風よ!2010年12月11日 21時01分50秒

4椀受風器付きロビンソン風力計(1960年製)。

   ★

かつては、風を受けて勢いよく回っていた頃もあったでしょうに。
今は、風の夢を見ながら、そよとも吹かぬ部屋の中で、静かにまどろむばかりです。

コメント

_ S.U ― 2010年12月13日 21時14分16秒

またまた昔の歌にひっかかってすみません。(天文・気象を歌った日本の歌曲はだいたいひっかかると思って下さい(笑))今度は、ペギー葉山の「雲よ風よ空よ」が好きだったのを思い出しました。シャンソンの訳詞だとずっと思っていたのですが、今調べてみると和製の曲でした。1番の歌詞の感傷はどうみても日本ですね。

_ 玉青 ― 2010年12月14日 19時36分46秒

ペギー葉山さんのこの曲、私はまったく知りませんでした。YouTubeで聴いても記憶が蘇りません。うーん、これって、いつごろの曲ですか?

たぶんこの曲も、1つ前の「雲よ!」の冒頭で書いたことの例証かなあ…と思いつつ、検索すると「そっくりさん」がいっぱい出てきます。やっぱり、空を行くものに思いを託すというのは、人間にとって普遍的な行動なんでしょうね。

『空よ雲よ小さな風よ』…水越けいこ・田中星児による情報番組主題歌(1977)
『風よ雲よ空よ』…クリスティーナ三田(誰?)のCDタイトル及び収録曲
『風と雲と私』…熊谷幸子によるTVドラマ主題歌(1994)
『風と雲と虹と』…大河ドラマ(1976)
『夏音アート・2009~風よ雲よ海よ空よ~』…昨年大阪であった音楽イベント

最後はロマンチックに。アロイス・ヤイテレス作詩、ベートーベン作曲「遥かな恋人に Op.98」より。(稲傘武雄氏の以下のサイトから引用させていただきました。同氏訳。)
http://homepage2.nifty.com/182494/LiederhausUmegaoka/songs/B/Beethoven/S37.htm

 空高く飛ぶ雲よ、小さい小川よ、
 愛する人を探し出して
 何千という僕の挨拶の言葉を伝えておくれ。
 雲よ、彼女の後を追い
 静かな谷間で憩う彼女の前に
 神々しい空のもとで
 僕の姿が見えるようにしておくれ。
 もう秋の葉の落ちかけた繁みの傍で
 私がどうしているか、この悲しみを
 鳥達よ、彼女に伝えてくれ。
 心和ませる西風よ、やさしいそよかぜで
 僕の変わらぬ気持と、
 最後の太陽の光のように消えようとしている
 ため息を伝えてくれ。
 僕の愛の望みをささやいてくれ、小さい小川よ、
 さざなみの間に僕の数知れぬ涙が
 流れていることを彼女に話しておくれ。

_ S.U ― 2010年12月14日 20時19分49秒

>この曲も、1つ前の「雲よ!」の冒頭で書いたことの例証

 まさに、雲も風も文字通り「人生の同伴者」ですね。 「雲よ風よ空よ」は、Wikipediaの「ペギー葉山」に、

1971年発売の「雲よ風よ空よ」以来約40年ぶりのオリコンチャートインを

とありますので、その頃けっこう売れた曲だったようです(オリコンチャートインというのは100位以内だそうです)。今思うに、当時のフォークブームに乗ったものだと思います。

_ 玉青 ― 2010年12月15日 20時41分55秒

お知らせありがとうございました。
1971年ですか。それならば、聞き覚えがなくてもしょうがないですね。

個人史的なことで言うと、その頃の歌で記憶に残っているのは、「学生街の喫茶店」ぐらいでしょうか。それは私自身が学生街の真ん中に住んでいて、クラスメートに文字通り「学生街の喫茶店」の息子がいたりしたので、特に記憶に残っているのでしょう。

先日久しぶりにその近くに行ったら、角文字の立て看板なんか、もうどこにもなくて、本当に「人の姿も変わったよ。時は流れた」という感じでした。考えてみれば、私自身がすでに今の学生の父親世代に接近しているのですから、変わって当り前ですね。嗚呼、往時茫々。。。

_ S.U ― 2010年12月17日 20時13分17秒

またまた横道にそれますが、1971年は日本歌謡史において画期的に重要な年でした。かつてのフォークグループやグループサウンズが、メロディラインの親しみやすい曲を掲げて商業路線に乗ってきたのに加え、若年歌手によるアイドル路線が普及し始めて、一挙に若者向け市場が広がりました。「花嫁」、「翼をください」、「虹と雪のバラード」の発表、南沙織、天地真理、郷ひろみ、野口五郎、沢田研二(ソロ歌手として)のデビューはいずれもこの年です。ご紹介の「学生街の喫茶店」のガロのデビューもこの年でした。(←突如として歌謡曲評論家)

_ 玉青 ― 2010年12月18日 17時41分19秒

あはは。S.Uさんの知られざる蘊蓄が出ましたね。
なるほど、71年ですか。私も昭和B級文化評論家として付言すれば(嘘)、この年は仮面ライダーと、帰って来たウルトラマンの放映があった年ですね。そしてスプライトとカップヌードルが発売された年でもあります。子どもたちの生活は、三里塚闘争なんかとは関係なく、そしてまたアイドルに熱を上げるほどのお年頃でもなかったので、純粋にそんな要素のみから成り立っていました。そして、私はと云えば、毎日熱心に虫とりに励んでいたのでした。。。

_ S.U ― 2010年12月18日 23時31分01秒

いろいろあったんですねぇ。
より大げさないいかたをしますと、1971年は「社会派的」な文化、メッセージ性が強い文化が一般の庶民社会においてひとまず終焉を迎えた年と言えるかもしれません。

>毎日熱心に虫とり

 いつの世でも子どもが時代に翻弄されない社会がいちばんです。

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