NHKよ、あなたはいったい…?2010年12月28日 23時03分10秒

呆然自失。

寅吉翁の太陽面通過観測は完全にスルーされた…!
ひょっとして、それがNHKの見識だったのかもしれませんが、その見識が番組の隅々にまで行きわたっていると、なお良かったですね。何だかコメントの難しい番組でした。真面目に見てはいけなかったのか?
あれでは、知らない人が見たら、寅吉翁がなんのために出てきたのか分からないんじゃないでしょうか。

結果的に完全に私の独り相撲に終ったようで、いつになく徒労感が濃いですね。

【付記】
でも、1つ気が付いたのは、太陽を横切ったとされる「青い光」の正体は、彗星の尾に含まれると喧伝されたシアンからの連想で、青はハレー彗星のシンボルカラーだったわけですね。

コメント

_ S.U ― 2010年12月29日 10時33分05秒

前原寅吉翁のことはほとんど何も知らなかったのですが、お書きのものを読ませていただくに、まじめ実直な方だったようで、江戸期のやはりアマチュアであった麻田剛立翁や三浦梅園翁に共通するものを感じました。これらの人に共通することは、アマチュア科学の神髄を生まれながらに体得していて、それを頑固に守ったというところではないでしょうか。現代でもたまに、野や山のものを研究していて大発見をする子どもがいるようで、そのような素質というものがあるように思います。また、また、同時代人に賞賛されていながら、現代においてその業績の評価が難しいというところも共通しています。

 変光星の原因を恒星の黒点に求める説は、江戸時代の天文書にあります。西洋説が中国あるいはオランダ経由で書物ではいってきたものと思います。寅吉翁はそれを何かで知ったのだと思います。また、ハレー彗星太陽面経過の一件については、私はやはり当時は核の大きさの測定が本筋ではなかったかと考えます。小さくて見えないと言っても数百kmの大きさがあれば見えることもあり得たはずで(実際のハレー彗星の核は10km程度ですが)、当時はその可能性も追求されたと思います。観測時にシアンガスのほうにスイッチしてしまったという説はどうでしょうか。彗星にシアン化水素があることは今日確認されているので、これは間違いではないですが色が見えるほどの効果があると期待するのは当時でもちょっと大胆すぎるように思います。

 NHK番組も見ました。寅吉さんはまじめそうな方でしたね。この人が観測をしたり、自分の研究について発表するシーンもあっても良かったかもしれませんが、まじめすぎて現代風ドラマとしては面白くなかったかもしれません。

_ 玉青 ― 2010年12月29日 14時50分46秒

麻田剛立や三浦梅園にまで比せられたら、寅吉翁も本望でしょう!

寅吉がどうやって天文知識を得たか、その蔵書構成はどうだったかということは、ぜひ知りたい点です。当時の地方のアマチュア天文家の実像を知るうえでは、不可欠の情報だと思います。が、どうも情報に乏しいです。
『野の天文学者』で言及されている寅吉の読書体験は、子どもの頃に読んだ『鵞瓈皤児回島記』(がりばるすしまめぐり;ガリバー旅行記の抄訳)と宇田川清一郎訳『物理学全誌(全十巻)』(とありますが、検索しても見つかりませんでした)、それに三省堂に注文したという「天文学の本」ぐらいです。

寅吉は明治5年の生れですから、青年期の頃までは江戸時代の木版本はまだその辺に転がっていたはずで、旧来の本も熱心に読んだ可能性はありますね。成書の乏しい頃ですから、その勉学の成果も、新旧雑多な情報から成るアマルガムのようなものだったかもしれません。

さて、ハレー彗星の件。考えてみれば核に限定する必要はないですね。頭部はかなりの大きさがありますから、濃密なガス塊が太陽光球をバックにしたときに何かが見えるかも、という可能性を追求して、プロもアマも熱心に筒先を太陽に向けたのでしょう。

そして、プロは何も見えない可能性の方を強く意識していたかもしれません。約30年前の1882年のグレートコメット接近時にも彗星の太陽面通過が見られ、ケープタウンで詳細な観測が行われたものの、太陽面を通過する際には核も含めて彗星の姿が全く認められず、それは彗星の密度が非常に低いことを示すものだ云々…という記述を、本田親二(著)『最新天文講話』で読みました。この本は彗星騒動の最中、明治43年4月に出た本で、特別に「附・ハリー彗星」という章が設けられています。ただ、そこでも太陽面通過そのものの扱いは軽くて、むしろその前後のスペクトル撮影の意義について字数を割いています。

「青」については、記事でも書いたように、一つのシンボルカラーだったように私は感じます。まあ、この件については、満州日日新聞の報道と、寅吉の実際の観測記録とを突き合わせないと何も確かなことは言えないでしょうが、想像でつぶやくと、個人的にあの報道にはけっこう怪しいものを感じています。特に報道が一紙のみで、続報もないというのは、相当怪しいです。実際、明治の新聞にはヨタ記事も多かったので、寅吉が本当に「青」と言ったかどうかからして、考える必要があるんじゃないでしょうか。記事を書くに当たって、俗耳に入りやすいよう、記者がもっともらしい潤色を施したかも…という疑念(邪推)を捨てきれません。「ハレー彗星といえば、君、話題のシアンだよ。シアンといえば青じゃないか。青だよ、青、青で行こう」みたいなノリがなかったかどうか?

ところで、寅吉のエピソードをめぐって改めてネットを徘徊したら、無条件にあれを「事実」としているページが多いのに驚きました。「大勢の人が観測していたが、寅吉だけが観測に成功した。見事だ!!」…というよりは、「大勢の人が見ていたのに、一人の目にしか見えなかった。不思議だ。何かの間違いじゃないか?」と考えるのが普通で、それこそハレー彗星騒動を正した寅吉流の健全な常識だと思うのですが、21世紀の我々に果して100年前の民衆を笑う資格があるか!!と一席ブッてみたいような…。

_ S.U ― 2010年12月30日 08時39分08秒

寅吉翁の「世界でただ一つの観測」のニュースが本人の意図したものに合致するかどうかはわかりませんが、それを賞賛する現代人にも問題ありというわけですね。

 どうも、一般には、専門の観測器具を使って空に観測したものは、「天の明瞭なしるしであり、ほとんど疑えないものである」という素朴な思い込みというか心理的な感覚があるのではないでしょうか。これが正しくないことはプロでもアマでも半年も天文・気象観測を経験すればわかることなのですが、経験のない人には理解しにくいことかもしれません。

麻田剛立にも、月食中の月面に落ちた地球の影のかたちから南極大陸の存在を確認した、というエピソードがあり、現在でも、これをポジティブな観測結果として賞賛してものが多々あります。地元の偉人として地域振興がらみで宣伝したり、昔の人の発想の豊かさを評価することに何ら異論はありませんが、科学的な観測として無条件に肯定的に評価するのはいけません。

 また、さらにいうならば、昨今の異常気象が人間に原因があるように喧伝されて(「温暖化」=人間のCO2放出のため、も含めて)そのように思い込む風潮になっているのも、天変があまりにも明瞭な天のしるしであるために、人々がことの次第を冷静に分析するだけの気持ちの余裕を持てないでいるためのように思います。

_ 玉青 ― 2010年12月30日 10時19分05秒

そういえば江戸の人は天体望遠鏡のことを「窺天鏡」とも言いましたね。
今でも望遠鏡に「天意を窺う鏡」のイメージを投影する人が多いのかも。
でも、その「天意」がけっこう「人意」だったりするわけですね(笑)。

麻田剛立と南極大陸のエピソードは寡聞にして知りませんでした。
万里の波頭を越えずとも、居ながらにして南極の山谷を知る。
その発想は素敵ですね。梅園が驚倒したのも分かります。

でも、それが不可能なことは、頭で考えても、実際に月食の際の地球の影を観察しても容易に分かりそうなものですが、なぜ剛立はそれができる(できた)と思ったのでしょうか、その点がいかにも不思議です。

『帰山録』に引用された剛立の書簡を読むと(文意の取れない所もありますが)、月食の時刻を観測すると、地球を真円と仮定した場合に比べて数秒の増減があることから、地形の凹凸が窺い知れるのだ…という理屈でしょうか。でも、月食の接触時刻や食甚時刻の決定は、当時にあっては(今でも)難中の難で、剛立もそのことは熟知していたはずですが、実は熟知していなかったとか…?

だいぶ話題があさっての方角に行ってしまいました。この辺はS.Uさんの独壇場ですので、また折を見てご教示いただければ幸いです。

_ S.U ― 2010年12月30日 13時45分39秒

>麻田剛立と南極大陸のエピソード

 お調べありがとうございます。梅園がこの説を知ったのは長崎旅行の時(1778年)だったわけですね。

 私は、この件の剛立の観測記録を見た記憶はないので、実際の状況はわかりませんが、剛立は若い頃から月食観測をして暦算の実証の研究をしていましたから、ご指摘の通り、その時刻測定が難しかしいことは熟知していたはずです。確かに、剛立にしては?という印象です。

 ところで、梅園の言う「分秒」は角度の単位だと考えます。地球の凹凸が数秒角ならば、地球影の視直径約2度に対して1/1000のオーダーになります。現代からみると多少の過大評価ですがケタ違いではないです。このへんは地理好きの梅園が計算をチェックできたのだと思います。

 これに加えて、剛立は、南極部分の地球の影のヘリが、影に向かって進行する月に対して斜めの角度でかかるなら時刻測定による観測精度が上がるという効果を考えたのかもしれません。幾何学的な状況によっては時刻で30秒、あるいは1分以上の違いが出ることも原理的にはありえます。梅園は数学の計算を理解しなかったので、ここまでの記述を彼に求めることは無理ですが、剛立ならそれなりの計算はしたものと思います。(ほんとうは、いずれにしても影の縁がぼやけているので、最終的に有効な精度はほとんど改善しないでしょうが)

 以上はまったくもって私の想像ですから、ご参考程度にお願いします。

 ところで、我々の同好会誌の最新号を今日発行しました。またいつでもお時間のある折に"URL"にお立ち寄り下さい。

_ 玉青 ― 2010年12月31日 20時37分54秒

早速のご教示ありがとうございました。

>梅園の言う「分秒」は角度の単位だと考えます。

あ、なるほど。

>幾何学的な状況によっては時刻で30秒、あるいは1分以上の違いが出ることも原理的にはありえます。

それぐらいの時間オーダーならば、検出できてもおかしくない、と剛立が考えたとすれば、理屈は通りますね。でも、実際に試みてどうだったんでしょう。梅園宛ての手紙では自信満々な書きぶりでしたが…むむむ…。

会報拝見しました。いつもながら能産的なお仕事にびっくりです。
いずれも蒙を啓かれる内容でした。特に地球温暖化と太陽活動の話題。私もS.Uさんの骨太な論を頭に入れた上で、従前の議論を再度見直してみたいと思います。

_ S.U ― 2010年12月31日 22時25分10秒

 我が同好会誌をご覧いただきありがとうございます。

 剛立の月食観測の続報は年越しとさせていただきしまして、
 では良いお年を!

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