黴雨(ばいう)去らず、ひねもすパチリパチリかな2011年07月03日 13時02分04秒

既報の通り、写真をせっせと撮っていますが、一日かけてもそう沢山は撮れないことが分かりました。それに結構気疲れします。

今回は、押し入れにしまいっぱなしのモノから順次撮影を進めているのですが、そもそも押し入れにしまってあるモノというのは、部屋にディスプレイしにくいもの、即ち天文とも理科とも縁遠いモノだったり、インパクトがあり過ぎて部屋の調和を乱したりするものが多いので、それが微妙な抵抗感を生み、写真を撮りながら気疲れするのだと思います。

また被写体の中には古本も多いのですが、本を撮る難しさを改めて感じます。
本というのは、その中に入り込んでしまえば、とても起伏に富んでいますが、物理的なモノとして見た場合には、至極平板なので、どの本を撮っても、結局同じような写真になってしまいます(単に技術がないだけかもしれませんが)。

それに普通のモノなら、どんなに複雑な形状のものでも、前後上下左右の6方向から撮れば、情報量としては一応十分ですが、本の場合は、図版が時には何十枚も入っていて、それぞれがまた1つのモノと言えなくもないので、作業量が膨大になります。必然的にどこかで取捨選択しないといけないのですが、それがまた一苦労。

でも、そうやって苦労があるからこそ、相手のことがよく分かるわけで、改めてモノと向き合うという、所期の目的は十分達成されつつある…と感じています。

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で、今どんな写真を撮っているかといえば、たとえば↓
何かがニョキッと立っています。


これはシロカビの模型です。


先端の葱坊主のようなものは胞子嚢(ほうしのう)。
ここからパーパー胞子を飛ばすわけです。


菌糸がウネウネと伸びて、ところどころで胞子が形成されている様を模式化したもの。
これはeBayでイギリスの人から買いましたが、その方は専門の業者さんではなく、「神経細胞の模型か?」と、いかにも自信なさそうに出品していたのが一寸おかしかったです。たしかにそんな風にも見えますね。

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それにしても、(キノコならまだしも)カビの模型は、書斎に飾って悦に入るという性質のものでもない。では何故買ったのか?といえば、いつか理科室のキャビネットが手元に来たときに、こういうモノを存分に飾ってみたいと思っているからです。つまり、単体ではちょっとどうか…と思うものでも、「理科室のキャビネット」の一部に組み込むことで、途端に魅力を増す品もあって、カビの模型なんかはその例ではないかと思います。(私だけ?)

その日を夢見て、理科室っぽい微妙な品をせっせと買い続けているのですが、でも押し入れにも限界があるので、最近はだいぶペースダウンしてきました。夢みることさえ許されないというのは、本当に寂しいことです。

レンズ夜咄(よばなし)2011年07月04日 21時09分22秒

写真を撮ったついでに、これまであまり取り上げなかったようなモノを載せます。
写真は、以前、何の気なしに買ったジャンク・レンズ。

両凸レンズ、両凹レンズ、凸平レンズ、凸凹レンズ。
それぞれに自己を主張するガラス塊。

反射と屈折。

おぼろな輝き。

レンズはときに外の世界をすっかり閉じ込めてしまいます。

試しに4つのレンズを重ねてみました。

そっと覗きこむと、たった1つの照明が、無限に反照しています。

さらに近づくと、レンズはまるで漆黒の瞳のようです。
灯が続くその奥に、人間の知らない異世界が広がっている…

(記事を書ききながら、江戸川乱歩の「鏡地獄」を思い浮かべました。)

『ケプラーの憂鬱』2011年07月06日 19時38分33秒

腰痛が再発したため、今日は一日安静にしていました。

おかげで、何をするでもなく、ゴロゴロ本を読むだけという「結構なご身分」を満喫したのですが、今日手に取った本は、以前古本屋で買ってそのままになっていた、『ケプラーの憂鬱』 (ジョン・バンヴィル著、高橋和久・小熊玲子訳、工作舎、1991)。原著は1981年に出て、当時かなり評判になった本だそうです。

家庭的不和、宗教的軋轢、宇宙の秘密を解き明かしたいという灼け付くような欲望、師匠であるティコ・ブラーエとの葛藤―。人間ケプラーを生々しく描いた伝記小説…ということのようですが、まだ途中読みなので、きちんとした内容紹介は不能。

小説の中では、ケプラーがすぐに体調を崩す虚弱な男として描かれていて、腰痛持ちの身としては、それだけで容易に感情移入してしまいます。
ともあれ、しばらくは通勤電車の中で退屈せずに済みそうです。

ケプラーの多面体宇宙モデル2011年07月08日 22時08分10秒

『ケプラーの憂鬱』 も残すところあと30ページ。
いよいよケプラーの人生が幕を下ろす間際まで来ました。

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天王星が発見されたのは1781年で、これは周知のように ― と、ハーシェル協会員としてあえて書きますが ― ウィリアム・ハーシェルが成し遂げた偉業です。

それ以前は、誰もが水・金・地・火・木・土の6個しか惑星はないものと思っており、当然ケプラーの時代もそうでした(もっとも、地球は惑星ではないと考える人も大勢いましたが)。

ふつうの人であれば、それを自明の前提として受け入れるだけでしょうが、ケプラーは妙な問いの立て方を好む人だったのか、惑星の数はなぜ6個しかないのか? そして、なぜ今あるような軌道間隔を描いて回っているのか?」という点にこだわりました。

ケプラーの第1法則~第3法則は、彼の天才的な思索の結晶であり、科学史における偉大な事件と言ってよいのでしょうが、直接上の問いに答えるものではありません(問いの後段については、部分的に答えているかもしれません)。彼としては、それ以前に世に問うた『宇宙の神秘』で開陳した、多面体宇宙モデルこそがその答でした。
 
(↑『ケプラーの憂鬱』より)

(↑上図中央部拡大。出典=ウィキメディア・コモンズ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kepler-solar-system-2.png

「惑星はなぜ6個しかないのか?」
それはこの宇宙に正多面体が5個しかないことに対応しているのだ。

「惑星はなぜ今あるような軌道間隔を描いて回っているのか?」
入れ子になった正多面体に内接する円を描いてみよ。まさに惑星の軌道がそこに浮かび上がるではないか!

これは単なる思い付き以上のものではなく、言ってみれば一種の奇説に過ぎませんから、彼の三法則と同列には論じられないでしょうが、しかし彼はこの考えがいたく気に入っていたようです。(少なくとも小説の中ではそうです。そして著者のバンヴィルは、この説を受けて、小説全体の結構に、ある巧妙な仕掛けを潜ませているのですが、それはまた次回。)

   ★

そういえば、以前、ペーパー・オーラリーを紹介したときに、この宇宙モデルのペーパークラフトが、チラリと顔を出しました[商品情報]。なんだかペラペラしていて、もうちょっと重厚さが欲しい気もしますが、ケプラーを身近に感じるには手ごろな品かもしれません。


(正多面体の話題に移りながら、この項つづく)

プラトンの立体2011年07月09日 21時49分40秒

さて、ケプラーの宇宙モデルから、正多面体にちなむモノへと話をつなげていきます。

ぬっと出た、棺のような木箱。

一木造りで、なんだか堂々としていますが、さしわたしは17cmちょっとですから、そんなに大きなものではありません。

そっと蓋を開けると、中には5つの円孔が穿たれ…

それぞれにコロンした物体が入っています。

入っているのは、指先でつまめるぐらいの、小さく透きとおった正多面体。

天然水晶を削り出して作られています。


そのため、内部に曇りがあったり、縁が欠けているものもあります。

この品は、水晶本来の結晶形とは無縁の、人工的な造形なので、鉱物趣味の徒からすればあまり感心できないかもしれませんが、多面体という抽象的な形象を表現するのに、水晶という素材はごく相応しいような気がしなくもない。

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ところで、正多面体が5種類あることは古代ギリシャの頃から知られていて、プラトンもそれについて解説していることから、別名「プラトンの立体」と呼ばれているそうです。

古代中国では「陰陽五行説」、すなわち【木・火・土・金・水】の5元素説をとっており、これは当時知られていた、地球以外の5つの惑星とぴたりと対応します。
さらに、もし中国人が正多面体が5つであることを知っていたら、彼らは【多面体-元素-惑星】を関連づけて、古代の科学を大いに賑わしたことでしょうが、残念ながらそうはなりませんでした。

いっぽう、ギリシャ人は【土・水・空気・火】の4元素説を唱えたので、これを多面体と関連付けて、正4面体=火、正6面体=土、正8面体=空気、正20面体=水と、ここまではいいですが、余った正12面体の処置に困って、これは「宇宙」を表すのだと、ちょっと苦しい解釈になりました。
いっぽう、多面体と惑星を対応づけるという考えは(5対5でちょうど据わりがいいはずなのに)ついに浮ばなかったらしいのは、不思議といえば不思議です。

★ 7月10日付記 ★ 
 
要するに、中国では「元素-惑星」、ギリシャ以来の西洋では「元素-多面体」の対応は論じられてきたものの、「惑星-多面体」の対応は、ケプラーの脳内で結びつくまで放置されていたらしい…ということです。
 
で、これは全くの思い付きですが、ケプラーが多面体宇宙モデルを発表したのは、彼が25歳の時(1596年)、その第1主著『宇宙の神秘 Mysterium cosmographicum 』の中においてで、時代背景を考えると、ひょっとしてそこには、宣教師経由の中国に関する知識が影響していないかなあ…と思うのですが、どうでしょう。
 
陰陽五行説は、地上界のすべての現象を、5大惑星と太陽・太陰(月)と関連付けるという、すぐれてコスモロジカルな理論ですから、占星の術を能くしたケプラーがそれを耳にしたら、いたく興味を引かれたことでしょう。

『ケプラーの憂鬱』 の憂鬱2011年07月10日 19時29分19秒



(↑原著ペーパーバック。アマゾンで見ると、最新のエディションはもっと大人しいデザインになりましたが、以前はこんなオドロオドロシイ表紙だったらしい。果してブックデザイナーは、本の内容を理解していたのか?)

そういえば、『ケプラーの憂鬱』の全体構成には、作者のジョン・バンヴィルが、ある秘密を仕掛けていて、「それはまた次回」と書いたのを忘れていました。

その秘密は、高橋和久氏の「訳者あとがき」で知ったのですが、バンヴィル自身があるインタビューで、次のように種明かしをしているそうです。

 「私の最新作『ケプラーの憂鬱』は五部から成っていて、各部の節の数は〔…中略…〕五つの正多面体の数に呼応しており、各部内の節の長さはそれぞれ等しくなっています。また…各部の時間はその部の中ごろのある一点から、もしくはその一点へ向かって、前進したり逆行したりして、一種の時間の軌道を形成します。しかしどの部もきちんとは出発点に戻ってきません。なぜなら、ケプラーが発見したように、惑星は円ではなく楕円を描いて運行しているからです。こんなことを試みるのは狂気じみて見えるかもしれません。無害ではあるが、ばかばかしいと。私としても、その試みを完全に正当化することはできません、合理的には。ただ私には、芸術にとって大切なのはこれ、つまり形式だと思われるのです。」

どういうことかと言うと、ケプラーの多面体宇宙モデルは、惑星軌道に接するように、外側から6面体、4面体、12面体、20面体、8面体がはめ込まれているのですが、『ケプラーの憂鬱』 はこれに対応して、第1部「宇宙の神秘」は全6節、第2部「新天文学」は全4節、第3部「屈折光学」は全12節…という具合に構成されていて、しかも各部における時間経過は単純に過去から未来に流れるのではなく、行きつ戻りつしながら、円環的にストーリーが進むという、非常に複雑な構造になっているのです。

これはバンヴィルの形式至上主義のなせる業であり、また、各章節の長さに正多面体の面数を反映させるというのは、ケプラー自身がその著 『世界の調和』 で試みたプランなので、『ケプラーの憂鬱』 は、この点でバンヴィルがケプラーに捧げたリスペクト作品になっているというわけです。

しかし、正直なところ「何でそんなご苦労なことを…」と思わなくもありません。こうして書いているだけで、なんだか暑さが増す感じです。それに、時間進行が行ったり来たりというのも、素朴な読者にとっては、はなはだ読みにくい。
こういう緻密な作品は、秋から冬にかけて、精神が内向きになっているときに読むといいのではないかと思いました。(ちょうどストーリーも、冬のシーンで始まり、冬のシーンで終ります。)

カリカチュアライズされた天文学者のルーツを探る(前編)2011年07月12日 06時10分23秒

(↑出典:Universe Today http://www.universetoday.com/74522/astronomer/


これまで何回かつぶやいてきた疑問があります。
例えば以下の記事。

■裳裾をひるがえす天文学者
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/05/13/4302388

19~20世紀の書籍や映像作品に登場する天文学者が、とんがり帽子にマントを羽織った、異様に古風な姿で造形されているのはなぜか?という疑問です。

もちろんSF映画に登場する天文学者がそうだというわけではありません。ただ、「伝統的な天文学者」「歴史的存在としての天文学者」が出てくると、「え、本当に昔の天文学者はそんな姿をしていたのか? 一体いつの時代の話だ?」と思えるような、滑稽な姿で描かれていることが不審でした。

他にもいくつかの例を、過去記事から拾ってみます。
これらを見ていただくと、私が何をいいたいか、おおよそのイメージをつかんでいただけると思います。

○「天文学の授業」と題した1900年前後とおぼしいステレオ写真
http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/11/18/959548
○同時期のジョルジュ・メリエスの映画に登場する天文学者たち
http://mononoke.asablo.jp/blog/2009/05/15/4307091)。

さて、ここに来て、その答が分かったような気がするので、それについて書きます。

(この項つづく)

カリカチュアライズされた天文学者のルーツを探る(後編)2011年07月13日 05時35分04秒

7月12日は(日本では日付が変わって、今日13日がそれに当たると思いますが)、海王星が165年前に発見されて以来、ちょうど公転軌道を1周した、すなわち「1海王星年」が経過した日だというので、一部では海王星、お誕生日おめでとう!」と大変な盛り上がりを見せているようです。
この件は、近いうちに話題にしようと思いますが、まずは昨日の続き。

   ★

疑問を解くカギは、天文学者というよりも、占星術師のイメージにありました。
先日、ケプラー絡みで占星術師に関する本(※)を読んでいたら、次のような文章にぶつかって、「ああ そうか」と思ったのです。

(※)グリヨ・ド・ジヴリ著、林瑞枝訳
   『妖術師・秘術師・錬金術師の博物館』、法政大学出版局、1986
   (以下、引用に当り、文中の漢数字を適宜アラビア数字に変更しました。)


「現代の大衆の間に広く行きわたっている版画とか、程度の低い隠秘学の通俗的な内容の売らんかなの本には、どれにでも入っている図柄がある。そこにはきまっていわゆる 《古典的な》 占星術師が描かれており、彼らはとんがり帽子をかぶって、黄道一二宮を描いた衣服を着け、大きな望遠鏡を頼りに空を観察している。

これほど大きな間違い、これほどばかげたことはない。モリエール〔引用者註:1622-1673〕 の時代の医者と薬種屋のとんがり帽子が、そんなものをかぶったためしのない占星術師に譲られたのだ。人々はなぜか18世紀の変った画師ジヨが描いた喜歌劇の妖術師の装いを、占星術師に着せてみたかったのである。」 (p.284)


そう、このいでたち! 私が「珍妙な天文学者像」と感じたのは、まさにここに描かれている占星術師の姿そのものです。そして、この占星術師の姿も、実は歴史的にはありえない「架空の占星術師像」だと知って、「なるほど!」と思いました。


「いつでも手に天体望遠鏡を持たせるというのもおかしな話だ。オランダでは1610年のガリレオの望遠鏡以前に、最初の天体望遠鏡が現れたが、それも1600年から1610年であったことを忘れてはならない。 

〔…〕したがって、占星術の絶頂期とみなすことができる16世紀には、占星術師は望遠鏡などは持っておらず〔…〕この新しい道具を用いた、ただ一人の優れた占星術師はヴィルフランシュのジャン=バティスト・モランである。〔…〕生年は1583年、没年は1656年である。 〔…〕しかし、この頃すでに占星術は衰退への道を辿っていたのであり、その栄光の時代は天体望遠鏡の発明以前に終っていたのである。」 (pp.285-6)

「ボルドロン神父が天体望遠鏡を占星術師たちの手に持たせるのは、18 世紀の初めになってのことである。彼の『ウフル氏の奇想天外な空想物語』(1710年、アムステルダム)の口絵の中でのことだが、占星術に対する冷淡で凡庸な冷やかしを集めたこの書物は、古代にあれほど高い地位を占めたこの術が、まさしく退廃に向っていたことを示している。いってみればもはや占星術師はいなかったのだ。占星術師であり続けた人々も、自分たちの職業が日々信用を失墜して行くのを見るだけのことだった。」 (p.288)


引用が長くなりました。
繰り返しますが、要はあの「古典的」天文学者像は、占星術師のイメージの借用であり、その占星術師のイメージも、占星術師が衰滅した18世紀に入ってから、愚昧な存在として、ことさら戯画的に描かれた姿が元になっている…ということです。したがって、時代考証もでたらめで、現実の占星術師(や天文学者)とは懸け離れた格好をしているのも当然なわけです。

社会的威信という点から見ると、占星術師の絶頂期は16世紀であり、それが17世紀に衰退し、啓蒙主義の18世紀にいたって事実上消滅した…というのも、この本で教えられました。

   ★

では、今も盛んな占星術、あれは一体何なのか?
上掲書は上の引用に続けて、占星術は何世紀かむかし、かなり流行した時代があった。それが今日、50年前には信じられなかったような勢いで息を吹き返したのだと記しています。ド・ジヴリの原著が出たのは1929年。世紀末から両大戦間期にかけて、世界的なオカルトブームがありましたが、その中で占星術は大いにもてはやされたらしく、現代の星占いはこの「占星術リバイバル」の末流に位置するのでしょう。

(余談ですが、テレビで「今日の牡牛座のあなたは…」とか言っているのを聞いて、「まあ、罪のない話さね」と思っている自分がいます。しかし、ナチズムの大きな源流の1つに、こうしたオカルティズムや、オカルトサイエンスがあったことも、忘れてならない事実です。敢えて「啓蒙」を説かねばならない時代が、再び来なければいいな…と思います。)

青く澄んだ星の本2011年07月16日 20時57分31秒

セミも鳴き出し、ついに夏本番です。
それかあらぬか、PCが不調です。どうも熱暴走らしいんですが、急に真っ青な画面になってシステムが落ちたりして、最近はそういう経験をすることも減っていたので、久しぶりに背筋がヒヤッとしました。

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さて、暑さを忘れるために、涼しげなものを載せます。
先日、black-pool(http://black-pool.tumblr.com/)に、↓のような星図帳の画像が貼ってあって、ああいいな…と思いました。


イギリスのGeorge Philip & son 社が出した、『STARS AT A GLANCE』。
さっそく私も1冊買ってみたんですが、よく見ると表紙が少し違います。


上のものより、装飾性の高いデザインで、多分こちらの方が旧版なのでしょう。
出版年の記載がどこにもありませんが、これは一寸調べたら分かりました。
広告欄には1925年に出た天文学入門書が載っているのに、本文には1930年に発見された冥王星の記述がないので、私が買ったのは、1920年代後半に出た版に違いありません。

中身はこんな感じです。





それにしても、この空の色! 澄んだ碧色が何とも涼しげです。
版型は18.5cm x 11.5cmと、日本の新書版に近いハンディサイズで、きっと観測の際にポケットに忍ばせることを想定しているのでしょう。

夕涼みがてら、川岸や海辺を歩きながら、こういうのをおもむろに取り出して、隣の人に星を指し示す…というのが、スマートな使い方かもしれませんね(あくまでもイメージですが)。

あっ…2011年07月17日 17時14分21秒

ふと壁を見たら、南米産のヒゲナガドウケカミキリ(Acrocinus longimanus)の標本が無残なことに!あちゃー。。。


この標本は、虫体をホットグルーで貼りつけてあるだけなので、時と共に自然にはがれて落ちたのでしょう。まあ、元々がお土産用ですから、そう嘆く必要もなく、とりあえず木工用ボンドで適当にくっつけることにしました。


ケースに入れれば、ちょちょいのちょいで元通り。


ところで和名の「ヒゲナガドウケカミキリ」というのは、漢字を当てれば、「髭長道化かみきり」で、英名の “Harlequin long-horn beetle” の直訳。日本では単純に「テナガカミキリ」と呼ばれることも多い甲虫ですが、この虫の翅模様は、いかにも道化師の衣装を思わせます。(ハーレクインとは「道化師、ピエロ」のことで、ピカソが好んで画題にした「アルルカン」はそのフランス語読み。)

しかし、久しぶりにマジマジと観察したら、以前は鮮やかな朱と黒と黄のだんだら模様だった道化の衣装が、今やすっかり色あせていました。

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ブラインドを上げれば、外は濃い夏の空。


落魄のアルルカンにも、まだまだ季節は幾たびも巡って来ることでしょう。