人体模型の面相学(5)2011年08月24日 20時44分01秒

先に人体模型の日本的展開ということを言いましたが、ナショナリティの発露こそ、人体模型の面相学を語る上でのキーワードだと思います。

そもそも、人体模型(=我々が普通にイメージする人体模型)の歴史は、1820年代、フランスのオゾー(Louis Thomas Jerôme Auzoux ;1797-1880)による、紙塑製人体模型の発明が一応の起点になります。
 
(オゾー作・人体模型頭部)

もちろん、人体模型自体はそれ以前からあって、イタリアのラ・スぺコラや、ボローニャの人体模型博物館のヴンダーな展示を想起される方もいらっしゃるでしょうが、しかし、ああいう手の込んだワックスモデルは、はなはだ高価で、量産も不可能でした。オゾーは、医学教育のためには、安価で正確な模型の普及が必須と考え、紙塑(パピエ・マッシュ)の応用を思い付いたのでした。
 
(ラ・スぺコラ展示室。ウィキメディア・コモンズより)

オゾーのモデルは長崎経由で幕末の日本にも伝来し、その後明治になって国産も始まりました。その最大の雄は、京都科学の前身、「島津製作所標本部」(戦後、京都科学として分社・独立)で、同部は明治28年(1895)の創設です。明治39年(1906)には、河原町工場内に標本部工場を新設し、量産体制を確立しました。

 (丸髷を結って人体模型製作にはげむ女性。『島津製作所史』、昭42より)

そうした過程で、オゾー模型のリアルさが、日本的美意識によって薄められると同時に、日本人にも親しみやすい相貌が生み出されました。これが上でいうナショナリティの発露です。

下は1907年のデロールの商品カタログの1ページ。
 

ポーズにしろ、プロポーションにしろ、ここには西欧の伝統的美意識が色濃く反映されています。
それと同じように日本製の人体模型には、日本独自の美が現われていると思うのです。

下は島津製作所の古い紙塑製人体模型です。左の頑固な老人の像も味わいがありますし、右側のたおやかな女性も素敵です(ラ・スペコラには「解剖されたヴィーナス」というのがいますが、こちらは「解剖小町」と呼ぶのがふさわしいですね)。
これらはデロールの模型と同時期の作と思いますが、ここには人体模型の日本化がはっきりと見てとれます。
異文化の受容と摂取を考える上で、人体模型はなかなか面白い素材ではないでしょうか。
 
(出典:http://www.flickr.com/photos/ayano/66396699/in/photostream/
2005年に群馬県立自然史博物館で行われた「ニッポン・ヴンダーカマー 荒俣宏の驚異宝物館」の展示風景より)


(この項つづく)

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