青ざめる古書たち2010年12月04日 17時26分45秒


(OVA版“R.O.D-READ OR DIE”より)

神保町のとあるビルの屋上に住む、本の虫、Yomiko(読子) Readman。
彼女には臨時教員という表の顔とは別に、紙を自在に操る能力を駆使して事件に挑む、大英図書館特殊工作員という裏の顔があった。コードネームは「ザ・ペーパー」。

そんな彼女でも手の出しようがない、紙の劣化の恐怖とは?

   ★

昨日、DryGinAさんよりコメント欄でお知らせいただいた下のページに、その惨状が載っています。「触れただけで紙がフレーク状に崩壊する」というのは、こういう状態を言います。

■酸性紙資料の脱酸性化処置:東京都立図書館
 http://www.library.metro.tokyo.jp/15/15a84.html

伝統的に本の敵と言えば虫とカビ。しかし酸性紙問題は、セルロースが分子レベルで崩壊していくミクロの脅威なので、対応がいっそう困難です。健康な紙が内部から徐々に蝕まれ、最後には粉々に崩壊してしまうという、まさに「紙の癌」ともいうべき恐るべき相手。

紙の劣化の仕組みについては、同じくDryGinAさん紹介による以下のページが要領を得ています。

■中性紙使用のおねがい:国立国会図書館
 http://www.ndl.go.jp/jp/aboutus/data/chuseishi.pdf

上のリンク先から抜き書きしてみます。

「19 世紀半ば以降、本に使われている紙は木材を機械的または化学的に処理してセルロース繊維を取り出した、パルプを原料としています。パルプを網の上ですきあげたものが紙です。製紙工程の途中で、インクのにじみ止めのためにロジン(松やに)を加えます。これをサイジングといいますが、ロジンを紙に定着させるために、硫酸アルミニウムを添加しなければなりません。硫酸アルミニウムは紙の中で加水分解して硫酸を生じ、紙を酸性にします。この硫酸が紙の繊維のセルロースを傷め、劣化を導きます。」

つまり、紙の表面処理に使われた「硫酸アルミニウム」がこの問題の主犯格。

   ★

今回、この問題を知るために、下の本を併せて読んだので、同書に依ってもう少し補足しておきます。

園田直子(編)『紙と本の保存科学』、岩田書院、2009.
(今年第2版が出ましたが、そちらは未見。)

   ★

まず私が誤解していたのは、紙の褐変の問題です。
終戦直後に出た本で、よく紙が真っ茶色になっているのがありますが、あれはセルロースの劣化ではなく、主にリグニン成分(←機械処理したパルプに多く含まれる)の劣化によるもので、基本的に酸性紙とは別の問題だそうです。
もちろん両者が重複している場合も多いのですが、見かけは新しくても触るとグズグズだったり、反対にすっかり茶色くなっていても、見た目ほど紙の強度が落ちていない場合もあるのだとか。

20世紀以降は、戦争前後の一時期を除き、リグニンの少ない化学パルプが主流となったため、褐変の問題は以前ほど目立たなくなりました。しかし酸性紙の方は、近年、中性紙が一般化するまで延々と作られ続けてきたので、この問題は本当に深刻です。

大量の資料を保管している図書館などでは、アルカリの液にボチャンと漬ける液相処理や、アルカリのガスを吹き付ける気相処理など、本の脱酸処理をいろいろ試行錯誤していますが、まだ理想的な方法は見つかっていません。それに、そもそも脱酸処理は、それ以上酸化が進行するのを抑えるだけで、紙力を回復する効果はありません。つまり、脆くなった紙がシャンとするわけではないのです。(メチルセルロース溶液の浸潤による強化処理など、そちらの研究も徐々に進んではいるようですが。)

  ★

「よし、酸性紙の問題はわかった。図書館での取組も承知した。で、一般の家庭ではどうすればいいんだ?」…というのが、個人蔵書家にとっては、いちばんの関心事でしょう。でも、上の本を読んでも、これがよく分かりません。たぶん根本的な解決法はないんじゃないでしょうか。せいぜい温湿度の管理に気を使ったり、酸性紙同士の接触をなるべく減らすぐらいでしょうか。

うーむ、座して死を待つしかないのか…。
しかし、ここで過度に悲観的にならなくてもよい理由は、紙の劣化が深刻なのは、特定の年代に集中しているからです。即ち、「機械パルプの使用」と「酸性紙問題」が重なった時期がそれです。(そして1800年以前の古書は、酸性紙問題とは最初から無縁です。)

日本では必ずしも刊行年の古い図書の劣化が著しいわけではなく、第2次世界大戦中から戦後にかけて刊行された図書の劣化が激しくなっている。これは刊行当時の社会的状況から、原料パルプの質的低下と抄紙時のpHなどが原因と考えられる。ちなみに、欧米では木材パルプ、特に機械パルプの使用、さらには酸性ロジンサイズ処理の普及による抄紙pHの低下から、19世紀後半に刊行された図書の劣化が最も著しい。」(上掲書p.140)

「19世紀の後半」というのは、より具体的には、1880年代を中心とする前後20年間がそれに当たります。購書段階からこの点を念頭に置いて、オリジナルの古書を買う理由を自問しながら行動すれば、精神衛生はかなり向上するのでは。

  ★

さて、ブログの趣旨からは脱線しますが、紙の話題の続きとして、DryGinAさんやS.Uさんが触れられていた、和紙の特性についても書いておきます。

(この項つづく)

【付記】 R.O.Dについては、以前、麻理さんの「スチームパンク大百科」で教えていただきました[LINK]。

コメント

_ mimi ― 2010年12月04日 19時50分53秒

ものすごく単純な私の思考ですが・・・。

以前の仕事の関係で、内桐の家具を販売していました。
よく、写真の退色は湿気からという話(間違っていたらすみません)をしていたのですが、日本における紙の最大の敵は、玉青さんが書かれているように、虫と湿気ですよね。
フランスに来て、いつも古い本の保存状態が比較的良いことに驚いたのですが、個人的に湿気が少ないせいだと思っています。

プラスチックの収納に、白いシャツやTシャツを入れていると、汗をかくところ(いわゆる脇や襟元)が変色しますよね。
ところが、密閉性の高い桐箱に入れていると、確実にその現象は抑えられます。

ということで、大切なものは密閉性の高い桐箱に入れると少しはましになるのではないかと勝手に思っています。

以前、フランスで購入した古書のすべてのページにパラフィン紙みたいなものが入っていたのは、酸性紙の接触を避けるためだったんですね。
しかし、私の主に収集している年代の本などで、私も心が痛くなってきました。(苦笑)
ただ、我が家の現在の古書や直筆の文書を見てみると、紙の端の破れや褐色化、背表紙の傷みのみで、紙質の劣化は見当たらないので、私は湿気対策に重点を置いてみます。

_ 玉青 ― 2010年12月05日 14時20分07秒

桐箱はいいみたいですよ。他の木箱に比べても調湿効果がはっきりと高く、保存容器として優れているそうです。以下は、記事中で参考にした本の受け売りです。

まず、紙資料の保存環境には、温度や湿度の数値ももちろん影響しますが、その値の「変化」も重要なファクターだそうです。開放空間だと温・湿度は短時間で大きく変動しますが、それによって紙が膨張・収縮を繰り返し、物理的劣化が早まるのだとか。桐箱はそういう外界の変化をやわらげ、紙にやさしい環境を提供してくれるわけです。

ただし、密閉容器であるため、初期状態が悪いと、その影響がかえって長期化したり、目が行き届きにくく、何か変化があっても気づかれにくかったりという弱点もあるので、桐箱に収納するのは湿度の低い日を選んで行い、ときどき点検をする必要があるようです。

なお湿度の値ですが、日本の夏は本にとって明らかに高湿度なので、エアコンは欠かせません。ただし、紙自体は低湿度(相対湿度30~40%)を好むのに、革はある程度の湿度(同50%以上)が必要なので、革装丁の本の保管にベストな環境はなく、「そこそこ低温、そこそこ低湿度」という辺りで手を打つしかないみたいです。

  +

19世紀後半の本は点数も多いし、20世紀の本と違って、銅版・木版・石版の挿絵の味わいが格別なので、どうしても手元に置きたくなりますよね。まあ、私は余生も短いので(笑)、自分が生きている間ぐらいは十分もつだろうと踏んで、気軽に買ってしまいますが、でも先の星図のように既に危なくなっている本もあって、本当に悩ましいです。
買うか、諦めるか。うーん、最後はもう自分の価値観を信じるしかないですね!

_ 日本文化昆虫学研究所 ― 2010年12月07日 20時40分26秒

 こんばんは.本(紙)が劣化してぼろぼろになっていくとは・・・考えただけでもおそろしい話ですね.こうなってくると,特定の時代の文書については,電子図書化をすすめたほうがよいのかもしれません.古書の味はなくなりますが,情報を残せるだけでも万々歳だと思います.

_ 玉青 ― 2010年12月07日 21時18分23秒

これはもう現実に考えねばならない問題で、実際、一部ではどんどん進められているようです。
本そのものを資料として残さなければいけないのか、それとも文字情報だけ残せばいいのか、各図書館では待ったなしのシビアな判断と選別を迫られていると聞きます。まあ、活字はいいとしても、図版とかは判断に迷うでしょうね。

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