昔日のジュヴィシー天文台 ― 2011年10月10日 17時01分03秒
ジュヴィシー天文台を別の位置から撮った絵葉書(手彩色)。
1905年の消印があるので、城主のフラマリオンはまだ60代。かくしゃくとして望遠鏡を覗き、文筆活動にいそしんでいた頃の館の様子です。
冬枯れの庭には明るく日が射し、手前の小屋では慰みに家禽が飼われていたようです。のどかな初冬の一日…といった光景。
フラマリオンの「城」は、表から見ると中世城郭風ですが、裏手(庭側)に回ると、ご覧のとおり一転して近世居館風です。王政期のキッチュな趣味が、こうしたゴシックと古典主義の意図的な混交を生み出したのでしょう。
キャプションを見ると、この建物は、かつて王族がフォンテンブローへ御成りの際に休息所として使われた時期もあり、また1814年、対露戦に敗北して落ち目となったナポレオンが、パリ降服の報に接した場所でもある…というようなことが書かれています。
フラマリオンの「星の城」は、なかなか歴史性に富んだ場所でもあるのですね。
ところで館の正面中央には、高々と星のマークが掲げられていますが、これはフラマリオンが取り付けたのでしょうか。だとすれば、その稚気がいっそ微笑ましく、この館に詰まった彼の夢を象徴しているように感じられます。
(と思ってよく見たら、昨日の外観の写真にも、正門の上に星マークがあるので、やっぱりこれはフラマリオンの「星の城」を意味しているのでしょう。)
1905年の消印があるので、城主のフラマリオンはまだ60代。かくしゃくとして望遠鏡を覗き、文筆活動にいそしんでいた頃の館の様子です。
冬枯れの庭には明るく日が射し、手前の小屋では慰みに家禽が飼われていたようです。のどかな初冬の一日…といった光景。
フラマリオンの「城」は、表から見ると中世城郭風ですが、裏手(庭側)に回ると、ご覧のとおり一転して近世居館風です。王政期のキッチュな趣味が、こうしたゴシックと古典主義の意図的な混交を生み出したのでしょう。
キャプションを見ると、この建物は、かつて王族がフォンテンブローへ御成りの際に休息所として使われた時期もあり、また1814年、対露戦に敗北して落ち目となったナポレオンが、パリ降服の報に接した場所でもある…というようなことが書かれています。
フラマリオンの「星の城」は、なかなか歴史性に富んだ場所でもあるのですね。
ところで館の正面中央には、高々と星のマークが掲げられていますが、これはフラマリオンが取り付けたのでしょうか。だとすれば、その稚気がいっそ微笑ましく、この館に詰まった彼の夢を象徴しているように感じられます。
(と思ってよく見たら、昨日の外観の写真にも、正門の上に星マークがあるので、やっぱりこれはフラマリオンの「星の城」を意味しているのでしょう。)
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