帝都復興土竜隊(ていとふっこうどりゅうたい)2011年03月24日 07時27分24秒

手元に一冊の冊子があります。昭和4(1929)年に、復興局建築部が出した「東京及横浜地質調査報告」。大正12(1923)年の関東大震災から6年目にしてまとめられた報告書で、大部な付図を伴います。


大正12年9月1日に発生した関東大震災の推定マグニチュードは、7.9。
今回の震災が「津波地震」であったように、関東大震災は「火災地震」とも呼ぶべきもので、地震の直接被害よりも、その直後に発生した火災による被害の方が大きかったと聞きます。犠牲者は14万人にも及び、東京は多くの場所が焼け野原となりました。そして、「帝都」はこの後、都市としての相貌を大きく変えたのでした。

(目に飛び込んでくる「未曾有ノ惨害」の文字。本書序文より。)

さて、この大火災から立ち上がるべく奮闘していた人々の中に、地質調査のエキスパート集団の姿がありました。その目指すものは、本冊子の「序文」に書かれています。

「復興事業ノ基本的準備ノ一トシテ 罹災区域ノ全部ニ亙リ 精確ナル地質調査ヲ施行スルノ急務ナルハ 当事者ノ等シク痛切ニ感シタルトコロナリキ〔…〕然ルニ 今ヤ広漠タル消失区域ノ全部ニハ 建築土木ノ無数ノ工事遽〔にわ〕カニ勃興シ、是等構築物ハ 今次ノ大災禍ニ鑑ミ 多クハ耐火耐震ノ永久的構造トナルヘキヲ以テ 地盤ノ深処ニ透徹シテ 地質ノ状態ヲ知悉スルノ必要ハ 益々切実ナルモノアリ、而カモ 消失区域漸次整理セラレ 建築物其他ノ構築物ヲ以テ 再ヒ覆ヒ尽サレタル暁ニ於テハ 全区域ニ亙リテ 数百ノ鑿井ヲ施行シ調査スルノ極メテ困難ナルハ 明白ニシテ 随テ普遍的統一的ニ 地質ヲ調査スルノ機会ハ 今日ヲ逸シテハ 再ヒ得難シトス」

つまり、不燃都市を構築するためには、その土台となる地盤の状態をよく知らねばならない。焼け野原となった今こそ、精密な地質調査を実施する好機だ。現に建物が次々と建ちつつあることを考えれば、グズグズしてはいられない。今すぐやるべきだ!…と、時のお役人は考えたのです。

帝都復興院総裁の後藤新平は、同院建築局(後に復興局建築部に改組)の佐野利器局長の建議を入れ、地質調査費60万円を予算計上し、すみやかに農商務省地質調査所長・井上禧之助に調査が委嘱されたのでした。

土竜(もぐら)の如く、東京~横浜を縦横に掘りまくった彼らの活躍を、図面を見ながらしのんでみたいと思います。

(この項つづく)