アポロブームの頃は、第3次(かな?)タルホブームでもあったので、対談やインタビューも多かったと思います。ひょっとして、そういう機会にポロっと述懐している可能性があるやも。私の方も、その線でちょっと気にかけてみたいと思います。

_ S.U ― 2010年11月26日 22時34分32秒

(未記入)をまたやってしまいました。 再投稿しますので削除してやって下さいませ。
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>対談やインタビュー...そういう機会にポロっと述懐
 そういう可能性はありますね。よろしくお願いします。

 それから知人に語っている可能性もあるかもです。足穂自身の対談ではないですが、三島由紀夫が「日本の文学」の足穂の回の月刊付録で次のようなことを澁澤龍彦との対談で言っています。

「いま月飛行士が一生懸命月へ行ったり、失敗して帰ってきたりしますけれども、あれは一つの象徴的行為なんであって、月ぐらい行ったってなんにもならないんですよ。もっと宇宙の深遠の中に、男性原理の根本的なものとのつながりがあるはずなんですよね。それを稲垣さんは言っちゃった人ですよね。恐ろしい人だと思うんですよ。」

 これが三島の分析ですが、こと宇宙に関しては足穂は三島より深い考えがあったでしょうから何とも言えません。なお、この対談は1970年5月のもので、今日では、その半年後の三島の最期の行動の予言を足穂とからめたものとして知られています。(「自分が今後演ずる愚行を稲垣さんだけは理解してくれるだろう」という意味のことを言っています。昨日が40周忌でしたね。)

_ 玉青 ― 2010年11月27日 11時28分42秒

1970年に出た『機械学宣言』に、足穂と画家の中村宏、そして司会を松岡正剛が務める対談が収められています。その中の「空間論」と題された対談で、足穂は以下のようにぶち上げています。

「稲垣: 望遠鏡はよろしいな。天体を相手にするのはかなり宿命的なことですよ。天文学以外の可能性を排除するんやからね。日常性に対して虚無的な人ほど天文学にいかれてしまう。シバの女王から去ったバルタザールですよ。空虚との格闘、これがなければダメですよ。ブドウ酒ばかり飲んでいたりする奴に抽象的なものがわかるはずがないよ。「時には親しい友とブリッジに興じることがある」なんていうのは大バカヤローのやることだよ。だから人工衛星と月ロケットを唯一の内容とする“宇宙バカ”が出る。(笑)」

人工衛星とロケットには、相当の悪印象を抱いているようです。
ここでは「空虚との格闘」というのがキーワードで、天文学の話題となれば、どうしても無限やらロバチェフスキー空間やらが顔を出さねば収まらないところが、足穂にはありますね。さらにここに出てこない、もう一つのキーワードが「郷愁」。つまり、足穂に言わせれば「ロケットには宇宙的郷愁がないじゃないか!」ということに尽きるのかもしれません。そして「人工衛星なんぞ、ブドウ酒片手にブリッジ遊びをしている俗物だ!」と。

そのせいで、三島由紀夫もけちょんけちょんです。以下は仏文学者の小潟昭夫との対談。

「小潟: 日本の作家の中で、三島由紀夫さんなんかどうですか。」
「稲垣: きらいですね。あんなはったりは。うそばっかり。感動というものはちょっともないでしょう。なつかしさがないでしょう。郷愁、ノスタルジーがひとつもないでしょう。みなつくりごとですよ。よくあんなもん読めるなあと思う。あんなくだらんもの。うそでかためたような男や。文学なんてわかってなかったと思うね。あの人は。しかし非常な才気のある人やね。山師でもきらいな山師ですね。けど、山師でも感動を与えてくれりゃええですよ。なつかしさが。それがひとっつもないもの。ノスタルジーというようなものが。うそばっかり書いてあるだけや。要領よく。」(「わが思索のあと」、『タルホ事典』所収)

ここで文学を天文学に、三島をアポロ計画に置き換えると、なんとなく足穂の心情が分かるような気がしなくもありませんが、いかがでしょう。

でも、足穂の解題者、松岡正剛氏に言わせれば、これは単なる世代差であり、後続世代がアポロに宇宙的郷愁を感じても一向に差支えない、ということのようでもあります。

「またたとえ、われわれがタルホ事物群とは異った事物に愛着を覚えたとしても、単に世代の差による着目である場合も多い。それでもさらに新しい少年たちは、月面着陸機やレーザー・ホログラフィを、テレビ電話の画像の乱れやファクシミリのインクのにじみを、ミニコンのラインプリンターが打ち出す記号マトリックスや無重力写真を、やはり「美は人工にあり」の叫びとともに偏愛することだろう。」(松岡正剛「恭々しき事物群」、同上)

「しかし、実はもうひとつ、スターメーカ氏〔=足穂〕との体験の相違がある。それは、タルホが「あんなものはインチキ臭くて見てられない」というプラネタリウムに、私は少年期の頃よりどぎまぎした憧憬を抱いてきた、ということだ。今日の少年がジェラルミンのジェット機をもってタルホ世代のファルマンにする―という関係はここにはないとは思われるが、カール・ツァイス社の第一号プラネタリウムが1923年の完成であるので、すでにその年に『一千一秒物語』の発表を了えていたタルホに「少年とプラネタリウム」の題材は体験されなかった、という意味では、あるいはそんな時代の差も考慮されてよいかもしれない。」(同「星と半円劇場」、同上)

なんだか引用ばかりで、自分の意見がないのですが、稲垣足穂その人と「タルホ的なるもの」は違うし、後者は足穂氏当人の意見を超えて、やっぱりタルホ的たることを止めない。その辺を区別しないと、話が混乱しそうだ…ということを思いました。

なんといっても、ロケットは足穂の好きな中空の筒ですし、それが空間を突き進んで、先っぽがズドンと月にぶち当たる…というのは、いかにもタルホ的趣向だと言えるのじゃないでしょうか。あるいは、「ヤー・チャイカ」とグルグル黒い空を回り続けた女性。そこに不思議な郷愁を感じないわけにはいきません。

_ S.U ― 2010年11月27日 16時54分40秒

おぉ、これは読み応えがありますね...

問題の本質がだいぶはっきりしてきたように思います。ご指摘のように、「足穂氏個人とタルホ的なものの違いをふまえよ」ということなのでしょうね。足穂氏にとっては、タルホ的なものが抽出されていないものに本質的な価値はありませんから、大作家を俗物と罵倒することになるのでしょう。

しかし、足穂ももう一つの側面、宇宙技術に歴史的価値があることは認めているようです。『彗星問答』の「人工衛星時代」(1956)には、

「日の下に新しきものなし」
であればこそ、真に歴史的なるもの、驚世駭目が根拠づけられることになる。宇宙旅行及び人工衛星には彼らの憧憬渇望に答えるものがある。これは、何としても否みがたい。

と書いていますし、同「月は球体に非ず! -月世界の近世史」(1958)には、

宇宙感は漸く一般化しようとしている。それは何の役に立つのであろう? 云う迄もない、我々の平板的な背景を広大無辺な立体にまで置き換えようとする。

と書いています。これらの新技術が人間を新しい宇宙感覚に目覚めさせるという価値を、飛行機の出現と類似した流れで認めていたようです。これが、松岡氏の言う世代の違い、につながるのだと思います。

 私ごとですが、アポロの月着陸も、日本のラムダロケットも、ソユーズの帰還事故もすべて同様の「郷愁」のあるインパクトの事件だったように思います。そして、円筒形ロケットでないスペースシャトルやらISSは、「あんなもの、ぜんぜんあきませんがな」ということになります。しかし、新しい世代の子どもたちがこれらの機構に先鋭的なものを見いだしてもいっこうに矛盾しないわけで、足穂氏も少年期に映写機やらファルマンの星形エンジンを持ち上げていますから、これらの間に客観的な違いを見つけるのは難しいように思います。

 個人や時代による違いがあっても、人は「宇宙的郷愁」をそれぞれに感じ、それらは全体として「タルホ的なもの」を含んでいる。ここまでは、我々も足穂氏個人も同等としてよろしいように思います。それらの中から本質部分な部分を抽出して見せる、これは足穂にしか出来なかったことのように思います。

_ 玉青 ― 2010年11月27日 20時56分52秒

どうやら話が収束しそうですね。
無事バッティング・ピッチャーの役を果たせたようでホッとしています。
今回の内容と直接の関係はありませんが、こうしたコメント欄でのやり取りの効用について、改めて記事を書かせていただきました。
今後ともよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。<(_ _)>

>あんなもの、ぜんぜんあきませんがな

あはは。でも、スペースシャトルが複葉機の形をしていたら、それはそれでまたスゴイでしょうね(笑)。

_ S.U ― 2010年11月28日 08時56分13秒

こちらこそ、どうもありがとうございました。

確かに脱線がひどいですね...
 まあ私がいろいろ書いていてもハッタリ半分のツッコミ待ちのようなものですから、おっしゃるように、どなた様にも割り込んでいただくのが適当だと思います。感覚世界に究極理論がないならば、感覚で脱線するのもまた貴重としてください。

 でも、「足穂とアポロ」。これは、ハッタリでも人類の行く末のために誰かが分析せねばならないテーマだと思います。草下英明氏も松岡氏も書いていないのならば、どなたか一肌脱いで下さらまいか。

_ 玉青 ― 2010年11月28日 17時23分33秒

この件については、新たに思うところがあります。
しばらく寝かせておいて、記事本編の方でぽつぽつ書き継いでいきたいと思います。

_ S.U ― 2010年11月28日 22時00分52秒

>記事本編の方でぽつぽつ書き継いで
おっ、それは楽しみです。 こりゃライフワークにする値打ちさえあるかもですよ。

_ 玉青 ― 2010年11月29日 19時09分39秒

今日の記事のような塩梅で、どうも「ぽつぽつ」が、「ぽつっ…ぽつっ…」になりそうです・・・・・・ (´.ω.`)

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