大正の理科室2011年01月09日 10時49分03秒

昨日と似た状況で、ちょっと時代の下った理科室風景を見てみます。
絵葉書の様式から、大正半ば頃のものと思います。

名古屋の田代尋常高等小学校(現・田代小学校)。
名古屋観光で覚王山を散策された方も多いと思いますが、あそこの近くです。

服装は依然として着物に袴ですが、さすがに日本髪を結った子はいません。
男の子がいないのは、きっと男組と女組に分かれていたせいでしょう。

   ★

さて、ハイカラな背広姿の先生の指導の下、生徒たちは小グループに分かれて、熱心に実験に取り組んでいます。
黒板の説明を見ると、どうやら酸素の発生実験のようです。
先の明治の授業風景とは、まったく雰囲気が違って、服装はともかくとして、授業方法自体は現代と変わりません。

   ★

ちょっと見慣れないのは、教卓やそれぞれの机に置かれた箱膳のようなものです。
これは化学実験器セットで、「万能化学実験器」などの商品名で各社から販売されていました。

今だと実験に使う道具は、フラスコにしろ、アルコールランプにしろ、加熱スタンドにしろ、整理棚に置かれていて、そこから出し入れするのが普通だと思いますが、以前はこういうミニマムな道具一式を収めた箱型セットがポピュラーで、戦後もある時期までは盛んに売られていました(※)。ご覧のように箱のふたを裏返して棒を立てれば、スタンドにも早変わりです。

(※)商品自体は今でもありますが、でもメジャーとは言い難いですね。

コメント

_ toshi ― 2011年01月10日 13時38分16秒

話題違いですが,以下のような記事を目にしました.すでにごらんになっているとは思いますが....
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110110-OYT1T00181.htm?from=rss&ref=mixi

_ 玉青 ― 2011年01月10日 15時29分35秒

あ、見ました、見ました。

天体同士が盛んにぶつかり合っていた、まだ太陽系が荒々しかった頃の物語。
静かな空に浮かぶ、穏やかな月を見ながら、天空を舞台にした太古のエッダとサーガに思いを馳せるのもいいですね。

そして、地球の水にも彗星由来のものが少なからずあるそうですから、空を見あげる瞳の潤いにも、手にしたグラスを満たす液体にも、いっとき感慨にふける脳漿にも、原始の記憶はきっと刻まれているのでしょう。

_ S.U ― 2011年01月10日 19時59分14秒

一人ぶんずつがセットになっていて、それだけ運べば間違いなく目的が完遂できる「箱膳文化」は、今やすたれつつある日本文化ですね。
 「野趣に溢れすぎ」の名称のコメントでも感じたことですが、かつて日本が得意としたセンスが顧みられなくなり、昨今の日本経済の国際社会での苦戦を見るに、わざわざ不得意な分野に乗り出して勝負しているように思います。「発想を転換し、自由貿易のもとで国際標準で勝負せよ」とか、他人に自分の弱点を指摘されるとついついビビッてしまいますが、自分に有利な戦場を選ぶことが勝負の基本だと思うんですがねぇ。

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