コメント

_ 淡嶋 ― 2011年01月05日 19時03分55秒

玉青様へ
あけましておめでとうございます。
去年はお家に伺わせて頂き誠にありがとうございました。
今年も玉青さんのブログとても楽しみにしております。

_ 玉青 ― 2011年01月05日 19時44分54秒

いえいえ、こちらこそ。
新年早々、さっそく淡嶋さんのお世話になりましたよ(笑)。
今年もどうぞよろしくお願いします。

_ S.U ― 2011年01月05日 23時15分10秒

以前からどうにもわからないことなので、この機会に質問させていただきます。

 この欄の引用写真のトップにあるような、小さいコルク栓の壜、孔版のような横文字のラベルがあって、中身は顔料?でなくても標本でも薬品でもいいのですが、こういうイメージを大変なつかしく思います。こういう壜を幼い頃に何度もじかに目にしたような記憶があります。

 しかし、私は、一つたりともこんなものを持ってはいませんし、家にもありませんでした。どこで目にしたのでしょうか。医院か学校、町工場にあったのでしょうか。 それとも完全な幻影でしょうか。

自分のことを人に尋ねてすみませんが、可能性のあるところがあればお教え下さい。

_ 玉青 ― 2011年01月06日 21時02分22秒

>自分のことを人に尋ねてすみませんが
(笑・笑)まるで落語のようですねえ。

たぶんそれは前世の記憶でしょう…というのは冗談で、本当にS.Uさんがあの写真と同じような壜を目にされたことがないのに、それでも懐かしさを感じるとしたら、

○過去において、複数の経験から1つの心的イメージが合成され、それが残っている
あるいは
○1枚の図像を目にして、いくつかの過去の記憶イメージが同時に賦活化している

そういう可能性もあるかもしれませんね。
つまり、懐かしさは全体としての壜ではなく、個々のパーツに関する経験や記憶に由来するのかもしれません。たとえばコルクの栓、小さな壜、壜の向こうに透けて見える曖昧な物質、ラベルの風情…そんなもの1つ1つにまつわる思い出はありませんか?

_ S.U ― 2011年01月07日 20時01分39秒

>自分のことを人に尋ねて
 (...笑) 私の場合は、占いの依頼か人生相談のようなものかもしれません。適切なご回答をいただき本当にありがとうございます。

>1枚の図像を目にして、いくつかの過去の記憶イメージが同時に

 なるほど。これかもしれません。個々の特徴にバラバラにすると、
小中の理科で燃焼の実験に使った水でぬらしたガラス栓の透明な壜、医者でもらったコルク栓にピンク色の液体の飲み薬、パイロットインキの壜、家庭の薬箱にあった壜、医院や学校の棚に並んだ色のついたガラスの試薬の壜、理科準備室の怪しげな小動物の標本...こういうものはよく見ました。孔版めく横文字のラベルだけは小さいときに見ているはずはないので、これは高校か大学の理科機器の保管室かどこかで見たのでしょう。 でも、これらのものはそれほどなつかしくもないし憧れたこともありません。

 私の場合は、これらの特徴が合わさった物を、かつて見たいとかほしいという思いがつのったために、それがあたかも見たことのあるような「なつかしい物」になったような気もします。

 あっ、ひょっとして、「デジャヴュ」もこれですかね。要素に還元すれば説明できるとか?

_ 玉青 ― 2011年01月07日 21時10分06秒

1枚の写真から過去への旅が始まる…
どうぞ良い旅を!

既知感というのは、(何せ対応する感覚器官がないので)正体のはっきりしない感覚ですが、でも確かにそれは存在します。その証拠に、人は自分が対象を知っている感じを、たとえば10点スケールで評定することができ、他の変数と相関を取ったりして、実験心理学の俎上に載せることができます。

デジャヴュは歴史的には病理的な現象として捉えられることが多かったのですが、でもそれは一種の「既知感の錯覚」であり、ちょうど視覚的錯覚(錯視)と同じように、条件が整えば誰でも感じ得るものと思います。そして錯視と同じように、その原因や様相も多様なものがありそうです。で、要素に還元して説明できるタイプのデジャヴュもきっとあるはず…と考えます。(この領域の最新の知見はよく分かりませんが、学生の頃、私はかなりこれに興味を持っていました。)

_ S.U ― 2011年01月08日 08時16分25秒

>要素に還元して説明できるタイプのデジャヴュ
 せっかく思いついたのだから、自分の例を思い出してみると、私は、3人ほどで会話している時の雰囲気と話題にデジャヴュを感じる場合が多いです。壮年期を過ぎてからは、その機会は減ったように思いますが、この手のパターンは今でも時々はあります。話題は、自分から切り出したものではなく、とくに興味のある事項でもありません。

 これを要素に還元してみるならば、本当はそれほど記憶にない話題(体験ではなく概念)を過去の記憶と連想づけようとするときに、体験の記憶領域にあった似たような場の雰囲気がそれを巻き込んで出てくるということでしょうか。

_ 玉青 ― 2011年01月08日 18時53分07秒

これは文脈依存記憶とか符号化特殊性というタームで語られる話題かもしれません。
…と書きかけて、いい加減なことを書き連ねるよりも、「前世の記憶」説の方がまだ罪がないような気がしてきました。

次の歌は、意味は判然としませんけれど、繰り返し口ずさんでいると、「不思議な懐かしさ」の正体が仄見えてくるようではありませんか。

「闇の世に 鳴かぬ烏の 声聞けば 生れぬ先の 親ぞ恋しき」

_ S.U ― 2011年01月08日 23時05分00秒

うーん。人間の深層心理の謎が少し解け始めたと思ったのですが、また、生まれる前の振り出しに戻ってしまいました...

_ 玉青 ― 2011年01月09日 10時46分55秒

日和ってすみません(笑)。

符号化特殊性理論というのは、つまり何かを記憶する際、純粋にその<意味内容>だけではなく、それが記憶されたときの<状況>と対になって記憶庫に格納される(ことが多い)という説です。

ですから、何か思い出せないときに、それを記憶したときの<状況>を手がかりとして与えると、ふっと思い出せたりするわけです。(「あれ?俺はここに何しに来たんだっけな?」とブツブツ言いながら、元の場所に戻ると「あっ、そうだ」と思い出したり^_^)

反対に何かの刺激(ある単語だったり、映像だったり、音だったり)によって、それと結び付いた<状況>に関する記憶が刺激されると、主観的にはそれを「何となく見知った感じ」「既知感」として体験するのかもしれないなあ…というようなことを書こうとしたのですが、後半はちょっと自信がなくて、話としては腰砕けです。(そして記事の内容からはだいぶ遠くなりました…。)

_ S.U ― 2011年01月09日 21時12分04秒

「天文古玩」の写真から、連想で芋づる式に呼び覚まし、...私の記憶の棚卸しに役立てさせていただいております。これは認知症の予防にも役立つのだとか。

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