夏休みは理科室へ…理科室の怪談(その1)2011年08月06日 17時36分17秒


(↑「学校の怪談」予告編(1995)。
「学校の怪談って観終わった後なぜか寂しいような切ないような気持ちになってた~ もう10数年前の話ですけど^^夏休みの終わりって感じがします」という、YouTubeに寄せられたコメントがいいと思いました。)


夏深し。朝の通勤時に生垣のそばを通ると、懐かしい夏の匂いがします。
ラジオ体操の行き帰りに嗅いだのも、ちょうどこんな匂いでした。
来週8日は立秋で、その翌週はお盆。そうなると子どもたちは、ぼちぼち夏休みの残りが気になって来るころでしょう。

この季節は、理科室趣味の徒にとっても、そぞろ懐旧の情を催す時で、理科室情緒を求めて、いろいろ空想にふけったりします。

   ★

今宵は季節柄、理科室の怪談について考えてみたいと思います。

理科室には、気色悪い人体模型(※)やビン詰め標本があったり、ガラスの実験器具や薬品が魔術めいたムードを発散させていたりして、もともと子どもたちにとっては剣呑な雰囲気があるので、怪談の舞台としては絶好のように思えます。

しかし、現実に流布している学校の怪談話の中で、理科室の役割は意外なほど軽いです。

たとえば、映画「学校の怪談」シリーズの原作(というよりタネ本)となった、常光徹氏の『学校の怪談』(角川ソフィア文庫、平成14)や、あるいは松谷みよ子氏の労作、「現代民話考」の1冊である、『学校― 笑いと怪談、子供たちの銃後・学童疎開・学徒動員』(立風書房、1987)を見ても、学校の怪談の舞台として断トツに多いのは「トイレ」、次いでピアノ、階段、体育館、時計、鏡、肖像画などにまつわるもので、理科室はどちらかといえば「その他大勢」的な地位に甘んじています。

怪談というのは「何となく不安を掻き立てる」場所に発生しやすく、理科室のように「あからさまに怪しい」ところには、むしろ発生しにくいのかもしれません。

とはいえ、理科室にまつわる怪談も複数報告されているので、「理科室民俗学」(今作った用語です)の材料として以下に転記し、簡単に考察を加えてみます。

(文章が長いので、ここで記事を割ります。以下、明日につづく)


(※) 私は人体模型を気色悪いとは思いませんし、むしろ愛らしいと思いますが、多くの生徒が恐がるという事実は当局も無視できなかったようで、文部省が著した 『改訂版・新しい特別教室』 (昭和36、光風出版)という本を見ると、「人体模型および骨格模型ケース」は、「生徒が不快の感を起さないよう、ガラス戸の内面からカーテンを引いてお」きなさいという注意事項が書かれています(p.65)。

これは当局自身が、「不快な存在」のお墨付きを与えたに等しく、人体模型がちょっとかわいそうですね。それに、下手に隠すともっと怖いんじゃないでしょうか。本来であれば、そうした不快の感を超克し、人体生理に知的興味を抱かしむるのが理科教育だと思うんですが…。まあ、余談です。

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