ブリキの原発2011年04月02日 20時01分05秒

遥かな世界への憧れによって、天文古玩の王道に回帰するつもりでしたが、やっぱり気分はダウナー。

昨日から新しい部署に配属されたことも、心の重荷になっています。中年になってリストラされた人が、慣れない仕事に就いて、言うに言われぬ苦しみを味わう…そういう話をよく耳にしますが、ちょっとそれに近いものがあります(嗚呼…)。

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震災以来、ネットで買い物をする気にもなれずにいますが、それでも習慣の力は恐ろしいもので、今日もボンヤリeBayの画面を見ていたら、次のようなブリキのおもちゃが出品されていて、おや?と思いました(商品写真の無断借用をお詫びします)。


eBay上の Item No.は 300541784596。商品ページはこちらです。

蒸気玩具というのは、日本ではあまりポピュラーとは思えませんが、ヨーロッパではそういうジャンルがあるらしく、専業メーカーも結構あるようです。その最大手がドイツのWILESCO社で、商品情報によれば、この原発模型は同社が1950年代に販売したものだとか。

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興味深いと思いました。そして何となく愛らしいとも思いました。

しかし、今の状況ではあまり面白がる気にもなれず、頼めば日本へ発送してくれるのかどうかも聞けずにいます(まあ、どっちにしろ値が張るので冷やかし半分ですが)。
興味のある方は、ぜひ自戒の念を込めて入札されてはいかがでしょうか。

原子力が礼賛され、こういう品で無邪気に遊べた時代が懐かしい…。

まあ、当時は当時で、東西冷戦を背景として、核戦争の恐怖に人々は日々おびえていたので、単純にアトミックパワー万歳!という雰囲気でもなかったろうと思うのですが、そういうことは「喉元過ぎれば」で、わりと忘れられやすいものです。原発の恐怖も、そうならないといいのですが。。。


(それにしても、例のあっさり吹き飛んだ「建屋」を見ると、実際の原発も、何となくブリキ細工めいて感じられます。)

The Moon on the Shore2011年04月03日 18時35分53秒

今日は新月。干満の差が大きい大潮の時期にあたります。
春の大潮はことに干満の差がはげしく、歳時記には「春潮(しゅんちょう)」の季語が載っています。関連して、「潮干狩り」や「磯遊び」なども春の季語。

  暁や北斗を浸す春の潮  青々

美しい句です。北に海が開けた日本海の景でしょうか。
もっとも、明け方に北斗七星が海に身を浸すのは7~8月頃なので、これは正確な叙景ではありません。ですが、俳人には、春の海が北斗を濡らしているように感じられたのでしょう。

  磯あそび飽くこと知らぬ子がたのもし  ひろし

一読、磯の香がよみがえるようです。作者は自らの幼い日に、眼前の我が子を重ねて、季節と世代の循環を感じ取っているのかもしれません。うららかな楽しい春の一日。

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それにしても、今年の東北地方では、磯遊びをする親子の姿が見られるのでしょうか。
福島では放射能汚染で、磯に近づくことすらできない地域も多いでしょう。
津波に襲われた町では、磯に寄せる波に恐怖する子だっているでしょうし、そもそも、津波の危険は完全に去ったわけではなく、まだ海辺に近寄らない方がいいのかもしれません。

何でも震災に結び付けて考えるのもどうかと思いますが、ささやかな春の行楽までも奪われてしまった現状は、やっぱり寂しいものです。

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さて、写真は古い月のガラススライド。


科学機器や光学製品の老舗、John Browning 社の製品で、19世紀末ぐらいのもの。
撮影機材は、オーストラリアのメルボルン天文台にあった口径1.2mの巨大反射望遠鏡です。1868年に完成したこの望遠鏡は、金属鏡を採用した最後の大型望遠鏡として知られますが、メンテナンスと運用に失敗した結果、ほとんど成果の挙がらなかった「悲運の望遠鏡」としても有名です。

(メルボルン天文台の巨大反射望遠鏡。H.C King, The History of the Telescope より)

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人間の営みは時には微笑ましく、時には悲惨な結果をもたらしますが、それを見下ろす月は昔と変わらず…。 何となく月並みな感想ですが、でも、変らないのは月ばかりでなく、月に思いを託す人間の心だって数千年来変わっていないぞ…とも思います。

軋みと歪みが続く今、人間の変わらない部分こそが大事なのではないでしょうか。


【付記】
心を寒くする出来事が多い中、ちょっと嬉しかったのは、デジカメが復活したこと。液晶モニターが映らなかったのが、グイと押したらまた映るようになりました。もうしばらくこれで頑張ります。

磯遊びの思い出… P.H.ゴス、『海辺の一年』2011年04月04日 22時57分10秒

匂いも味もない毒が、ザーザーと音を立てて、今も海に流れ込んでいます。
匂いも味もないので、生き物たちはそれを避けることができません。

海の中はあくまでも平和で、穏やかで、
魚の群れも、エビやカニも、プランクトンも、それぞれの生活に忙しい。
ただ、彼らの感じ取れない毒だけが、静かに、着実に、拡散しつつあります。

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きらきらと光る海。
足をくすぐる藻屑。
プンと匂う潮の香。

美しい海の思い出を、古書の中に探ってみたいと思いました。

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■フィリップ・ヘンリー・ゴス、『海辺の1年』
 Philip Henry Gosse, A YEAR AT THE SHORE.
 Daldy, Isbister & Co., London, 1877.
 17×12cm, 330p.
 

海中生物を描いた36枚の美しい多色石版画を含むチャーミングな本。

ゴスは19世紀の博物趣味流行の中心にいた1人で、いろいろ逸話も多い人のようですが、その辺のことを交えながら、本の中身を見てみます。

(この項つづく)

近況2011年04月06日 21時30分58秒

ゴスの本の話の途中ですが、4月から新しい業務内容になり、それに関連して覚えることも多く、いくぶん疲れがたまっています。家に帰っても頭がボンヤリしてしまい、記事をまとめるのが難しい状況です。たぶん4月いっぱいは、こんな塩梅でしょう。

磯遊びの思い出… P.H.ゴス、『海辺の一年』(2)2011年04月09日 19時21分35秒



何だか半月ぶりぐらいに記事を書くような気がします。
この1週間は、時間の感覚が明らかにいつもと違っていました。

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さて、偉大な博物学者、フィリップ・ヘンリー・ゴス(1810-1888)。
この19世紀に生れ、19世紀に死んだ人物のことを書こうとして思い出したのが、下の本。

リン・L.メリル著、大橋洋一ほか訳
  『博物学のロマンス』
  国文社、2004

この本は全10章から成りますが、そのうちの第8章がまるまるゴスに当てられています(そもそもこの本の題名は、ゴスが書いた同名の本から採っています)。

で、この本を久しぶりに読んだのですが、以前読んだ時も不思議な気がして、今回もまた不思議な気がしました。

なぜか。それは著者のメリルが、博物学に不思議な地位を与えているからです。
著者は、博物学(ここではヴィクトリア朝の博物学に限定)は、科学ではないと断じています。たしかに科学と扱う題材はかぶるものの、その姿勢において、博物学は科学(ハードサイエンス)とは対立するものだ…と著者は言います。

著者の主張を私なりに箇条書きすれば、こういうことだと思います。
●博物学は、科学と文学という2つのコンテクストに位置づけられる。
●博物学の中心にあるのは、「感覚的(特に視覚的な)喜び」と「情緒」であり、その点で博物学は文学に接近し、他方それは「事実」を重んずる点で科学に接近する。
●とはいえ、博物学は科学のまがい物でもなければ、二流の文学でもない。博物学はそれ自体独自の価値を持つ存在である。

分かるような気もするし、やっぱり分からない気もします。
いずれにしても、博物学を素朴に科学の一分科と信じて疑わずにいた私の頭は、こうした主張を知って、かなり混乱しました。

著者によれば、顕微鏡と標本のつまったキャビネット ― 私が理科趣味の至高のシンボルと考えるもの ― こそ博物学の「見る喜び」を体現するもので、実はすぐれて文学的な存在なのだ…と言うのですから、混乱して当り前です。(ちなみに、メリルは、ヴィクトリア朝文学の視覚優位の性格を、本書の中で繰り返し論じています。)

でも、「理科趣味」と「理科‘室’趣味」は違うかもしれない…ということは、このブログでも繰り返し書いているので、そのことと<科学vs.博物学>の対立は、ちょっとかぶっているのかもしれません。

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前置きが長くなりました。ゴスについて話を続けます。
メリルによれば、現在、ゴスは主に2つの顔によって知られていると言います。
1つは、息子(詩人のエドマンド・ゴス)を、偏頗な宗教教育で縛り上げた悪しき父親としての顔。もう1つは、進化論に対して真剣な ― それだけに滑稽な ― 反論の書『オンパロス』を著した奇人としての顔です。ゴスは、聖書解釈に関しては、ごりごりの教条主義者だったわけです。

「オンパロス」とは、ギリシャ語で「へそ」という意味。ゴスはアダムのへそに注目し、子宮から生まれたのではないアダムにもへそがあるのは、神の有する出産過程に関する「観念」に由来するのだと主張しました。そして、化石というのも、実際にそういう生物がかつていた訳ではなく、天地創造以前の出来事に関する神の「観念」に基づくものであり、天地創造と「同時に」作られたのだと論じました。

この奇説は、さすがに同時代の人にも受け入れ困難で、『オンパロス』はゴスが名声を失うきっかけともなりました。一種のトンデモ本ですね。

しかし、この二つの面はともに〔…〕ゴスの本当の姿を伝えていない。ゴスは、なにをおいても優秀な博物学者であり、自然の細部を綿密に観察し、その姿を多くの本を通じて何千というヴィクトリア朝のひとびとに伝え、彼らを熱狂的な読者に仕立て上げた仲介者的人物である。」(邦訳298ページ)

そう、公平に見た場合、たしかに彼は偉大な人物ではあったのです。
そして、彼のライフスタイルを一瞥すると、現代のナチュラリストや、理科室趣味の徒にとっても、ある種の理想的な姿に思えてきます。

根っからの博物学者であったゴスは、標本採集の道具に取り囲まれているときがもっとも幸福だった。銃や網、ハンマー、やっとこ、ドレッジのどれでもよい。こうした採集道具を手にした彼は、勇んで出かけて行ってはコレクションを増やしていく。彼は標本を「固定」し昆虫をピンで止めたり、広口瓶、平鉢、水槽〔アクアリウム〕のなかで海洋生物を飼育することの達人であった。なんと言っても、水槽は彼の発明品である。彼の家は魚飼育用の水槽、植物栽培容器、瓶、昆虫用キャビネット、星座を眺めるための望遠鏡や動物を調べるための顕微鏡などでごったがえしていた。

〔…〕旅行ばかりしていた若い時も、後年定住した生活を送るようになってからも、彼は自分がもっとも大事にしていた所有物のひとつ ― 自分で考案した昆虫用キャビネット ― をけっして手放そうとはしなかった。これはハンブルクで、彼の細かな指示にしたがって念入りに作られ、ニューファンドランドの彼のもとへと搬送されたものである。かなりがたがきていた代物ではあったが、細かく区分けされた小室をたくさんもつこのキャビネットに、ゴスは昆虫をつぎつぎとピンで止めキャビネットを「飾り」たて、船で行こうと列車で行こうと、それをたえず傍に置いていた。」(同303‐304ページ)

自然を眺め、新しい発見をし、あらん限りのものを集める。
彼はそうした作業に熱中し、その大家となり、その喜びを人にも伝えたのでした。退屈を知らない人生だったと言えそうです。それに、彼は顕微鏡だけでなく、望遠鏡で星を眺めることもしていたのですから、このブログにとっても偉大な先達です。

しかし、そこから果して何が生み出されたのか?…と考えると、はなはだ心もとない。
その「発見」にしても、所詮はクローズドな世界での発見であり、蛸壺的なフィールドをいっそう豊饒にするにとどまった…というのが、博物学と科学を分ける分水嶺だったのでしょう。メリルの博物学擁護論は傾聴に値するにしても、やはりどこか仇花的な感じは否めない。

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久しぶりに記事を書いたら、妙に冗長になりました。
結局、『海辺の一年』のことは全然書かないまま、話が終ってしまってなんですが(ヒドイ…)、とりあえず画像だけ貼っておきます。博物画家としてのゴスの鮮やかな手並みをご覧下さい。これだけ自然を凝視しつづけたら、確かに退屈はしなかったはず。彼にかかれば、地味なフナムシだって、とたんに驚異に満ちた存在と化すのですから…



桜は散れどもモノは散らず2011年04月11日 06時29分45秒


さて、何を書こうかな…と、しばし思案。

地震被害と原発事故は依然深刻ですが、震災から1ヵ月たち、メディアもこれまでの経過を振り返り、問題を冷静に見る余裕が出てきたようです。緊急時のアドレナリンではなく、本来の人間の知恵の働きで、事態に対処すべき段階に移ってきていると感じます。

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…と、偉ぶってものを言うのはやめにして、ごく身近なことを書きます。

地震発生以来、モノを買うのがパタっと止まっていましたが、ここに来て、またいろいろなモノに目が向くようになってきました。これもまた、ささやかな日常性の回復ですね。
回復しても、あまり喜べない日常かもしれませんが…。

それにしても、去年・今年と、買い物の傾向が少し変わった気がします。
もちろん、天文関係の品も買ってはいますが、ひところよりも量がだいぶ減りました。
買いたい物はあらかた買ったせいかもしれません。

「大きく出たね!」と思われるでしょうが、でも、別に「欲しい物」を全部買ったわけではないですよ。あくまでも「買いたい物」です。要するに、欲しくても買えないものには、最初から「買いたい」という気が起きないので、手の届く範囲の品に限って言えば、とりあえず買い物が一巡したということです。
したがって、あまり心が波立つこともなく、穏やかといえば穏やか。

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その一方で、近ごろ増えたものというと、古い比較解剖学の図譜とか、大型の人体骨格模型とか、戦前の実験器具のあれこれとか、デロールの古いニューズレターの合本とか、スターシガレットのトランプとか、明治の科学者の集合写真とか、まあ理科室趣味やタルホ趣味には叶うかもしれませんが、あまり天文プロパーでない品が多いです。

そして、ちょっと記事にしにくいモノたちでもあります。
たしかに私の中では必然性があって、一連の興味の流れの中で手に入れたモノたちですが、その辺をうまく言葉では説明しにくい。まあ、そんな個人的なことを書かなくても、モノの紹介ぐらいはできそうなものですが、でもそういうことを整理しながら書きたいという気もあって、なかなかこの場に登場の機会がありません。

碩学を部屋に招く…1冊の魚の本2011年04月13日 21時38分20秒

天文学における「神話」の1つに、かつてガリレオが、ローマ教会から自説の撤回を迫られたときに、「それでも地球は動く」と見得を切ったというのがあります。裏返せば、それぐらい我々の住む大地はどっしりと動かないものだ…ということが、当時は自明視されていたわけです。

17世紀に限らず、「不動の大地」というのは、ついこの間まで、ありふれた修辞でしたけれど、ここに来て日本人は「大地とは絶えず動くものだ」という新たな常識を獲得するに至りました。歴史的に見て、特異な状況だと思います。まあ、意味はちょっと違いますが、これもまた一種の「地動説の誕生」なのかもしれません。

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さて、やたらめったら物を買うのも一段落したところで、温故知新のつもりで、天文古玩再考という企画を考えています。このブログの本来のテーマである、天文関連のアイテムを改めて紹介していこうという内容です。

しかし、先日ゴスの『海辺の一日』の写真を撮るついでに、その隣にあった本も撮影したので、まずはそれを先に載せておきます。


J. Travis Jenkins
 The Fishes of the British Isles
(2nd ed.)
 Frederick Warne (London), 1936
 17 × 12cm., 408pp.

さして古い本ではありませんし、版型も小さく、図版もハーフトーン(網点)ですから、いく分雅味に乏しいきらいがあります。
ただ、この本には、オックスフォードで魚類学を講じた、マーガレット・ヴァーレイ(旧姓ブラウン;1918‐2009)博士旧蔵という来歴があります。


この本を手にした1942年、ヴァーレイ博士は(まだヴァーレイでも、博士でもありませんでしたが)、ケンブリッジのガートン・カレッジを卒業して、魚類研究に踏み出したばかりのころ。その後、昆虫生態学者のジョージ・C.ヴァーレイと結婚したのが1955年で、書き込みから想像するに、この本はその間、博士の机辺にずっとあったのでしょう。


博士の書斎には、魚に関する本が他にもぎっしり並んでいたはずです。そして、博士は灯火の下で、本をひもときながら、盛んにペンを走らせていたのではないか…そんな情景を思い浮かべると、1冊の本を媒介に、碩学の書斎の空気が私の部屋にもサッと流れ込んでくるようです。あるいは、碩学を部屋に招いて、親しく歓談しているような気分にすらなります。



こういう本の楽しみ方は、紙の本だからこそ味わえる情趣。
まあ、人によっては下らないと思われるかもしれませんが、でも、天文古玩などというのは、おしなべて想像力の遊戯なわけですから…。

書痴述懐2011年04月15日 05時52分00秒

古書の話をもう少しだけ。

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以前、荒俣宏氏がご自分の蔵書(博物学書)を武蔵野美術大学に売却されたという話題を書きました。

■博物図譜とデジタルアーカイブ
  http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/05/31/5128571

その中で、私は「氏の行動はあまりにも恬淡として、少なからず違和感を覚えます…結局のところ、荒俣氏にとっての博物図譜は「資料」であって、愛書の対象ではなかったのか?」という疑念を述べました。

最近、その疑念を解く記事を読みました。


■荒俣宏さんにいざなわれる 目眩く愛書家(ビブリオファイル)の世界
 http://www.1101.com/aramata_hiroshi/index.html

↑の記事によると、荒俣氏のコレクションの4分の1が洋古書販売の雄松堂に寄託されており、残りの半分が氏の母校である慶應大学に、さらに残りが武蔵野美術大学と国会図書館に買い取られたのだそうです。

で、このインタビューの中で、こんなやりとりがあります。

「アラマタ先生にはまだ欲しい本が、あるんですか?」
「いや、もう、手に入れたいと思う本は一回は買いましたね。」

きっぱり言い切るところがすごいですね。
「一回は買った」という言い回しも、底知れぬ感じです。

「ただね、本日、ご紹介さし上げた愛書家向けの本は、ふつうの本とちがって次の誰かに渡さなければならないから…。〔中略〕だからわたくしも「つなぎ」のコマのひとつとして保管しているだけなのです。」

なるほど、そういう思いで蔵書を手放されたのですね。
一種の諦観でしょうか。人生の有限性を、知識ではなく実感として知れば、所有ということは確かに空しい。
「古書は人の手から人の手へと渡っていく」と思ったのは錯覚で、実は人間の方が不動の古書の森を通過しては消えて行く…そんなイメージも浮かびます。

我が身を振り返り、思うこと多々。でも荒俣氏ぐらいにならないと、なかなか「解脱」は難しいのではないか…という気も正直します。

原発甲論乙駁2011年04月16日 10時04分24秒

このブログの趣旨からは大きく外れますが、常ならざる状況ですから、ボンヤリ考えたことを、ここにメモしておきます。

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「東電は無能で、政府は嘘つきで、学者は恥知らずで、マスコミは無知で、国民はおめでたい。」人々の意見を総合すると、そういうことになります。そう叫ぶことで、ひとまず溜飲は下がりますが、溜飲の下がったところで、次にどうするか。

大切なのは「知る」ことでしょう。
でも、これがなかなか難しい。最近つくづくそう感じます。
飛び交う情報が、玉石混交だということは常識で分かります。でも、「常に批判精神を持って情報に接しなさい!」と言われても、この場合、知識のない者が、知識を得ようと思って読むわけですから、明らかに珍妙な文章でない限り(=内的整合性が破たんしていない限り)、読む時点で、内容を批判的に見ることは原理的にできないですね。そして、外的整合性を判断するには、他にもいろいろな知識のあることが前提で、これまた一朝一夕には難しい。

取りあえずの処世訓としては、
○お上の言うことは、割り引いて聞く。
○利害関係者の言うことは、割り引いて聞く。
○匿名の意見は、割り引いて聞く。
○すぐにレッテルを貼る人の意見は、割り引いて聞く。
○毀誉褒貶半ばする人の意見には、一片の真実がある。
○感情論は無視する。
○分かりやすいから真実とは限らない。反対に、分かりにくいから真実とも限らない。
○声の大きい人や、多数派の声が、常に真実とは限らない。逆もまた真。
…といったところでしょうか。

それと、今は政府がきちんとした数値を出していない(らしい)ので、それとの対比効果で、きちんと数値を挙げて解説してあると、それだけでいかにも正しい論と感じられたりします。たしかにデータを挙げて論じることは、この場合、最低必要条件でしょうが、『統計でウソをつく法』といった本も出ているぐらいですから、数字があるからと言って、それだけで無条件に信用できるものでもない。さらに踏み込んで、その数字の意味を考える必要があるはず。まあ、これは上と同じ理由で、すぐには難しいですが、一応心に留めておくべき点だと思います。