理科少年史序説(というか寝言) ― 2011年02月03日 21時02分51秒
今日の通勤電車の中で、半分眠りながら、次のようなことを考えました。
★
各時代の理科少年には、それぞれの精神を体現するメディアがある。
たとえば…
○明治の理科少年ならば、「少年世界」とジュール・ベルヌ(の翻案物)。
○昭和戦前の理科少年ならば、「子供の科学」と海野十三。
○70年代の理科少年ならば、「学研の科学」とNHK少年ドラマシリーズ。
まあ、最後はちょっと強引ですが、要は理科少年の心には、時代を超えて、リアル・サイエンス(RS)への夢と、フィクショナル・サイエンス(FS)への夢の両方が漂っていた…というのが「寝言」の第1の論点。
ところがその後、微妙なバランスで拮抗していたRSとFSの力関係が崩れてしまった。それは、戦争と公害問題の影響で、RSの魅力が衰えたせいかもしれませんし、FSの進化の方が早かったせいかもしれません。原因はいろいろ考えられますけれど、均衡が破れた結果として、少年たちは一気にFSへと吸い寄せられた…というのが、第2の論点。
そして、少年たちの夢の新たな受け皿となったのが、TVを始めとする各種映像文化であり、結局、「理科少年文化」は「オタク文化」に回収され、消滅したのだ…というのが、第3の論点にして、今日の「寝言」の眼目です。
どうでしょう。「理科少年はなぜ消えた?」という問いは、これまでも取り上げた気がしますが、ちょっと別の角度から考えてみました。理科少年は単に消えたのではなく、オタクに転化したのだという、いわば「恐竜は鳥になった」的説なんですが…
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各時代の理科少年には、それぞれの精神を体現するメディアがある。
たとえば…
○明治の理科少年ならば、「少年世界」とジュール・ベルヌ(の翻案物)。
○昭和戦前の理科少年ならば、「子供の科学」と海野十三。
○70年代の理科少年ならば、「学研の科学」とNHK少年ドラマシリーズ。
まあ、最後はちょっと強引ですが、要は理科少年の心には、時代を超えて、リアル・サイエンス(RS)への夢と、フィクショナル・サイエンス(FS)への夢の両方が漂っていた…というのが「寝言」の第1の論点。
ところがその後、微妙なバランスで拮抗していたRSとFSの力関係が崩れてしまった。それは、戦争と公害問題の影響で、RSの魅力が衰えたせいかもしれませんし、FSの進化の方が早かったせいかもしれません。原因はいろいろ考えられますけれど、均衡が破れた結果として、少年たちは一気にFSへと吸い寄せられた…というのが、第2の論点。
そして、少年たちの夢の新たな受け皿となったのが、TVを始めとする各種映像文化であり、結局、「理科少年文化」は「オタク文化」に回収され、消滅したのだ…というのが、第3の論点にして、今日の「寝言」の眼目です。
どうでしょう。「理科少年はなぜ消えた?」という問いは、これまでも取り上げた気がしますが、ちょっと別の角度から考えてみました。理科少年は単に消えたのではなく、オタクに転化したのだという、いわば「恐竜は鳥になった」的説なんですが…
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