魅惑の理科準備室 (付・理科室の昭和30年代) ― 2011年06月03日 18時32分44秒
コメント欄でS.Uさんから質問のあった、「理科準備室とは何ぞや?」という件について。
最近の様子はよく分からず、また戦前の状況も資料がなくて詳細不明ですが、昭和30年代について言えば、その役割は、以下のように規定されていました。
(※出典:近畿教育研究所連盟(編)、『理科教育における施設・設備・自作教具・校外指導の手引』、六月社、昭和39)。
最近の様子はよく分からず、また戦前の状況も資料がなくて詳細不明ですが、昭和30年代について言えば、その役割は、以下のように規定されていました。
(※出典:近畿教育研究所連盟(編)、『理科教育における施設・設備・自作教具・校外指導の手引』、六月社、昭和39)。
●教師の教材研究や予備実験をするための研究室であり、かつ、児童、生徒に自由研究やクラブ活動で直接指導する相談室である。
●器具、薬品、機械、標本、掛図、資料等の学習材料が必要に応じて迅速に活用できる合理的、能率的な保管室であること。
●標本、資料の体系的な分類、機械、器具類の効果的な展示を施した科学センターであること。
●児童、生徒の自由研究やクラブ活動をもりたてるような環境を構成すること。
●実験器具の製作、修理などが手がるにできる簡易工作室であること。
●フィルム、テープなどの視聴覚教材、図書、各種の資料、子どもの実験きろくや報告書などを分類、整理した小型の科学図書館であること。
理科準備室とは、研究室であり、保管室であり、科学センターであり、工作室であり、科学図書館である! ああ…こうして文字を打っているだけでも万感胸に迫ります。
こういう部屋がぜひ我が家にも欲しいものです。
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その具体的な姿を、上掲書に掲載された平面図で見てみましょう。
向って右側が理科教室、左側が準備室です。
準備室に居並ぶモノたちに注目して下さい。人体模型と骨格模型、鉱物標本ケース、標本戸棚、薬品戸棚、器械戸棚、電気工作台、飼育・栽培実験観察台…。これで図書戸棚がもっと充実していたら(あるいは図書室と隣接して、自由に行き来できるのであれば)、理科室風書斎の理想形として、まさに言うことなしですね。
下は、もう少し大規模校の設計例。
ここでは理科教室と準備室に加えて、左端に「生徒研究室」のスペースが設けられています。また準備室には暗室が付属します。
実際にこんな理科室が当時あったかどうかは分かりません。あるいは、当時の教育者が夢想した理想像に過ぎないのかもしれませんが、それにしてもこれを見ると、当時の理科教育にかける熱意が伝わってくるようです。
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ちなみに昭和30年代というのは、理科教育振興に国を挙げて注力していた時期に当たります。
理科室好きの方には、「理振法」という名が親しく感じられることでしょう。
これは昭和28年に公布された「理科教育振興法」の略であり、戦後の理科室備品の大枠はこれによって決まりました。より詳しく言うと、理振法には「施行規則」という省令が付随し、そのまた別表に「理科教育設備基準」というのがあって、理科室が備えて然るべきモノは、ここに書かれているのです。そして、理科室の備品に麗々しく貼られている「理振法準拠品」のラベルは、この「設備基準」に合致する品であることを示すものです。
理振法準拠品を買い入れるときには、国の半額補助があったため、各学校はこぞってその購入に努め、その努力の甲斐あって、昭和29年度にはわずか15%だった「設備基準」の充足率が、昭和40年度には約70%に達しました(充足率は、備品の金額ベースによる)。
理科室趣味の徒として総括するなら、昭和30年代は、「理科室備品充実の時代」だったと言えるでしょう。逆に言うと、たとえ同じ学校の卒業生でも、昭和20年代から40年代にかけて、各世代の理科室体験は相当異なっているはずです。
(※この項は以下を参照しました。文部省初等中等教育局中等教育課(監修)、『改訂理科教育設備基準とその解説』、大日本図書、昭和41)
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