明治の理科室2011年01月08日 18時56分41秒

話が郷愁の方向に流れていくと、またぞろ理科室の話題になりますが、今日は郷愁の力の及ばない、遠い明治の理科室を見てみます。

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写真は金沢に今も続く味噌蔵町高等小学校(現・味噌蔵町小学校)の理科室です。
明治40年(1907)11月の開校に合わせて作られた記念絵葉書。
明治の絵葉書には、ちょっとデザインに凝り過ぎて、おかしみを生むものがありますが、これもそうですね。本の形をした窓の中に居並ぶ生徒たち。

当初は女子校だったので、写っているのは女の子ばかりです。全員が着物に袴姿。髪型は洋髪あり、日本髪ありで、当時はちょうど過渡期でしょうか。

さて、この写真で注目すべきは、高等小学校(現在の中学1,2年に相当)に、いわゆる階段教室が設けられていたことです。
当時は専用の理科室のある学校の方が少なかったので、理科室があるだけでもハイカラな学校だったと思いますが、それが階段教室として作られたという点に、当時の教育関係者のアカデミズム観が透けて見えるようです。(高尚な学問の府というのは、こうあるべきじゃよ…みたいな。)

画面の右手に写っている教卓には、誘導起電機が麗々しく乗っています。
生徒たちはそれを遠くから、固唾をのんで(あるいは欠伸を噛み殺して)見守り、小さな机の上で一生懸命ノートを取ったのでしょう。

でも、明治も末の頃には、教卓実験をメインにした授業から、生徒が自分で実験・観察するスタイルに切り替わりつつあったので、これは当時にあっても一寸アナクロな授業だったかもしれません。ハイカラだけれどもアナクロ。まあ、こういうスタイルも依然あった証拠として、貴重な1枚です。