明治日本のアマチュア天文家…前原寅吉翁のこと(7)2010年12月28日 18時45分28秒

次いで、寅吉の報告内容を検討してみます。

ウィキペディアの記述には、文語体で太陽の見え方の変化が書かれていますが、基本的なこととして、その出典が不明です。寅吉自身の記載なのか?それとも満州日日新聞の記事の引用なのか?大事な点ですが、未詳です。

ただ、いずれにしても、寅吉が報告しているのは、彗星本体の太陽面通過ではなく、彗星の尾が地球を覆うことによって、太陽の見え方に変化が生じたことです(なにせ当日の位置関係では、彗星の核自体はどんな大望遠鏡でも捉えることは不可能でしたから)。であれば、金星の太陽面通過のように、開始と終了の明確な区切りはないように思うのですが、寅吉は分単位でそれを報告しています。即ち、午前(ウィキペディアには午後とありますが誤記でしょう)11時20分に太陽の変色が始まり、午後12時17分に終ったと。

ここでいささか気になることがあります。
実は「天文月報」の同じ号(第3巻1号)の雑報欄には、ハレー彗星の太陽面通過に関して、具体的予測が出ていました。

「クロンメリン氏は又前記現実軌道の要素に依りて 来る五月十九日に起るべき太陽面通過の時刻方向等を推算せり、其結果左の如し、(時刻は日本中央標準時。)
 経過の初。 午前十一時二十二分
         方向角二百六十四度
 経過の終。 午後零時二十二分
         方向角九十二度
 最も太陽の中心に接近するは午前十一時五十二分にして、其時に於ける彗星の位置は太陽の中心より南方一分二秒の処に在るべしと云ふ。」

クロンメリンが行ったのは、あくまでも彗星本体と太陽の位置関係の推算です。そこから伸びる尾がどのような振舞いを見せ、地球にいつ到達するのかは、天文学者にも予測不能でした(この点については下記を参照して下さい)。

■暦と星のお話>1910年のハレー彗星騒動>1910年5月19日
 http://www.geocities.jp/planetnekonta2/hanasi/halley/kiji/19100519.html

したがって、寅吉の報告が、上記の開始/終結の予想時刻とあまりにも符合しているのは、かえって不自然です。

寅吉は確かに何かを「見た」のかもしれません。しかしそれが他の人にも見えたかどうかは別問題です。そして彼はこの「天文月報」の記事を事前に目にしていたはずです。そして満州日日新聞もそれを知っていました。(というか、当時この時刻は各紙が事前に報じていたので、国民周知でした。)

予断があったために、寅吉がそこに無いものを見てしまった。あるいは、寅吉が曖昧な形で報告したものを、新聞記者が自らのストーリーに合わせて改変してしまった。そうした可能性を考えるべきです。

後者とすれば何をかいわんやですが、仮に前者だとすると、寅吉を責めるのはいささか酷かもしれません。火星の運河論争を思い起こせば分かる通り、どんなに訓練された天文学者であっても、自らが期待するものの影響を完全に脱することは、きわめて困難なことだからです。

(この項つづく)

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