和紙のはなし2010年12月05日 14時24分47秒

(↑明治19年発行の理科教科書。文部省旧蔵本。理科も和紙で伝えられた時代の証人。)

昨日の続きです。

「和紙と洋紙」について、我々は無条件で和紙の良さを称揚しがちですが、そこで比較されているのは、実は「伝統和紙」と「近代洋紙」であり、「伝統洋紙」と「近代和紙」が意識から抜け落ちていることを、前記『紙と本の保存科学』を読んで教えられました。

正倉院文書の存在などから、和紙の保存性が相当なものであることは確かです。
しかし、これは和紙の専売特許ではありません。500年前のグーテンベルグ時代の紙(亜麻ぼろを原料とした手漉きの紙)は、現代でも非常に健全な状態を保っており、おそらく和紙と同程度の寿命があると思われます。近代の紙になると、酸性紙で100年ちょっと、期待の中性紙でもせいぜい500年程度の寿命と考えられているので、昔の手漉きの紙は、洋の東西を問わず非常に長寿命であることが分かります。

しかし、手漉き洋紙の原料である亜麻ぼろも、それを使って紙を作れる工場も、欧米社会からは既に消えてしまったので、手漉き洋紙を採算ベースで作ることはもはや不可能です。その意味で、和紙の存在は非常に貴重であり、永続性に加えて、薄さ、しなやかさ、透明性を備えた和紙は、現在、欧米でも書画の修復材料として重宝されています。

しかし、その和紙にも不安がないわけではありません。
明治以降の和紙は、その製造の機械化にともない、原料に木材パルプを混入し、またその製造過程で多くの化学薬品を使用しています。そうした和紙は、見かけは従来の和紙と同じでも、100年も経過すると脆弱化するなど、洋紙と同じ問題を抱えています。

「一般的に、また和紙使用者として文化財保存修復に
携わる我々も、とかく和紙が古法を守って造られていると
思いがちである。現実の和紙製造工程を見てみると、
予想以上に各種の工業製品や機械などが導入されて
いるのに気が付く。

現在は文化財保存に関わる和紙は、日常生活のための
和紙とは違う分野として認められてきているが、過去に
造られた和紙には、競合製品のように短期間の寿命を
想定して大量に低価格で流通することを目指して造られた
モノも多い。それらが、手漉き和紙であるという外見だけで
永続性を信用され、文化財修復材料として使われる
可能性も否定できない。」 (前掲書 p.45)

せっかく和紙を使って修復したのに、修復材の方が先にボロボロになってしまったという、笑えない話もあるらしい。

   ★

近代は個人主義の時代だからでしょうか、物事をすべて個体の時間スケール、せいぜい10年とか30年単位でしか考えないので、情報の保存の問題も、政治や経済も、何だか焦土作戦のような色合い帯びています。「それではいかん」と感じる人も少なくないのでしょうが、いかんせん衆寡敵せず、なかなか修正がききません。

現代の人間にイマジネーションが足りないわけではないでしょう。おそらくその豊かなイマジネーションを、もっぱら不安や猜疑の方向に働かせているために、刹那的になっているのだと思います。それを別の方面に向けたら、もっといろんなものが見えてくるし、いろいろやれるはずなのになあ…と思わずにはいられません。

紙の保存の問題から、そんな大仰なことをチラと考えました。