星の美と神秘(3)…「銀河の魚」のこと2011年06月18日 10時29分44秒

これら2つの話を読み、また「銀海洋洋として異獣神魚その内に泳ぐが如し」という銀河の描写を読めば、たむらしげる氏の名作「銀河の魚」を思い起こさないわけにはいきません。

「銀河の魚」は、最初コミック作品として発表され(初出は「マンガ少年」1980年9月号)、その後アニメーション化され、その一部はYouTubeでも見られたり、見られなかったりします。
 
(↑すみません、ネットから適当に引っ張ってきたイメージです。以下も同じ)

主人公は天文学者の祖父と暮らす少年、ユーリ。
ユーリは祖父を手伝って星空を観測しているうちに、1つの見慣れない星を見つけます。こぐま座の脇に出現したその星のために、愛らしい小熊の姿は、巨大な怪魚へと変形してしまいます。天上で異変が起きていることを察知した二人は、妖星を討つべく、ボートに乗って川をさかのぼり、やがて光り輝く「星魚」の群れ泳ぐ銀河の中へと…

(「ゆるやかな川の流れをどこまでもさかのぼってゆくと〔…〕ぼくらのボートの下を汽車が通り過ぎ…水の底にもうひとつの海があった」 ‐コミック版より‐)

このストーリーが、中国の故事と同じ構造を持っているのは明らかです。
たむら氏が中国文学から想を得たのかどうかは不明ですが、おそらくは偶然の一致なのでしょう。いや、単なる偶然の一致というよりも、人間のイマジネーションには、時と所を超えた共通性があることを示す例なのかもしれません。

   ★

物語の方は、みごと銛(もり)で妖星を仕留めたユーリと老人が、また川を下って自宅に戻り、それを天上の小熊がやさしく見守るシーンで終ります。

   ★

野尻抱影は1977年に没したので、「銀河の魚」を目にする機会はついにありませんでしたが、もしそれが叶えば、たむら作品にどんな感想を抱いたか、翁に伺ってみたい気がします。

コメント

_ S.U ― 2011年06月18日 13時34分08秒

>地上の川をさかのぼれば、人はいつか銀河に行くことができる

 決して証明できるはずのない私の勝手な想像ですが、このイメージは作者が夢に見たアイデアに基づいているのではないでしょうか。

 またまた私ごとですが、子どもの時から大きくなるまで、大洋の海面から天体が昇ったり、海岸から望遠鏡でアメリカ大陸を見たり、という「昔風の宇宙論」のイメージの夢を繰り返し見たものです。私はずっと観測をする天文ファンでしたから、地球が宇宙空間に浮いていることは起きているあいだは実感していました。それでも、こういう夢を見るということは、科学的に正しくない昔の宇宙観が種族のイドラだかDNAに刷り込まれていて、みんなの感覚の根底にあるのではないでしょうか。 (なに? わたしだけ? へぇそうでしたか)

_ 玉青 ― 2011年06月19日 08時54分05秒

興味深いですね。

無意識という概念を否定する人もいますけれど、意識が決して制御できない精神の領域があって、そこには精神の古層に属するいろいろな観念がふわふわ漂っているというのは、ありうることだな…と感じています。そこから生まれたのが、神話であり、おとぎ話であり、そして夢であり、それらは同根のものであるが故に共通する構造を持っていると言う人もいますね。

ただ、昔の宇宙モデルについていえば、精神の古層よりはもうちょっとrationalな存在といいますか、日常の素朴な観察に従えば、きわめて合理的な推論とも言えるので、なかなかその影響を脱するのは難しいですね。

私の場合、目が覚めているときでも、依然として「太陽は大地から昇り、大地に沈む」ものと感じられますし、「物には自然に落下する性質があり」、重力を意識してさえもなお、「宇宙ステーションの中は重力が届かないから、みんなフワフワ浮んでいるんだな」と漠然と感じている自分がいます。こういう「素朴科学 folk science」は、その素朴さ故に強い訴求力があるのでしょう。

ところで、無意識に話を戻しますが、子どもは精神の古層により近いのか、「この川をさかのぼったら」、「この道をまっすぐ行ったら」、「この電線をどこまでもたどって行ったら」、何かが待っているような気がして、勝手にどんどん行ってしまって、迷子になったりすることもあるようです。

大人になってからも、そういう行動をとる人がいますが、その人がたまたま組織の長や、為政者だったりすると、周囲はとても困るのですが、これまた原因が根深いので、なかなか軌道修正は難しいようです。(すみません、話が関係ない方向に流れました。)

_ S.U ― 2011年06月19日 15時51分26秒

う-ん。すべておっしゃるように思います。宇宙論というのは、本質的に、昔も今も、精神の古層ギリギリ外側から理性活動の最前線までを酔歩しているのかもしれません。なかなか手に負えないです。
 また、「子どもの迷子」で思いつきましたが、そのほかに、子ども独特の、というか、日常世界と脳内の空間把握のパラレル構造のようなものもあって、関係しているように思います。私も、大人になっても、実際にはない地理構造になっている場所の夢をみます。

>大人になってからも、そういう行動をとる人がいますが、その人がたまたま組織の長や
 「決して悪気はなくて...、いっしょに飲みに行くと、ほんとうにいい人なんだよ...」などとかばう人が必ずいますが、なんの助けにもなりません。

_ nona ― 2011年06月19日 21時03分30秒

あ~…しばらく忘れていました。
持っていることを忘れていました、このビデオ。
最初はLDで、のちにDVDで買いなおして…。
また観たくなってしまったな。

でも「ファンタスマゴリア」のビデオはいつも観ている途中で
寝てしまっています。
退屈だからじゃなく、心地よ過ぎてです。(笑)

_ 玉青 ― 2011年06月20日 22時23分53秒

○S.Uさま

>実際にはない地理構造になっている場所

え、何ですか、それは? 気になりますね。
そういえばタルホ氏は、どこそこの坂を下りたあたりの地形が、ロバチェフスキー空間の例だ、などと一時盛んに言っていたようですが…

> ほんとうにいい人なんだよ...」などとかばう人

あはは。います、います。「根はいい人なんだよ」とか。
じゃあ、「根の悪い人」というのは、いったいどんな人を指すんですか…と、腹の中で思わなくもありません(笑)。

ところで、1つ前の私のコメントで、「×重力→○引力」に直した方が良いでしょうか。何せ素朴科学の世界に生きてるので、こういうこともすぐゴチャゴチャになってしまいます。

○nonaさま

あ、nonaさんは両方お持ちなんですね。
まさに模範的たむらファン!(^J^)
私は両方とも紙の本しか持っていなくて、ちょっと不真面目なファンです。
せいぜい頭の中で動画にして再生しているんですが、それでも結構心地よく眠れるものですよ(笑)。

_ S.U ― 2011年06月21日 07時09分04秒

>実際にはない地理構造になっている場所
>え、何ですか、それは? 気になりますね

 これは、ある地方の地理が、一部は現実の道路配置になっていて、他の一部は虚構の配置になっているという意味です。虚構なりにそれは定まっていて、同様の夢を繰り返し見ますし、起きているあいだにもそれを思い出すことが出来ます。(でも本当に何度も見ているかはデジャビュ状態になっていて実証できません)
 自分の家から発している道路が最初の何kmかは現実のままですが、そこから先は自分で作った童話の世界になっている、というとおわかりいただけますでしょうか。私の場合は、だいたい全体は数~20kmの範囲です。こういうの私だけですかー?

 タルホ氏の「ロバチェフスキー空間」は現実の峠道の頂点が道の両脇から見ると谷底になっていることを指したものと思います。氏はほんとうにこれが好きで、人の股間の形も例にしています。無限の宇宙空間のシンボルらしいです。

>「×重力→○引力」
 どうも国語は不得手なもので...どう使い分けるのでしょうね(汗)。物理屋は力の種類の呼称として一般的・普遍的には「重力」を用い、空間を隔てて物体(天体)が引き合っている具体的な様子を描写する時のみ「(万有)引力」を用いるように思います。玉青さんの例は、これに照らせばどちらでもOKです。そもそも物理屋は正体が同じものならなんと呼ぼうがこだわりませんね。

_ 玉青 ― 2011年06月21日 20時44分22秒

不思議な夢ですね。
現実の道と虚構の世界がつながっている…というのは、何となく地上の川と銀河の話題から連想が続いている感じですが、その虚構の世界がS,Uさんにとって、果してどんな意味を持つのかは大いなる謎ですね。繰り返し見るということは、それがS.Uさんにとって、とても大切な意味を持つことは明らかですが、その先は容易に第三者の憶測を許しません。夢は「解釈する」ことよりも、「味わう」ことが大切だといいますので、じっくりと味わってみることをお勧めしたく思います。

重力と引力。引力が無になることはないけれど、重力は「無重力状態」という言い方もあるので、無くてもいいのかなあ…と素朴科学的に考えてみました。ウィキを見ると、「地球上の物体については、引力と遠心力の合力を重力という」というふうに、ちょっと細かい説明が入っていますね。

_ S.U ― 2011年06月21日 22時50分51秒

>地上の川と銀河の話題から連想
そうですね。「ゆえに、昔の中国人やたむら氏の発想は夢に起因するのだろう」 と私の推論は一回りするのです。
 なるほど、自分の夢を良く味わってみます。こちらの種類の夢は、「素朴科学」と違って、架空ながらも日本の町としてあり得る風景です。通学路と絡んでいる場合が多いようです。現実の学校へ行きたくなかったのでしょうか...

>重力
 確かに重力には二つの意味がありますね。どちらもニュートンとホイヘンスの時代に確立したので、なんとなく分別が難しいのかもしれません。

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