明治日本のアマチュア天文家…前原寅吉翁のこと(8) ― 2010年12月28日 18時49分17秒
彗星の尾を通して「太陽面の一部が青く見えた」という記述についてはどうでしょう?
ガス状のものが空を覆えば、届く太陽光は散乱しにくい長波長に偏り、赤味を帯びるんじゃないかとか、いや彗星のガスの成分によっては太陽光によってガスそのものが青みを帯びてもおかしくないとか、いろいろ説を立てることはできます。
しかし一番重要なのは、寅吉は白昼にサングラスを装着した望遠鏡でそれを見たと言っていることです。裸眼では(そして他の望遠鏡でも)どんなに目を凝らしても、何の変化もなかったというのに。果してそんなことがあり得るでしょうか?
★
そこで登場するのが、謎めいた「太陽面直接観望用眼鏡」です。鈴木氏は『野の天文学者』で以下のように書いています(pp.106‐107)。
「男の人が「前原時計店」に入ってきてたずねました。
〔…〕
「いや、わたしは東京の天文学会からきたものです」
「そうですか。それはそれは遠いところ、ご苦労さまでした」
寅吉は、仕事台から立ち上がりました。
「あの、どのようにして、太陽の写真をとったのですかね。ふつうは太陽の写真をとることはむずかしいんですがね。いわんや、黒点など写せません」
「それはですな」
寅吉は、部屋のすみにおいてある、特別な装置を見せました。
「これであんす。これは写真館の高野直太郎さんとわたしの二人で考えて作ったものであんす」
「ほうなるほど、これですか。なるほど、なるほど」
その学者は、ていねいに見ていきます。そして、
「これは、太陽面直接観望用眼鏡ですな」
と、いいました。
「はい、そうです。やっぱり学者の方ほ、いい名前をつけるもんであんすな。その名前いただきます」
現在、寅吉の作った「太陽面直接観望用眼鏡」は残っていませんので、どのような装置かわかりませんが、すぐれた報道写真を数多く写した高野直太郎の技術と、時計の修理をしながら、いろいろと機械をあつかっているうちに気がついた寅吉の考えとが、ひとつになってつくられたものと思われます。
学者が帰って間もなく、寅吉は、
「日本天文学会特別会員」
に推せんされたのでした。」
このシーンもどこまで事実に基づくのか不明ですが(多分にフィクションめいています)、「太陽面直接観望用望遠鏡」というのは、何か特殊な機構を備えた装置としてイメージされています。
しかし、「天文月報」第1巻第6号(明治41年9月)の巻末の広告欄には、寅吉がこれを10個作って、日本天文学会有志に配布を申し出たことが記されています。
「本会特別会員 前原寅吉君(青森県八ノ戸在住)より 太陽面観望用として 直接に又は双眼鏡及び望遠鏡と共に使用し得べき 便利なる眼鏡十個を送付せられ 会員中有志の人に贈与したき旨申越され候に付 希望の人は本月二十五日迄に申込まれ度候 希望者十名以上ある時は 抽籤にて配布可致候」
直接覗いてもよく、また双眼鏡や望遠鏡でも使用可の「便利なる眼鏡」というのは、単純に眼鏡型のサングラスのことではないでしょうか? 例えば、アメリカで1932年に皆既日食があったとき、下のような日食グラスが販売されましたが、似たような形状のものではなかったかと、私には想像されます。
(↑アメリカの日食観測用眼鏡2種、いずれも1932年製)
鈴木氏も、「天文月報」誌上の記述には目を留めておられて、「個人で十個も寄贈するのですから、〔…〕そんなに複雑で高価なものではないと思います」と書かれていますが(p.139)、まったく同感です。いずれにしても、肉眼では捉えられない不思議な光学現象を捕捉する精妙な装置だとはとても思えません。
(この項つづく)
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