水のない海2011年07月18日 17時34分40秒

台風の接近で、日本近海は大荒れのようです。
今日は海の日なので、何か海にちなんだものをと思い、いっそ月の海に行ってみることにしました。

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青い星図帳に続き、これも George Philip & Son 社が出した、ちょっと昔の月面図(1957年刊)。


アマチュアの立場で月面研究にのめりこんだ T. Gwyn Elger(1836-1897)が19世紀末に編んだ月面図を、同じくH. Percy Wilkins(1896-1960)という人が、60年後に改訂したものです。おそろしく息の長い地図ですが、昔のイギリスのアマチュア天文家は、たいていこのエルガー月面図の世話になったらしいです。

それにしても、エルガーもウィルキンスも、まだ60代に踏み込んだばかりだというのに、月面図を公刊すると間もなく亡くなっているのは、何だかヒヤッとする話です。月に呼ばれたんでしょうか。


折り畳み式のマップは、広げると約70 x 50cmの月面図になります。
この月面図は、天体望遠鏡で観察したときと同じ見え方になるよう、上下(南北)が逆転して描かれています。そして東西の表示が、現在とは逆のシステムを採用しているので、ちょっとややこしいです(※)。以下、東西は現行のシステムに従って呼ぶことにします。

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身近な台風の接近に怯えつつ、まずは「嵐の大洋(Oceanus Procellarum)」に行ってみましょう。


月の表(おもて)の北西一帯を広く占める、いわゆる「兎の臼」が「嵐の大洋」。


嵐の大洋の真ん中にポツンとあるのは、ケプラーの名を負ったクレーター。
社会の荒波に翻弄され続けた、孤高の天才には、いかにもふさわしい場所。


そこから少し東に寄ったところに、一際大きなコペルニクスが鎮座しています。

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荒れ狂う大洋から、一転して「静かの海(Mare Tranquilitatis)」を見てみます。
月の東側、「兎の顔」に当たるのが「静かの海」。言うまでもなく、42年前のちょうど今ごろ、アポロが初めて有人着陸をした場所です。


その中心にあるクレーターには、Nevil Maskelyne(1732-1811)の名前が付いています。マスケラインは、少壮の頃から高齢で没するまで、半世紀近くもイギリスの王室天文官(アストロノマー・ロイヤル)の職にあった人物。学者としては凡庸でしたが、世間的には恵まれた人生を送った人ですから、これまた所を得たというべきでしょう。

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二つの「海」の中間、ちょうど月の表側の中央付近に目をやれば、そこにはハーシェル、フラマリオン、ラランデの名が。


それぞれ天文学史に名を残す人たちですが、あまり縁が濃いとも思えない彼らが、仲良く隣り合っている様は、ちょっとした見物(みもの)です。


(※)南中した月を肉眼で眺めている場面を想像してください。月は向って左(東)から右(西)に移動していくわけですが、これに準じて月面の地理表示も、向って左側を東、向かって右側を西と考えたのが古典的システムです。でも、満月の位置に、仮に地球が浮かんでいるとします。すると、日本列島の左側にユーラシア大陸、右側に太平洋があって、上の古典的システムに従えば、ユーラシア大陸は日本の東、太平洋は西ということになって、地球上の地理表示と逆になってしまいます。これでは不便だということで、1961年に国際天文学連合が、地球の地理表示と同じように、北を上にしたとき、向って左側を西、右側を東とする現在のシステムを採用したということです。