木の葉石と木の葉化石園のはなし(4)2011年03月09日 20時15分31秒


(↑戦前の「木の葉化石園」を写した絵葉書。前に載せたのは「其の一」で、こちらは「其の二」となっています。鄙びたたたずまいが旅情を誘います。)

1905年(明治38)に開園したという、堂々たる歴史を誇る化石の園、「木の葉化石園」。
同園は現在、日本博物館協会や、全国科学博物館協議会に所属する、正式な博物館であり、教育施設です。

ふつう、それだけの星霜を経た施設であれば、サイトの中で自らの沿革を謳い上げることが多いと思いますが、同園のサイト(http://www.konohaisi.jp/)は、その辺がごくあっさりしていて、開設年以外の事項は特に書かれていません。開設者の名前も不明です。

うーむ…木の葉石の研究が緒に付いたばかりの明治時代に、それに注目し、太古への一般の関心を喚起すべく努力した具眼の士は、いったい誰だったのか?

その点にいたく興味を惹かれた私は、栃木県立図書館のリファレンスサービスを利用することにしました。郷土誌関係の本を見れば、その歴史が詳述されているはずと思ったからです。しかし、後日担当の方からいただいた回答は意外なものでした。

「お問い合わせの件について、『首都圏の博物館』(昭和56年 東京新聞出版局)には明治38年開園の記述のみ。『地質ニュース』(1990年9月号<ユニークな地質系博物館 p55-56>)にも経緯の記述はありません。また『塩原町誌』、『那須の文化誌』(2006 随想舎)等も調べましたが名称が出てくるのみで同様に経緯や解説などの記述はありませんでした。
 大変申し訳ありませんが園のHPも充実しているようですので、直接お問い合わせいただけたらと思っております。〔後略〕」

むむむ…。一瞬たじろいだものの、厚顔な私は、「では」とばかりに、さっそく木の葉化石園に電話をかけてお話を伺うことにしました。

(もったいぶってこの項つづく)