ちょっと昔の化石趣味2011年02月13日 17時32分57秒

唐突に化石の話題です。
化石そのものというよりも、「化石趣味」の話。

化石趣味も、昔と今とで大きく様変わりしたものの1つだと思います。
(化石ファンの実態を知らないので、以下、想像まじりに書きます。)


今はお金さえあれば、アンモナイト↑でも、マンモスの臼歯↓でも、モロッコ産のトゲトゲした三葉虫でも、中国貴州産のナントカでも、何でも買い放題で、簡単に自分の手元に置くことができます。化石ファンの発掘フィールドは、今やミネラル・ショーの会場だ…と言っても、あながち間違いではないのでは。


でも、かつての化石趣味は、だいぶ趣が違いました。
そもそも化石は買うものではなく、自分で採集するものでした。(もちろん今でもそれが本当の化石マニアだという通念はあるのでしょうけれど、実態として、買ってコレクションする人の方が、圧倒的に多いのではないでしょうか。これまた純粋な想像ですが。)

下の本を読むと、一層その感が深いです。


井尻正二・藤田至則(共著)
  化石学習図鑑
  東洋図書、昭和32(1957)

この本の「はじめに」を読むと、当時の状況がこう綴られています。

「戦争が終わってから、理科のなかに、“地学”という課目がうまれました。そして、また、女の子も男の子と同じように勉強することができるようになったためか、地球のことを勉強するお友だちが、おおくなってきました。」

おお、民主教育の波がここにも。

「とくに、戦後には、デスモスチルス・シーラカンス・雪男などという、大むかしの生物に関係した発見がつぎつぎにあったので、みなさんは、大むかしの生物、つまり、“化石”のことに、大へん興味をひかれたことでしょう。」

雪男はご愛敬としても、ジャーナリスティックな発見の後、メディア主導で一種のブームが作られ、それが子供たちの世界にも波及していく…というのは、その後の一貫した流れでしょうが、ただ何といっても昭和30年代なので、そこで展開するのは、健全というか、素朴というか、ある意味驚くような世界です。

たとえば、第2部「化石の採集」には「日曜巡検」という章があります。

「東京でも、大阪でも、北のはての札幌でも、日曜日になると、リュックサックを肩に、手に手にハンマー(金づち)をもった小学生・中学生・高校生があつまって、近くの山や川へ、地層や岩石や化石の見学にでかける姿がみられる。」

え、そうだったんですか。

「〔…〕このごろでは、大学の学生さんが中心になって、“日曜巡検会”というものをつくっている。日曜巡検会というのは、地学のすきな、小・中・高校生をはじめ、お父さんやお姉さんまでもふくめて、日曜日に地学の見学をする会である。
 日曜巡検は、地学科をもつ大学がある町では、日本全国、たいていのところでおこなわれているし、べつにむずかしい規則や試験があるわけではないから、だれでも自由になかまいりをすることができる。」

高校における地学の凋落ぶりを考えると、同じ国の話とはとても思えない、なんだか夢の世界を見るようです。でも、話の冒頭に戻ると、現代でも化石好きの人はおおぜいいて、せっせとコレクション作りに励んだりしているわけですが、うーん、何か根本的なところに違いがあるような気がします。

さて、こんな風にして勇み立った、当時の少年・少女たちの活動の実際を、もう少し本書に即して見てみます。 (この項つづく)

   ★

(↑おまけ。本書の巻末広告。この本が出た年(1957年)は、ちょうど第1次南極観測隊が昭和基地を設営した年で、これまた「地学ブーム」をあおる一要因だったようです。)